瀬名くんに別れを切り出せないまま、三日が過ぎた。

 焦りと、やらせなさと、ためらいと、責任と。
 いろんな感情が私の中でうずまいて、ここ数日、まともに眠ることもできていない。


(どうしたらいいの・・・?私・・・)


 窓の外をぼんやり眺めながら、今日も今日とて渦巻く頭で考える。


「・・・り」


 わからない。


「・・・かり」


 どうすればいいのか。


「・・・・ぁかり!」


 どうすれば正しいのか。


「あかり!!」

「へっ!?」


 勢いよく耳に飛び込んできた声で、私ははっとした。


「あかり!さっきからぼーっとしすぎー!」

「・・・凛・・・、ご、ごめん・・・」


 目の前には、私のお弁当があった。

 そうだ、今はお昼ご飯の時間。向かいに座る凛のことなんて忘れて物思いにふけってしまっていた・・・。


「もー・・・最近なんかそういうこと多くない?なんか悩んでんの・・・?」

「・・・えっと」


 私は苦笑いをして、話題を逸らすために慌ててお弁当に目を向けた。


「あっ、見てこのハンバーグ、ハート型なんだ」


 箸で小さなハート型のハンバーグをつまんで、持ち上げて見せる。


「かわいいでしょ?昨日の残りなんだけど、お母さんといっしょに作って————」

「あかり」


 凛が私の話をさえぎった。


「無理に笑わないでよ、余計心配になる・・・」

「・・・・」


 やっぱり凛には敵わない。
 生まれてこの方いっしょにいるんだ、私が無理に笑っているのなんて、すぐ見抜かれるに決まっている。


「・・・あたしには、相談できないこと?」

「・・・ごめん」


 凛は小さく目を見開いた。


「・・・そっか」


 吸血のことは、凜であろうと、話すつもりはない。

 チカラさんにもバレて、しかももう吸血をやめようかって悩んでるときに何を言ってるのかって話だけど・・・・、

 それでも、瀬名くんとの約束だから。


「・・・気が変わったら教えてよ!いつでも相談乗るからさっ!」

「・・・うん、ありがとう、凜」


 凜は私のもやもやを吹き飛ばすぐらい、太陽みたいに明るく笑った。


 その日の放課後のこと。

 普段、凜の部活がある日は基本的に別々に帰る。
 だけど今日は凜から、いっしょに帰りたから部活終わるまで待ってて、って言われた。
 こんなこと、高校入って初めてだった。


(・・・凜、今日はなんで急に誘ってきたんだろ・・・)


 放課後、夕日が差し込む教室で、私はシャーペン片手にぼんやり考える。

 宿題をするつもりで教室に残っていたけど、正直いろいろ考えることがあって宿題なんて手につかない。


「・・・なんか、静か・・・」


 教室の外から、運動部の掛け声と吹奏楽部の楽器の音が遠く響いている。
 その遠巻きな騒がしさが、やけに教室の静けさを際立たせた。


「・・・・あかりちゃん」


 静かな中で・・・聞き慣れた優しい声が、私の名前を呼んだ。

 振り返らなくてもわかる。

 いつも、月曜日の朝、この教室でこうやって私の名前我呼ばれるのを、何度となく聞いたから。


「・・・まだ帰ってなかったの?瀬名くん」

「うん」


 瀬名くんが一歩ずつ歩いてきた。
 私は宿題に視線を落としたまま、瀬名くんの足音をただ聞いていた。
 瀬名くんは私の隣にやってくると、自分の席についた。


「大切な用事があって」

「・・・大切な用事?」

「そう」


 瀬名くんは大きく、ゆっくりとうなずいた。


「凛ちゃんに頼まれた、大切な用事」

「凜に・・・?」


 思わぬ返答に驚いて、思わず顔をあげた。
 瀬名くんと、目が合う。


「あかりの相談にのってあげてって」

「・・・!」

「何か悩んでるようだけど、あたしには話しにくいみたいだから、ってさ」


 そういうことか。

 それで今日、凜は部活終わるまで待っててって、そう言ったんだ。


「・・・ねぇ、俺じゃ話せない?」

「・・・・」


 言わなくちゃ。
 もう吸血をやめようって。

 凛が作ってくれたチャンス、逃しちゃダメだ。

 言おうと思って口を開いたけど、やっぱり唇が言うことを聞かない。


「・・・・やっぱ俺じゃ頼りない、かな?」


 瀬名くんがまたさみしげに笑ったのを見て、私は大きく息を吸った。


「瀬名くんに・・・っ!話が、あるの」

「!」


 瀬名くんは少し驚いた顔をしたあと、なんだか嬉しげに笑った。


「ほんとは、月曜日に、言おうとしてたこと」


 大丈夫。
 心を消して。
 淡々と言うだけだから。


「何?」

「・・・・吸血、もう、やめにしたい」

「・・・え?」


 瀬名くんが、虚をつかれたような声をもらした。
 けど私は視線をあげられなくて、どんな表情をしてるかわからなかった。


「私、人間だから。血を吸って生きていかないといけない自分が・・・たまらなく苦しい」

「・・・!」


 なんて伝えようって、ここ数日ずっと迷っていた。

 だけど、きっとチカラさんに吸血を見られてたってことや、瀬名くんの体を心配しているってことを伝えれば、きっと瀬名くんは納得しない。

 瀬名くんは優しいから。

 だから私のために吸血をやめにしたいって言うのが、きっと一番いいんだ。


「瀬名くんと過ごす時間は楽しいけど・・・同時にその時間は、私にとって人間じゃないってことを自覚させられる時間なの」

「・・・・」


「私は・・・たくさん友達ができて、学園祭を楽しんで・・・・それで思ったの。私がみんなと同じ完全な人間だったら、小学校も中学校も、こうやって生きてこれたのかなって」


 友達ができたのも、学園祭を楽しめたのも、全部瀬名くんのおかげなのに。

 こうやって瀬名くんを突き放している私。
 なんて・・・ひどいことをしているんだろう・・・。


「だから・・・もう、吸血はやめたい、です・・・」


 静かな教室の中に、私の声が重く響いた。


「・・・・そう」


 しばらくして、瀬名くんの返事が、ぽつりとまた重く響いた。


「・・・でも、大丈夫なの?血飲まなくて」

「・・・瀬名くんと会う前は血を飲まなくても普通に過ごしてたから。心配しないでよ」

「・・・そっか」


 瀬名くんは噛みしめるようにそうつぶやいた。


「・・・じゃあ、もう月曜日は会わない?」

「・・・・うん」


 しばしの無言が、私達を包んだ。


「・・・最後に、一度だけ、血、飲んでほしい」

「・・・!」



 驚いて瀬名くんを見ると、涙をこらえたように笑っていた。


「お願い」

「・・・・」


 断らなくちゃ。
 今日は木曜日。

 前回の吸血から、まだ三日ほどしか経っていない。


「これで最後だから」


 瀬名くんの言葉に、私は無意識に立ち上がった。

 そして瀬名くんの前に立つ。

 お互い何も言わないまま、顔を見つめ合った。
 まるで、恋人同士みたいに。


「・・・最後だから」

「・・・うん、最後」


 お互い、最後だと、そう自分に言い聞かせた。

 私はなるべくゆっくりと牙を差し込んで、流れ出てくる血を、一滴たりとも零さないよう、味わい尽くした。

 傷を治しきっても、まだ離れる気になれなくて、私は瀬名くんの首筋に、優しく唇をあてた。


「・・・あかりちゃん、ほんとに最後でいいの?」

「・・・・」


 嫌だよ。

 ほんとはすごく嫌だ。

 でもいつまでも瀬名くんの優しさに甘えていてはだめだから。

 私は唇で軽く瀬名くんの首筋を喰んだあと、何も言わず瀬名くんから離れた。


「・・・じゃあ」


 それだけ言って、私は鞄を手に取った。

 机に広げていた勉強道具を、乱雑に鞄につめこんで、足早に教室を出た。

 私と瀬名くんの二人だけの秘密。
 それが、壊れる音がした。