「二年前……日奈子が入院している間に、一階に住んでたじいちゃんとばあちゃんが田舎に移住したんだ。そっから遊馬は一階(そっち)で暮らしてて……。ご飯喰うとか風呂入るとかは二階(うち)でしてるんだけど……生活リズムが違ったから、遊馬の勤務地はどこかとか、私が受験した高校はどこかとか、そういう話はしてないんだわ……」

「……そう、だったんだ……」

 琥珀の説明に相槌を打った。
 あの事件に()ってから今まで琥珀の家に行くことがなかったから、そんな事情があったことなど知らなかったし、家族全員がお互い過干渉しすぎない佐倉家の方針に口を出せるほど偉くもない。
 琥珀は続ける。 
  
「遊馬、教員免許取って就活に成功したーってまでは母さん経由で聞いてたんだけど……まさかこの高校だったなんて……。まぁ、多分あっちも相当びっくりしてるだろうな……」

 日奈子もそうに違いないと思った。
 まさか、妹と幼馴染が自分の生徒になったなんて。
 そしてその幼馴染は、自分の姿を見るや逃げ失せてしまった。

 かつては自分に懐いていたのに……。と、今頃、ひどく困惑しているだろう。

「こ、琥珀。……どうしよう、わたし……」

 いつも咄嗟に男性教師を避ける調子で、いや、それ以上過剰に遊馬くんを避けてしまった。
 こんな最悪な再会は、望んでいなかったのに。

 それは遊馬くんも同じだ。
 
 遊馬くん。
 嫌な思いをしたよね。
 
「……謝らなきゃ……」

 その言葉とは裏腹に、日奈子の足は震えている。それにこんな状態で校舎に戻って男性教師である遊馬くんに謝るなんて、到底できそうにない。
 それは琥珀も十分わかっている。
 琥珀は日奈子の背に手を回すと、目に涙を浮かべた日奈子の背中をゆっくりと摩り始めた。
 
「日奈子の気持ちはよくわかった。でも今日は一旦帰って落ち着いたほうがいいよ。遊馬には、私から上手いこと言っておくからさ……」

 そう言うと琥珀は日奈子の手を取ってゆっくりと歩き出した。
 家に向かう道だ。
 日奈子は琥珀に手を引かれ、もう片方の手で流れる涙を拭いながら呟いた。
 
「……まだ遊馬くんには、事件()のこと、言わないで……」
「大丈夫。言わないよ」 
 
 返ってきた声が優しくて。

「……ありがとう、琥珀……」

 日奈子は幼馴染で親友がこんなに頼もしく優しいことに、また涙を零した。