いつの間にか眠ってしまったのだろう。
 はっと目を開けると、目に映ったのは自分の部屋の天井だった。

 夕飯を食べてお風呂に入って、ちょっと宿題をしたところまでは記憶にある。
 だけど、ちょっと疲れてベッドに倒れ込んだところから記憶が途絶えている。

 嫌な夢を見た気がする。
 けど、覚えていない。
 
 日奈子は起き上がると髪をかきあげながら大きく深呼吸をした。ふと窓を見ると、厚手の遮光カーテンの隙間からは淡い淡い青い光が漏れて、今は朝なんだなと認識した。
 ベッドサイドに置いていたスマートフォンを手に取ると、時刻は6時少し前。
 時刻表示の下にはメッセージ着信の通知があった。
 
『こはくから話は聞いた。大丈夫?』

 遊馬くんからだ。

 昨日学校であって。
 教師になってて。
 逃げてしまった。
 
 琥珀からだこまで聞いたのかはわからないけど、返信しなくちゃ。
 
 大丈夫。
 ごめんなさい。

 そう返事をしようと思ってメッセージアプリを開いて、淡い桜のアイコンをタップしようした。

 だけどできなかった。
 出した右手の人差し指が震えている。
 
 遊馬くんには男性恐怖症であることをずっと隠してきた。
 琥珀にも、琥珀のお母さんにも、遊馬くんには伝えないでってお願いしていた。
 
 なのに。
 傷つけたくなくて、必死で護ってたのに、わたしはあんなふうに逃げて、傷つけてしまった。
 
 自分から会おうってきっかけを作っておきながら、傷つけてしまった。

 日奈子は指を引っ込めると、ぎゅっと握り込んだ。
 本当はわかってる。

 これ以上、傷つけたくない。
 そんな気持ちよりも。
 これ以上、傷つきたくない。

 そう思っていることも。

 日奈子はベッドから出ると、そっとカーテンを開けた。
 カーテンを開けると、朝日が出る前の柔らかな空気が、世界を包み込んでいた。
 
 近所の家は電気の灯りもまばらで、日奈子はふとお隣さんに目をやった。
 2階のリビングとキッチンはもう灯りがついている。
 遊馬くんが住んでいるという一階も電気がついていた。

 日奈子はその窓辺をしばらく眺めていたが、火の光が街を照らし始めた頃。お隣の明かりが消えて、はっと我に帰るなりカーテンを閉めた。
 だけど、どうしても気になってしまって、カーテンの隙間からお隣の玄関を伺う。
 程なくして。
 一階の玄関が開くと出てきたのは、昨日とはまた色の違うスーツを着た遊馬くん。
 彼は玄関の鍵を閉めると、ふと顔を上げた。

 カーテンを数センチ開けて覗いてから、遊馬くんから日奈子は認識できていないはずなのに。自分と目が合った気がして、日奈子は思わずしゃがみ込んでしまった。

 しばらくして。
 そっと膝立ちで窓の外を覗くと、遊馬くんの姿はそこにはなかった。

 あの時、カーテンを開けて、学校で避けちゃってごめんねって言えたら、何かが変わったのかな……。
 それを想像する勇気も、今の日奈子にはなかった。