新そよ風に乗って ⑤ 〜慈愛〜

高橋さんの後ろ姿を目で追いながら、先ほどのホテルの部屋でのことを思い出していた。何事もなかったような、軽い足取りと表情。何だったんだろう? 話の続き……。もう、きっと教えては貰えないだろうな。
暫くすると、右手に紙袋を持って高橋さんが車の往来を気にしながら左手を挙げて車を1台停めると、道路を颯爽と渡って戻ってきた。
アメリカは、本当に凄い。歩行者が、何があっても優先だ。日本とは大違い。高橋さんも、必ず信号のない横断歩道の手前では何気に徐行する。そして、歩行者が1人でも立っていれば必ず停止する。
「アメリカでは、横断歩道上に人が居るのにその手前から車のスピードを加速したりするとチケットを切られるんだ」
そうとも、教えてくれた。だからかな? 日本でも、高橋さんは横断歩道の手前では必ず減速するし、横断歩道を渡ろうとしている人が立っていれば必ず停まる。あくまでも、ジェントルマン。誰も見ていなくても、きっといつもそういう行動を心掛けているんだと思う。
「お待たせ」
紙袋を手にして戻ってきた高橋さんは、その紙袋を後部座席に置いて運転席に座った。
あれ? 何、これ……。
「良い匂い」
つい、思っていることが口を突いて出てしまった。
車内に香ばしい匂いが漂い、更に美味しそうな匂いに嗅覚を刺激されて無意識に深く息を吸う。
「だろう?」
運転席の高橋さんが、微笑みながらこちらを見てウィンクをした。
「この美味しそうな匂いは、何ですか?」
「それは、帰ってからのお楽しみ」
「えぇっ。そんなぁ……。 高橋さん。教えてくれてもいいじゃないですか。意地悪しないで下さいよ」
高橋さんはまた悪戯っぽく笑って、左手の人差し指をこちらに向かって左右に動かして見せると、エンジンを掛けて車を発進させた。
「高橋さんの、けちん坊!」
「けちで、結構」
うぅっ。
全く取り合ってもらえないまま、益々、車内に美味しい匂いが充満して食欲をそそられながらお預けの状態に堪え続けていると、ホテルに帰る途中、大きな看板が目に入った。
「アウトレットモールがあるんですか?」
「ああ、あるよ。行きたい?」
アメリカのアウトレットモールはどんな感じなのか興味があって行ってみたいなとも思ったが、ふと我に返って仕事で来ていて観光に来ているわけじゃないということに気づき、返答に困って黙って首を傾げてみた。
すると、ちょうど信号待ちだったので、高橋さんがこっちを見ながら右手にしている腕時計を見た。
「うーん……行ってもいいけど、今日は日曜でクローズも早いから今度の土曜にしよう。それだったらゆっくり見られるし」
「ほ、本当ですか? 連れて行って下さるんですか?」
嬉しくなって、聞き返してしまった。
「ハハッ……。お前は、本当に分かりやすいな。何だ、その満面の笑みは」
うっ。
また、馬鹿にされてしまった。でも、嬉しいな。今は楽しみの方が勝っているので、高橋さんの突っ込みにも笑顔で居られた。
ホテルに戻って、買ってきたものを冷蔵庫に入れてから食事の準備をして遅いランチを食べることになった。
テーブルの上に美味しそうな料理を並べて、まるで新婚夫婦みたいだなと勝手に想像して1人でドキドキしている。そして、先ほどの香ばしい美味しそうな匂いの源である紙袋から、高橋さんがそれを出してお皿に盛りつけた。
「さあ、食べよう」
「うわぁ。美味しそう。これ、何ですか?」
「ベーコンキッシュ。食べてごらん」
言われるまま、一口食べてみた。