耐え難い吸血衝動を覚えて、とっさに瀬名くんから離れようと思った。
 が、もう遅い。

 無意識に唾をのんでいた。


「あかりちゃん?」


 瀬名くんと目が合う。
 瀬名くんはそこでふと、私の異変に気が付いたみたいだ。

 言い表しがたい悪寒に、気が付いたみたいだ。

 あまりに突然のことで、瀬名くんも動揺して固まる。


「あかりちゃん、何を・・・」


 私は無意識に、牙をむきだした。


「瀬名くん・・・・、ごめ―――――」


 私はその瞬間、瀬名くんの首筋に、咬みついた――――――。


「ぅ・・・・・、あ、かりちゃ・・・・」


 ひとくち、ふたくち・・・・。
 口に流れ込んできた血を飲み込んだ瞬間、唐突に吸血衝動が収まり、我に返る。


「~~~~~っ!!!」


 大慌てで瀬名くんを突き飛ばしながら自分も後ずさる。


「はぁっ!はっ!はっ・・・・っあ、はぁっ!」


 息が整わない。
 呼吸って、どうやって、やるんだっけ・・・?


「せ、瀬名く・・・・わ、わた、私、あ、えっと、あの」


 動揺してまともに言葉が出ないが、瀬名くんが痛みで首筋をおさえているのを見てとにかくそれをどうにかしないと、と思い直す。


「せ、瀬名くん・・・!い、一瞬く、首、見せて・・・!」


 なぜかさっき咬みついてきた私に、すんなり傷を見せてくれる瀬名くん。

 吸血鬼の唾液は傷を治す効能がある、というのを聞いたことがある。
 試したことはないけどやるしかない。


「えっ!?えっ!?あかりちゃん!?」


 唐突に傷をなめられ、瀬名くんはあせったような声を出す。

 一か八かだったが、少しずつ傷が目に見えてふさいでいく。


「あ・・・・傷が・・・・」


 瀬名くんもそこで傷がふさいでいることに気づき、大人しくなる。


 少しずつ、少しずつ戻ってきた。
 もうちょっと・・・・!


「あかりちゃん、もういいよ。もう痛みはないから。ありがとう、治してくれて」

「・・・・・うん」


 すっと瀬名くんから身を離す。
 そして数歩分距離をとる。


「・・・・ごめん・・・、ごめんなさい・・・・・本当にごめんなさい・・・・瀬名くん、ごめんなさい・・・・」


 瀬名くんの顔を見られなくて、うつむいたまま何度も謝る。


「・・・・あかりちゃん・・・、あの、君は・・・・」

「・・・・・」


 ここまで来たら言うしかない。
 血を吸っておいてしらばっくれるなんてさすがに無理がある。


(明日からは・・・・もう、学校に来るのは無理かな・・・)


 吸血鬼の末裔なんて噂が広まったりでもしたら、居座ることなんてできない。


「・・・・私、あの・・・・、きゅ、吸血鬼の末裔なの」

「・・・・・吸血鬼・・・」

「うん、信じがたいと思うし、信じられないならそれでもいいけど・・・」

「いや・・・信じるよ。さすがにさっきのことがあればね」


 瀬名くんは戸惑いを押し殺すように首筋に触れる。


「えっと・・・・いろいろ聞きたいことはあるけど何から聞けばいいかわかんないな・・・」


 そう言って考えてこんだ瀬名くんが、しばらくして口を開く。


「・・・・あかりちゃんはさ、普段は誰の血を飲んでるの?通りすがりの人とか?」

「し、しないよ!そんなこと!」


 ところ構わず吸いまわっているみたいな誤解だけは避けたい。
 危険人物だと思われてしまう。


「私は本物の吸血鬼じゃないから、血を飲まなくても生きていくことはできるの。ただ、飲みたいっていう衝動がたまに来るだけで・・・・」

「じゃあさっきのは珍しいことなんだ」

「うん・・・・、普段吸血衝動にかられた時は、のら猫とか動物の血を少しだけ飲ませてもらうとか。まあのら猫なんてそう都合よくいないからたいていは自分の血を飲んで気持ちを紛らわす感じかな・・・」

「あ、じゃあもしかして今日も・・・・」

「レポート書いててふと血が飲みたくなっちゃったから・・・・、あの、誰もいないからって油断して自分のを・・・。普段はトイレの個室以外吸血しないのに・・・・」


 考えるほど自己嫌悪だ。
 あのとき油断したせいで、ことがどんどん肥大化して、最終的には瀬名くんの血を飲んでしまったんだから。


「ほんとにごめんなさい・・・・」

「いいよ、気にしてないからさ」

「・・・え」


 瀬名くんはほんとに気にしてなさそうな声色であっけらかんと言い放つ。


「代わりにさ、じゃあお願い聞いてくれる?」

「・・・あ、えっ、うん、もちろん・・・」

「俺あかりちゃんのごはんになりたいなー」

「もちろ・・・・・ん?」


 ごはん?
 どういうこと?


「俺の血定期的に飲んでよ」

「・・・・なんで?」


 いやこれはほんとにもうなんで?でしかない。
 いい人だと思ってたけどもしかしていかれた人の間違いだった?


「うーん、なんか面白そうだから?」

「その程度で血を飲ませるメリットがないような・・・」

「いや、なんかさ、日常ってつまんないじゃん。同じことの繰り返しだし、何が面白くて生きてればいいかわかんないじゃん?」

「・・・・・瀬名くんでもそういう風に思うんだね」

「え、何、俺どういうイメージ?」

「なんか・・・・毎日楽しそう?」

「すっげーお気楽な奴だと思われてる?俺」

「そ、そこまではいわないけど・・・・」


 まあお気楽だけどね、と笑う瀬名くん。


「別に毎日楽しいことはあるよ。友達と話すのだっておもしろいしさ、代わり映えしなくても案外日常はちょっとずつ変化してるしさ」

「・・・・うん」

「でもなんか・・・・こうやって大きな変化もなく日々を過ごして、高校卒業して、働いて、そんで老後過ごして・・・・とか想像するとたまに・・・・なんて言うんだろ、虚無感?うん、虚無感がやばい」

「まあ・・・気持ちはわからなくはない・・・かも・・・?私は自分の秘密を隠すので毎日精いっぱいだからあんまり考えたことないけど・・・・」

「そっかー。じゃあたぶん俺精いっぱい生きてないんだなー・・・」


 他人事みたいにぼんやりとそんなことを言う。


「まあ必死に生きてないってことは自分でも自覚してるけどね。と、まあこういうわけでさ、面白そうだから俺の血飲まない?」

「・・・・ほんとにいいの?後悔しない?」

「いやそんな干からびるほど飲まれると困るけど・・・・あとできれば傷治してほしい・・・」

「それはもちろん・・・!」


 じゃあいいよー、ってまた他人事みたいに軽く言う瀬名くん。

 なんか、こんな私に都合がいい条件でいいんだろうか。


「ほ、ほんとにいいの?」

「いいよいいよ、あ、それとももしかして俺の血ってまずい?」

「それはないけど!!」


 自分の血はたぶん本能的な理由からか、ほんとにまずい。
 申し訳ないけど動物の血もあまりおいしいものではない。

 さっき瀬名くんの血を飲んで感動した。
 甘露というものが存在するなら、きっと、こういう味だってくらい。


「じゃあいいじゃん。なにをそんなに迷ってんの?」

「そうなんだけど・・・・」

「ほんと気にしなくていいから。俺としてはついでにあかりちゃんとも仲良くなれたらラッキーだから仲良くしてよ」

「わ、わかった。がんばって仲良くする」

「なんかがんばってって言われるの心外だな・・・・」

「あ、ごめん」


 なぜかこうして、学校で一二を争うほど人気な瀬名くんと不思議な関係をもつことになってしまった。