ハートがバキバキ鳴ってるの!

「なにぼーっとしてんの? 今日はまだ帰ったらダメだから。部室に戻るぞ」
 橋之口の姿が見えなくなったあと、浅野くんがあたしのポロシャツの襟を掴んで引っ張った。
「いたいいたい、自分で歩くって」
 無言であたしの首元から手を離した浅野くんが、スタスタと足を早めた。
 置いていかれないように、歩幅を広げてついていく。

「浅野くん……来てくれてありがとう」
「あんまり気にすんなよ。部外者の言うことなんて」
「へっ?」
 聞こえた言葉が信じられなくて、上ずった声が出た。
 浅野くん、今あたしを慰めてくれた?

「これから練習なんだから。くよくよされてちゃ困るんだよ」
「あ、うん……」
 そうだよね。
 浅野くんはあたしのために来たわけじゃない。
 あくまで、特訓係としての責任を果たそうとしているだけ。

 三年生のいない放課後の四階。
 微妙にずれた二人分の足音だけが、空っぽな廊下に響き渡る。

「まったく。このタイミングで辞めるのは良くないってことくらい、自分でもわかるはずだ」
「うん、ごめんね。本番までそろそろ一ヶ月って時に突然抜けるなんて、みんな困っちゃうよね」
「それもそうだけどさ」
 書き損じのプリントをくしゃくしゃにするような調子で、浅野くんが続けた。

「こんな辞め方したら、あんた絶対後悔するだろ」

 ——最悪だ。
 泣かないって決めてたのに。
 ずっと我慢してたのに。
 楽器から音が鳴るように、体の仕組みに従って涙が溢れ出した。
 下半身の支えが効かなくなって、へなへなと膝をつく。
 床を見つめながら泣きじゃくる以外、どうすることもできなかった。
 なにに泣いているのか、自分でもよくわからないまま。

「ちっ。自分で歩けるんじゃなかったのかよ」
 心底めんどくさがる声が聞こえたかと思うと、制服の(えり)をまた引っ張られた。
 なされるがままに立ち上がって、さっきより少し落としてくれたペースについていく。
 
 部室へ向かってふらふらと歩く間、涙が床を濡らし続けた。
 けれどもそれは、録音を聴いてこみ上げた重たい涙とも、橋之口に傷つけられて出てきた黒い涙とも全然違う種類のもので。

 伝った頰の細胞一つひとつを救ってくれた。