何度も聴いた曲、何度も弾いたベースライン。
 もともと楽譜は頭に入っている。
 あとは、その場で演奏されるみんなの音に合わせながら、一音一音丁寧に弾くことができればいい。

『バスドラの音をしっかり聴いてね! 小節の頭でベースとバスドラを揃えること!』
 Bメロの複雑なフレーズを演奏しながら、特訓中モニ先輩に何度も言われたことを頭の中で繰り返した。
 バスドラこと「バスドラム」は、テツ先輩が足でペダルを踏んで叩いている大きなドラムのこと。
 バスドラムとベースの低音がうまく重なることで、曲の土台の「ノリ」が安定する。

『浅野くん、一番初めの日に言ってたベースの役割について、もう一回教えてくれる?』
 めんどくさそうな顔をしながら、わかりやすく説明してくれた浅野くん。
 サビの疾走感のある部分を弾きながら、その解説を頭の中で復習した。

 テツ先輩のドラムと一緒に、曲のリズムを生み出す。
 モニ先輩と浅野くんの奏でるハーモニーを、土台から支える。

 バンド演奏全体の安定感が、あたしにかかっているんだ!
 
 ——二番、ギターソロ、そして最後のサビと進み、やがて曲が終わった。

 やっぱり完璧にはならなくて途中で二回くらい音を間違えちゃったけど、あのときよりも地に足のついた演奏ができた気がする。

 気づけば、左右の手がびっしょり汗をかいていた。
 口の中が干からびて、頭がガンガンする。 
 水が……水が飲みたい。
 片付けたらすぐに水分補給しなきゃ。

 ふらつきながら、おそるおそる弓野会長の顔を見る。
 会長は目をつむって少し沈黙したあと、ゆっくりと口を開いた。
「少しは良くなったではないか」
 組んでいた腕が、ほどかれる。
「合格だ」

 ——弓野会長の宣言が、引き金だった。
 全身の力が抜けた。
 手足が言うことを聞かない。
 どうやらあたしは、ベースを抱えたまま仰向けに倒れようとしているみたいだ。
 ああ、このまま頭を硬い床にぶつけるんだな。怖いな。
 だんだん意識が遠くなって、視界がぼんやりとしてきた。

 気を失う直前だった。
「みかるー!!」
 全力であたしの声を呼ぶ声。
 あわただしく舞台の床を踏む足音。

 「みかるん」でも、「みかるちゃん」でも、「瀬底さん」でもない呼び名。
 あたしを呼んでいるのは、誰だろう——