新そよ風に乗って ⑤ 〜慈愛〜

でも、もしそのゆとりから高橋さんにニューヨークに恋人が居ることを知ってしまったとしたら、それはそれでまた辛かったかもしれない。ピアノを奏でる高橋さんのタキシード姿から、いろいろなことを想像してしまう。こんなに、タキシード姿がしっくりくる高橋さんに見とれていたさっきとは違った感情。何も知らない方がいいのに知りたいと思う矛盾した想いと、知ってしまった途端、崖から突き落とされたように落胆する思い。
飲みかけのオレンジジュースのグラスを上から見ながら、そこに微かに映る自分の顔の表情を見るのが嫌で、わざと焦点を合わせないようにしていると、一斉に拍手が起きて慌てて遅ればせながら拍手を送った。
「貴博。ピアノ上手いでしょう?」
山本さんが、拍手をしながら耳元で微笑みながら言った。
「はい。本当に……とても……」
必死に笑顔を作りながら、返事をしたつもりだった。
「無理に感情を押し殺さなくてもいいのよ? 笑えないときは、無理して笑わなくたっていいじゃない。それはある意味、相手に失礼だから」
山本さん。
「誰にだって、自分の気持ちを悟られたくないと思う部分ってあるはずだからね。それと同時に、誰だって話したくないこと、言いたくないことも。すべてを晒け出すなんて、相当な覚悟がなければ出来ないはずだし、それが美徳だとも思えないもの。私ね、言いたくないことは無理には聞かない。話したくないことは、無理に話さないがモットーなの。だから、貴女にも勿論、言えないことも言いたくないことも沢山あるわ。でも不思議なもので、人間って秘めた部分が多ければ多いほど、それはもう本当に魅力的に感じるものなのよね。まあ、貴博の場合、得意の計算して……なんて、そんなことは更々考えてもいないだろうけど。ごく自然に、そういう部分が多いのかもしれないわ」
ごく自然に……。