ハートがバキバキ鳴ってるの!

 思わず、教室左端に目をやる。
 声の主は、窓の外を見ながら退屈そうに頬杖をついていた。
「浅野くん、今は瀬底さんにテストしているのよ」
 猫なで声で諭す西園寺先生。

 けれども、浅野くんは引き下がらなかった。
「眠気覚ましなんですよね?」
 浅野くんの右手の中で、ペンがくるっと一回転する。
「おれもこの授業すごく眠いんで、音感テスト受けたいです」
 
 カチッ、カチッ……。
 時計の秒針が、時限爆弾のタイマーのようにリズムを刻んでいる。
 怖くて、西園寺先生の顔を見られない。

「その人——」
 浅野くんの切れ長の目が、ちらりとあたしを見た。
 教室の両端同士、ほんの一瞬だけ目が合う。
「昨日ベース始めたばかりで、今頑張って基礎を覚えてるんです」

 瞬間、体の中から、ほくほくした温かい気持ちがこみ上げてきて。
 耳元にこびりついていた粘り気が、どこへともなく消えてしまった。

「一人だけ試されてロックのこと判断されるのもなんかなーって思いますし、おれも軽音部なんで、テストしてくれませんか?」

 西園寺先生が、冷たい目のまま口元にだけ笑みを浮かべた。
「いいわ。自信がありそうなことですし、少し難易度上げるわよ」

 西園寺先生が鍵盤を叩くと、さっきの二音よりずっと高い音が響いた。
「A#(シャープ)
 即答する浅野くん。

 西園寺先生の手が、大きく右に動く。
「G#」
 よそ見したまま、唇を素早く動かす浅野くん。

 次は、西園寺先生が三つの音を続けて鳴らした。
「F、C#、B」

 わずかに顔を歪ませた西園寺先生が、今度は複数の鍵盤を同時にタッチしていく。
 なにがなんだか、あたしにはもうわからない。
 だけど、浅野くんはどれもこれも、音が鳴った次の瞬間に回答した。
「Em(マイナー)
「Am」
「G7(セブンス)

「大したものね、浅野くん」
 西園寺先生が、とうとうピアノから手を離す。
「いえいえ」
 浅野くんが、わざとらしく右手を顔の前で振った。
「大衆音楽のくせに、出しゃばってすみませんでした」

 西園寺先生は、浅野くんの言葉には反応せず、こほんと咳払いした。
「それでは、授業の続きを進めます」
 教卓の前に戻り、教科書を読み上げる西園寺先生。

 すっかり眠気が覚めたあたしは、先生が音読した文字を目で追いながら、頭の片隅で考える。

 衣替えって、いつからだっけ。
 手のひらからにじみ出た汗が、夏服を求めてじんわりと叫んでいた。