妊娠中はつわりがひどくて、明子さんにすごく助けてもらった。マタニティ教室には明子さんと文博さんも一緒に参加してくれて、三人で新しい命を迎える準備を進めることができて、ひとりで育てるんじゃない。私には頼もしいふたりがいるんだと安心して出産を迎えることができたんだ。

 陣痛が起きてから、出産までに十二時間以上かかった。その間、ずっとふたりは私に付き添ってくれて元気な女の子を生むことができた。

 さらに驚きなことに、明子さんは私が突然訪ねてきたその日のうちに、私には内緒で両親に連絡をしていたのだ。

 それからも私のことを逐一報告していたらしい。妊娠したことも知らされていた両親は、私の陣痛が始まったと連絡をもらうと、すぐに家を出て北海道まで駆けつけてくれた。

 明子さんと文博さん、そして両親の立ち合いのもとに生まれてきた赤ちゃんに、私は強く生きてほしいという願いを込めて凛(りん)と名づけた。

 凛の出産に立ち会った両親は、家を飛び出して音信不通だった私を怒ることなく、泣きながら「よく頑張ったな」と褒めてくれた。

 退院するまで北海道に滞在してくれて、その間にたくさん話し合った。最初は戸惑ってしまい、なかなか自分の気持ちを伝えられなかったけれど、両親は私が話すまで待ってくれた。

 両親は私のことを許してくれたとしても、私は遼生さんとの思い出がたくさんある東京に戻りたくなかった。

 それに明子さんと文博さんをはじめ、商店街の人とも離れたくないし、凛には自然が豊かで温かい人たちがたくさんいるこの場所で、元気にのびのびと育ってほしいという思いもあった。