【瀬名くんside】
 教室の窓から校門を見下ろす。
 少し待っていると、黒髪をなびかせながら走るあかりちゃんが現れた。

 そのまま校門まで向かっていき、凜ちゃんの弟と合流した。


(・・・いやぁ・・・俺ほんとなにやってんだろうなー・・・・)


 我ながら頭を抱えたくなるほど無駄なことをしている。


(てか俺っていうよりかはあの子のが何してんだろうって感じだよな。普通恋敵に協力頼まないでしょ)


 凜ちゃんの弟はあかりちゃんのことをデートに誘っていたわけだし、俺と違って純粋に付き合いたいって思っているはずだ。
 だとしたらなおさら俺が邪魔なはずなんだけど。

 いろいろと考えながら窓の外を眺めていると、突然あかりちゃんが頬を染めた。


「・・・・」


 そして短くいくつか会話をしたあと、凜ちゃんの弟は走って逃げて行った。


(・・・仮にも好きな人の前でその逃げ方はないでしょ・・・)


 心の中で突っ込みながら、一人残されたあかりちゃんに目を留める。
 呆然と立ち尽くしながら・・・赤くなった頬をおさえて、しばらくそのままでいた。


「・・・あーあ」


 わかっていたけど。
 やっぱ、協力しなかったらよかったかも。


「まあ協力しなかったらしなかったでどうせ後悔してたかもだけどね・・・」


 自嘲気味につぶやいて、机に突っ伏した。
 心の中で、言いようのない苛立ちが募っているのがわかる。

 目をつむれば、さっきのあかりちゃんの照れたような表情が浮かんできて、大きくため息をついた。

 その瞬間に、がらっと教室の扉があいた。


「・・・あれ、まだ残ってたんだ」


 あかりちゃんの声だ。

 俺は苛立ちを悟られないよう、笑顔を作ると、伏せていた顔をあげた。


「・・・うん。あかりちゃんとあの子がいい感じっぽかったからさー、いじってやろうと思って」


 取り繕おうとしたせいなのか、思ってもないことを言ってしまった。


「・・・もう、ほんと瀬名くんは私からかうのが好きだよね」


 あかりちゃんは呆れた感じでそう言って、自分の席に着いた。
 そして無言でシャーペンを手に取った。


「・・・あの子に、なんて言われたの?」

「別に・・・なんでもないって」

「なんでもないことないでしょ。わざわざ高校まで会いに来てまで伝えに来たのに」


 俺の一言であかりちゃんは何かを思い出したのか、また少し赤くなって手を止めた。


「・・・どしたん?」

「なっ、なんでもない・・・っ!」

「・・・・そっか」


 俺は苛立ちを隠すように会話を終わらせた。
 あかりちゃんはごまかすように机に向かいなおしたけど、焦りすぎてかシャーペンを取り落とした。


「あっ・・・」


 シャーペンを拾おうとかがむと、同時にあかりちゃんもかがんだ。
 お互いの手が、軽くぶつかり合った。


「っ!」


 あかりちゃんが、反射的に手をよけた。
 その反応すら、今の俺には心をざわめかせた。


「ご、ごめん・・・」

「・・・ううん、はい」


 俺はあかりちゃんのシャーペンを拾い、差し出す。
 あかりちゃんが、一瞬受け取るのをためらったのが見て取れた。


(今日、ずっとこうだ)


 朝からずっと。

 吸血をやめようと言い出されて、それ以来あかりちゃんはずっと俺に対して距離をとってくる。
 実を言うと、正直俺も、今日の朝はあかりちゃんとどう接したらいいのか迷いがあった。

 でも俺は、これ以上踏み込むことが怖いくせに、かといってこれ以上離れてしまうことも怖くて。
 朝一番、顔を合わせた瞬間、心臓バクバクだったけど、平静を装っていつも通り挨拶をした。


「あ・・・、ありがと・・・」


 あかりちゃんが、そっとシャーペンを受け取るために手を伸ばしてきた。

 ためらいを含んだその動きが、俺にはなんだかもどかしくて。

 俺は、無意識に・・・、あかりちゃんの腕をつかんでいた。


「!」


 あかりちゃんの見開かれると同時に、俺の手から滑り落ちたシャーペンが、カランっと小気味よい音を立てて床に転がった。


「・・・な、何・・・?」

「・・・・あかりちゃん」


 だめだってわかっているのに。
 困らせるだけだってわかっているのに。

 俺の口は、止まってはくれない。


「・・・血、吸ってほしい」

「!!」


 あかりちゃんの瞳が、俺をとらえて揺れる。


「・・・・せな、くん・・・」


 お互いの瞳を、食い入るように見つめる。
 まるで、お互いの瞳に、吸い込まれてしまいそうなほどに。

 俺は静かに立ち上がった。

 あかりちゃんの瞳が、瞬くたび揺れる。
 それでも、近づいてくる俺に、何も言わなかった。

 俺はゆっくりと、あかりちゃんの髪に触れた。


(血、飲んでほしい・・・)


 さらりと、絹糸のような柔らかな黒髪が、俺の指を撫でた。


(俺を・・・必要としてほしい・・・)


 そう思った瞬間、自分の中で、明確にこの苛立ちの意味が分かった気がした。

 俺は・・・あかりちゃんに必要としてほしいんだ。


「・・・あかりちゃん、俺は・・・」

「・・・・」

「俺は・・・君のことが・・・・」


 俺が言葉を続けかけたその瞬間、廊下の外で誰かの話し声が響いた。


「えー、それはやばいー」

「でしょー?でさー、しかもその後先輩がさ、めっちゃタイミング悪いことにね?」

「え、何々?」

「ちょうど私と先輩が話してるときにー・・・」


 二人組の生徒が、楽し気に笑い合いながら廊下を歩く声が聞こえてきた。
 あかりちゃんはそれを聞いて、はっとしたようだった。

 彼女らはおしゃべりを続けながら、そのまま俺たちのいる教室の前にさしかかる。


「・・・・っ」


 俺たちは息をひそめた。
 二人の心拍数が上がる。まるでそれが相手にも聞こえてしまうんじゃないか、って思うほど。
 息苦しくなるほど、張り詰めた空気が俺たちを包んだ。

 少しづつ、笑い声が遠ざかって行って・・・やがて、聞こえなくなった。

 その瞬間、あかりちゃんが目に見えて肩の力を抜いた。


「・・・・瀬名くん」


 あかりちゃんは俺の肩に手を添えて、弱々しく押し返した。


「・・・だめ、だよ。吸血は、もうしない。そう話したでしょ・・・?」

「・・・・」


 あかりちゃんの手から伝わる力は本当に弱々しくて、びっくりするほど優しかった。


(・・・そんなに優しくしないでよ・・・あかりちゃんも心のどっかで離れたくないって思ってるんじゃないか、なんて・・・)


 期待、してしまうから。

 でもだめだ。
 俺といることで、吸血をすることで、あかりちゃんが苦しんでしまうんだから。

 たやすく抵抗できるほどの力だったけど、あかりちゃんが俺を押す力に身を任せた。

 そっと、俺とあかりちゃんの間に、距離ができた。
 手を伸ばせば、届くほどの距離。

 でもそれが・・・やけに遠い。


「・・・俺はもう、必要ない?」

「・・・!」


 俺の言葉で、あかりちゃんの肩が揺れた。

 あかりちゃんはぎゅっと拳を握った。
 そして、ゆっくりとうなずいた。

 そのまま、あかりちゃんはうつむき続けていた。


「・・・そっか」


 俺の言葉が、教室に響く。

 『必要ない』。

 ・・・俺の過去が閉じ込められた、最悪の言葉だ。