あれは忘れもしない。
もし一時でも忘れてしまったら
自殺してもいいくらい、
忘れたくなくて、忘れてはいけないこと。
たぶん四年前くらい。
小学六年生のとき。
私は長谷川湊と初めて同じクラスになった。
初めて、と言っても、彼の存在は
入学したての頃から知っていた。
容姿端麗。成績優秀。運動神経抜群。
おまけに超がつくくらいのお人好しで、
優しい、どこかのラノベに出てくる
完璧という言葉が似合う、とかの
テロップが貼られたイケメンみたいだった。
んー…。この例えは分かりにくいかも
しれない。まあほんとにその通りで。
簡単に言うとイケメンということである。
そんな彼に惚れた人は、きっと
少なくないと思う。
外見も、内面も彼は美しくて、
凛と咲く、一輪の百合のような人だった。
私も、そんな彼に憧れて、恋をした。
…でも。
彼には付き合っている彼女がいた。
知ってるかな?
夏目涙っていう、私の親友。
知らないとは言わせない。
彼と同じくらい美少女で、
芯の強くて、たくましい女の子。
綺麗に完全中和したお似合いの
二人だからこそ、私は初恋を諦め、
二人に幸福が来ることを祈っていた。
まだ小学生なのに、ちょっと大袈裟だよね。
…それなのに。
九月の晴れた日。
私は彼が見知らぬ女の子と話しているのを
発見した。
彼女がいるのになんということか…。
とは思ったけど、それだけなら
百歩譲っていいとしよう。
上から目線だけど。
私が腹立ったのは別のことで。
「最近涙がうるさい」
「彼女さん?」
「そう」
「どんな感じなの?」
「受験生なのに遊んでて
大丈夫?って」
「それは休憩くらいさせて〜
って感じだね」
「お前より賢いんだから
安心しろって言いたくなる」
「何それ〜」
涙の悪口を、流れるように話す二人。
それが許せなくて。
私は気づけば二人の姿を
カメラでとらえていた。
「きっと二人は付き合ってる」
そんな妄想が頭を染めて、
私は学校のネット掲示板に匿名で、
「長谷川湊の浮気現場」
というタイトルを載せて、写真を公開した。
それはすぐに削除したけど…。
次の日学校に行くと、
写真はコピーされてあちこちに
広まっていた。
もともと私みたいに、彼のことを
好きな女子は多かったし、
そうじゃなくても、気遣いのできる
「優しい人」というキャッチコピーで
売っていたから、落胆と軽蔑で
彼を見損なった人は多かった。
そしてまもなく、涙から「彼と別れた」と、
報告が来た。
その時の私は、彼が浮気したと、
信じて疑わなかった。
二週間も経つ時には、噂は
学年中に広まり、
彼は周りから避けられるようになった。
私も涙を傷つけた彼に天罰を
下さないと、と言って、
「浮気野郎」「女たらし」という
不名誉なあだ名をつけた。
はっきり言って、その「天罰」の
首謀者は私だ。
えっへん。
彼が入ってきたら途端に教室の隅に
よって、被害者の涙とこそこそ話すという
計画を成功させて、彼をクラスから
追放してやったんだ。
それが正義で、正しいと思ってたから。
そんな日々が二ヶ月過ぎた金曜日。
私目線的に「浮気相手」である
女の子に話しかけられた。
彼女はふわふわとした笑みを浮かべて、
阿賀野菜々、と名乗った。
「湊のクラスにいた子だよね?
運動会でリレーのアンカーやってたから
知ってる。ちょっと聞きたいことが
あるんだけど…」
そう言って微笑みながらも一定の距離を
とる彼女に、疑念の表情を浮かべながらも、
私は話すことを許可した。
「湊がね、学校に行きたくないって言うの。
いじめられてるって。
無視されたり笑われたりするって。
本当にそうだったら大問題だから、
クラスの子に確認しようと思って…」
その時私は、初めて私が行った
行為がいじめだと言うことに気づいた。
私自身に失望した。
仮にも好きだった人をいじめて
しまったこと。
親友の幸せを奪ってしまったこと。
私が、そのいじめの首謀者に
なってしまっていたこと。
けれど、私は彼女に面と向かって
贖罪する勇気はなかった。だから、
「確かに変な噂はたってるけど、
私含めクラスメイトはそれが
嘘だって知ってるから、安心して」
と彼女に向かって微笑んだ。
彼女は途端に安心して、
「そう!よかった〜」
と言って立ち去ろうとした。
「待って」
私は彼女をとめた。
ひとつだけ、どうしても聞きたい
ことがあった。
「あなたは、長谷川くんとどんな関係?」
付き合ってるの?
とかいう言葉は追加しなかった。
彼女はゆったりと笑って、
「湊は従兄。
近くに住んでるの。
よく相談に乗ってて…。
この前も彼女さんのこと聞いてた」
「なんて聞いたの?」
訂正。ひとつじゃない。聞きたいことは
山ほどある。
「彼女さんと湊が同じ中学校を
受験するんだけど、彼女さんが
湊が遊んでると怒られるって。
彼女さんはこつこつ努力型らしいんだけど、
湊は天才型なんだよね。
だから今は湊の方が賢いけど、
そのうち他の子に追い越されるよって、
心配されてたらしいよ」
あっけなくそう答えた彼女。
私の怒りの原動力となった
「涙の悪口を言ったこと」は
全部勘違いで。
なのに私は早とちりして…。
「ありがとう」
そんな言葉すら口にせずに
私は自分の愚かさに絶望した。
私が描いていた妄想が、想像が、
全て音を立てて崩れ落ちていった。
月曜日になったら長谷川くんに謝ろう。
それで私が長谷川くんに
嫌われるとしても…。
そう決意した。
けど、実行することはできなかった。
土曜日の夜、父親が浮気していた件に
ついて、父母が喧嘩していた。
たくさん、ものが飛んだ。
皿にヒビが入って、割れて、
料理が地面に落ちて、それを
忍び込んできたありが食い散らかした。
離婚とかの事情で、私は学校を休んだ。
もどかしかった。
罪悪感で心が潰れそうだった。
そのあと、父親が母親に慰謝料300万と
養育費を毎月払うことが決定して、
私は母親についていき、
転校することになった。
隣町の母親の実家だったんだけど、
学区が違ったから通い続けることは
無理だって言われた。
私はこうして謝ることができずに、
別れを告げることになった。
転校してから、私は怖くなった。
私がいたら、誰かを傷つけてしまうのでは
ないか。誰かを悲しませて、
私も後悔してしまうのではないか。
それが怖くて、私は自分を
変えることにした。
綺麗だと涙に褒められた
ハニーブロンドの髪も
色が霞んだ黒色に染めて。
生まれつきの天然パーマも
真っ直ぐにして。
伊達メガネをつけて、
セミロングだった髪も伸ばして、
私は地味子ちゃんになった。
後悔はしなかった。
誰の目にも移らないのは
ある意味心地よいものだ。
誰にも高評価も、低評価もつけられない
っていうのは気楽なもので、
他の人よりも人一倍勉強を
していたから、いじめられる
余裕すらなかった。
中学は公立のところに進学して、
同じように勉強。
高校は憧れだった青百合学園に合格した。
そして、中学を卒業して高校に入学
するまでのある意味ニートとも言える時期。
私は、未練を抱えながら
ベッドに寝転がる。
詩人っぽく語ってみる。
これまでの人生は正しかったのだろうか。
私はいつになったら贖罪を
できるのだろうか。
わからない。わからないけど。
存在する過去は、永遠には
朽ち果てないから、
私は今ここで思い出している。