新そよ風に乗って ⑤ 〜慈愛〜

さっき買ったはずのスーツは、どうしたんだろう? 確か、買ったと高橋さんも言っていたのに。それに、誰かのお土産に選んでいたバッグらしきものも持っていない。
どうしたのか聞きたかったが、聞く気持ちになれないまま黙って高橋さんの隣を歩いていると、駐車場に辿り着いていた。
「さて、そろそろ出よう。かおりとの約束がある」
「はい」
そうだった。かおりさんと今夜はディナーに行く約束だったんだ。何だか、気が重いな。
車に乗って、一路マンハッタンへと戻る途中、先ほどのショップでの出来事から気持ちの切り替えが上手く出来ず、あまり高橋さんと話さないままホテルに戻った。
「此処を18時に出る。それまで、ゆっくりしていていいぞ」
「はい。ありがとうございます。あの……」
部屋に入ろうとしていた高橋さんを呼び止めると、振り返ってくれた。
「アウトレットに連れていって下さって、ありがとうございました」
すると、高橋さんは少し微笑んで部屋に入っていってしまった。
何だか、気まずいな。閉まったドアを見つめながら、1つ溜息を突いた。
「そうだ」
うわっ。
部屋に戻ろうとしたところで、不意を突かれて高橋さんがドアを開けた。
「ディナーだから、ドレスコードはレセプションと同じ服装で」
「は、はい」
レセプションと、同じ服装?
それは、大変!
慌てて部屋に戻り、時計を見ると17時を過ぎたところだったが、急いでクローゼットに掛けておいたレセプションの時に来た服を確認してから、洗面所に飛び込んだ。そして、慌ててメイクを直して髪の毛を整え着替えると、もう出掛ける5分前。部屋を出てリビングに行くと、もう高橋さんは着替えて待っていてくれた。
「すみません。お待たせしました」
「行こうか」
「は、はい」
部屋を出てエレベーターを待ちながら高橋さんをチラッと見ると、ジャケットの下にはパステルカラーの黄緑色のワイシャツに、それに合わせたネイビーを基調にした中にグリーンの斜めストライプのネクタイ姿。やっぱり、何を着ても似合うな。
エレベーターに乗りながらその姿にうっとりしていたらロビーに着いてしまい、慌てて先に降りると、土曜日の夕方のロビーは混雑していた。
車寄せで、ボーイさんに何か話し掛けた高橋さんと案内されて少し歩くと、そこには1台のタクシーが待っていた。
「乗って」
「えっ? あの……」
言われるまま先にタクシーに乗ると、ポーターにチップを渡した高橋さんが直ぐに乗ってタクシーは走り出した。
タクシーに乗って、何処に行くんだろう?
「綺麗だな」
エッ……。
その声に高橋さんが指さした方を見ると、窓から見えるマンハッタンの煌びやかな眩しいぐらいの街並みが広がっていた。
「綺麗……」
その言葉しか出ない。
「まさしく、美しく煌びやかな麗しい街。ニューヨークの中心街、マンハッタン。俺は、いろんな顔を持っているこの街が好きだ」
「いろんな顔を持っている?」
「ああ。華やかで煌びやかな世界に見えるが、独特なその裏に見え隠れする孤独な空気。この街は、その表裏が同時に見られる。ある意味、人間と一緒だ」
高橋さん?
「あの、それは……」
言い掛けたところで、何処かの車寄せにタクシーが停まり、高橋さんがタクシーの運転手さんと会話をしながらお金を払った。
「着いた。降りよう」
「えっ? もう、着いたんですか?」
置いて行かれないように慌てて車から降りて見上げると、目の前に重厚な建物がそびえ立っていた。
此処って……。
もしかして、雑誌に載っていたあのホテル?
「高橋さん。此処って、あの有名な……」
「ん? 取り敢えず、入ろう」
「は、はい」
高橋さんに背中を押されてロビーの入り口に向かうと、そこには雑誌から飛び出てきたんじゃないかと思うようなイケメンのドアボーイが立って居た。
「Good evening」
はぁ……。
思わず、見とれてしまう。きっと、此処にまゆみが居たら大騒ぎになっていることだろう。SPIが居る、居る! 等と、ね。
「どうかしたのか?」
ハッ!
「あっ。い、いえ、何でもないです」
ラフな感じに着こなしたスーツのポケットに手を入れ、ドアを開けてくれるその仕草1つをとっても格好いい。
「スノッブでいいな。この雰囲気は、ニューヨークならではのもの。他では、味わえない。これをヨーロッパでやったら、顰蹙をかう。無論、アジアでも。此処、ニューヨークだから許される」
「そうなんですね。貴重な体験が出来て、嬉しいです」