「あかりちゃん・・・・?」


 背後から聞こえてきた声に、びくりと肩が震えた。

 この声・・・・瀬名くんだ。


(み、見られた・・・・!見られた・・・!!!)


 とっさに何か言い訳をしようと思ったが、頭がうまく働かない。


「あかりちゃん、うずくまってるけど・・・具合悪い?どうしたの?」

「!!」


 見ら・・・・れてない?
 後ろの扉から入ってきたから、私の背中で死角になって見えてないんだ、とようやく思い至る。


「なっ、なんでもないよ・・・!!!」


 まだ思うように血が飲めておらず、くすぶっている吸血衝動。

 それを押し殺すように、咬みついたばかりの左腕を隠して縮こまる。


「具合悪いなら無理せず保健室いった方が・・・」


 心配してくれているのだろう、様子を見ようと瀬名くんは私のもとに近づいてくる。


「だいっ・・・!大丈夫だから・・・っ!!なんにもないから!!」

「え、でもなんか・・・・声が苦しそうだけど・・・・」

「ほんとにっ・・・!ほんとになんにもないの・・・!!」


 冷静になって考えれば、必死になって大丈夫と言い張るほうが余計心配だとわかるのだが、この時の私に冷静さなんてかけらも残されてない。


「あかりちゃ―――――」

「来ないで!!!」


 思わず出た大声で、瀬名くんもぴたりと動きを止めた。


「やめて・・・・・ち、近づかないでよ・・・・・お、おねがいします・・・・おねがい・・・・」


 いつの間にか涙が出ていて、涙交じりの私の声をきいて、瀬名くんは息をのむ。


「・・・・・ご、ごめんね。あの、もうこれ以上近づかないから・・・・」


 珍しく余裕のなさそうな声色の瀬名くん。
 振り向けないから顔は見えないけど。

 たぶん珍しさで言うと私が取り乱した姿のほうが珍しかったとは自分でも思う。
 教室では片隅で静かにしてるタイプだから。


「ごめん、あの、俺足ひねったから体育休むことになって・・・・、だけど、俺の席に・・・・って言うか、教室にいない方がいい?あの、いてほしくないならすぐ――――――ってえ!?」


 急に瀬名くんが驚いたような声を上げた。


「血!!えっ、血!やばいけど!!」


 そこではっとした。
 腕の止血をしてなかったのでだらだらと腕から血があふれ出していた。
 机に少しずつ血だまりが広がって、それが瀬名くんの死角からはずれたのだ。


「ちょ、普通に出るレベルの血じゃないけど・・・!大丈夫!?」

「・・・・だ、・・・・」


 声を出そうとすると思わず涙まで出てきそう。
 心配されると余計泣きたくなるからやめてほしい・・・・。


「ほんとに大丈夫・・・!?」

「・・・・・・だ、いじょうぶ・・・・・じゃ、ない・・・・・」


 言い終わったらまた涙が出てきた。


 大丈夫じゃない、全然大丈夫じゃない・・・・!!

 バカ、私のバカ・・・!
 秘密がバレたら学校来れないかもっておびえてたくせに・・・!
 爪が甘いんだよこのバカ!!!


 心の中で自分を罵倒しまくっている間にも、涙が止まらない。


「大丈夫じゃないんだね?俺、あかりちゃんのこと助けにいってもいい?」


 一歩も動かないまま、びっくりするほどやさしい声で、そんな風に聞いてくる。

 ほら、やっぱり。
 こういうとこ。
 瀬名くんの魅力は、見た目じゃないってやつ。


(でも、どうしたらいいんだろう・・・・、助けてもらいようがないよね・・・・)


 瀬名くんの優しさのおかげで冷静になりつつある頭で考える。

 正直言うと、吸血鬼は再生能力が高い。
 そのおかげで、足が吹っ飛んでも元通り、とまではいかないが、私も傷の直りが異常に早い。

 咬み跡自体は小さなものなので、体育が終わるころには跡形もなく治るはず。


(ただここでなんの助けも借りないまま、傷が完治してたら変だよね・・・・、つまりとるべき行動は・・・・)


 まだ吸血鬼であることがバレていないはずなので、どうにかごまかすために頭を巡らせる。


「・・・・えっと・・・、お、お願いがある」

「うん」

「ほ、保健室で、包帯もらってきて・・・・」

「わかった。血をふくものも持ってこようか?」

「お、お願いします・・・」


 瀬名くんは、待ってて、と言い残して保健室へと向かった。


「・・・・・よかった・・・・」


 バレてない。
 バレてない、大丈夫。

 自分に言い聞かせながら、心を落ち着ける。

 できれば瀬名くんが戻ってくる前にもう一度吸血しておきたいが、同じミスを繰り返すわけにはいかないのでぐっとこらえる。


(休み時間にトイレで吸血しよう・・・・)


 トイレで吸血するのはなんか気持ち的に嫌なのだが、そうもいっていられない。

 とりあえず万が一瀬名くん以外の人が来てもいいよう、ハンカチで少しでも机の上の血をふいておく。


「あかりちゃん、入ってもいい?」

「いいよ」


 教室に瀬名くんが戻ってきた。
 少し息が荒い。走って取りに行ったのかもしれない。


「包帯と、あと血をふくために雑巾とってきたよ。あかりちゃんがいいなら包帯巻いたり、血をふいたりするの手伝うけど・・・」

「あ、包帯を巻くのはひとりでしたい・・・・です・・・・」

「わかった」


 すでにほとんど消えている傷口を見られないようにしたお願い。

 包帯を巻くのだけひとりで、という妙なお願いだったが、瀬名くんは何も聞くことなく受け入れてくれた。 


「俺は一旦教室の外に出るから、巻き終わったら声かけてよ。包帯はここにおいておくね」

「ありがとう」


 瀬名くんが教室を出て、完全に扉を閉めたのを確認して包帯を巻く。


「ん・・・・・、い、意外と難しいな・・・・」


 自分で自分の腕に包帯を巻くのは案外難しい・・・。
 まあ傷はほぼ治っているので、巻き方は雑でもいい。傷がちゃんとまだ治らずにその下にあるということをアピールできればいいんだから。


「・・・・こんな感じでいいかな」


 巻き終わったところで教室の扉を開ける。


「瀬名くん」

「わっ」


 急に呼びかけたからか、思ったより驚いた反応をされる。


「あ、ごめん、なんかさっきまで距離とられてたから急に距離感近づいてびっくりしただけ」


 言うほど近くはないけど。
 まあ近づいちゃダメ、近づいちゃダメ、と思っていたところに急に近づかれたらびっくりするかもしれない。


「もう近づいてもいい?」

「うん」

「よかった。俺が嫌われてるわけじゃなかったんだ」

「嫌ってないよ!むしろ・・・、あの、感謝してる」


 私は瀬名くんに向かって思いっきり頭を下げる。


「ありがと・・・!!」

「こんなかわいい子に感謝してもらえるならお安い御用」


 瀬名くんはいつも通りの様子でそう言ってくれた。


「ま、感謝するのはとりあえずあの血を片付けてからかな」


 そう言って雑巾をもって私の机に近づく。


「うわぁ、結構すごい量だね」

「あ、瀬名くん、そんなの私がやるから・・・!」

「いいのいいの。結構血出たんだし休んだ方がいいって」

「いやいや血をふくとか嫌でしょ・・・!私の血だし私が――――――」


 瀬名くんに血をふかせないよう、慌てて雑巾を奪いにかかる。
 しかし途中で気づかれて手を引っ込められる。


「え、何々?俺と追いかけっこしたい?」


 またいたずらっ子のように笑いながら、私の手を軽やかにかわす瀬名くん。


「違・・・っ!じゃなくて雑巾をわたしてほしくて・・・・!」

「えー?どうしよっかなぁ」

「そういうのいいから・・・!」


 勢いをつけて奪おうとして、体勢を崩して瀬名くんにぶつかる。


「おっと、大丈夫?」

「あ、だいじょ――――――」


 大丈夫、と言いかけて状況に気づいてはっと飲み込む。

 今、私は瀬名くんの胸に抱きとめられている。


「ん、どしたの?俺にドキッとした?」


 茶化すような瀬名くんの言葉。


 ドキッとじゃない、ヒヤッとだ。

 少し前に言ったように、吸血衝動って空腹に似てる。
 何かに別のことに気を取られていたら忘れられるんだけど・・・・・、おいしそうなものが目の前にあると、突然。


 空腹を、思い出す。