あむの部屋の扉の前で透李の動きが一瞬止まったが、気を取り直したようにゆっくり扉が開かれた。透李はあむの手を離すとすこし居心地が悪そうにする。あむが透李に椅子を渡すと透李はそれに腰かけた。あむもベッドに腰掛け、しばらく無言の時間が続く。

「なんでもない、あれは本気で言っていたのか?」

透李の静かな声が部屋に響いた。

「へ?」

「全く…間抜けが、なんでもないなどと宣(のたま)っていたが、あれは本気だったのかと聞いている」

透李が真剣な眼差しで聞いてくる。しっかりメイクはしたはずなのに顔色が悪いことに気づき嘘もバレてしまった。部屋に連れきたということは、しっかり話せということだろう。

「透李っちは……怖いものあるんすか?」

「ふん、我が臆することなどない。我を恐怖の象徴とするものはいるだろうがな」

少なくとも妖怪やお化け、幽霊の類が怖いわけでは無さそうだ。

「おらちは女郎蜘蛛なんすよ?」

「無論知っている」

「女郎蜘蛛の主食ってなんだと思います?」

「貴様は今久遠の朧月の調理せし供物を食しているではないか」

…正論だ。しかし、女郎蜘蛛の本当の主食は男の血肉だ。男を魅了し、捕食する。それが楽しかった。確かに女郎蜘蛛としての血が自分にも宿っていた。しかしあむはもうそんなことをしたくなかったのだ。だから今の主食は人間と同じものを摂っている。緋女がリスペクトを示している日本国の米を握っておにぎりにしたものが今の好物でもある。

「男の人っす」

「……」

透李の眉だけがピクリと動いた。

「……怖いんすか?おらちが。仕方ないっすよね、人間は妖怪が怖い。昔から決まってることっすから。この見た目も何十年も変わってないんすよ。透李っちからすると少し年上のお姉さんにみえるかもしれないっすけど、もう100歳はゆうに超えて…」

「下らん、余計な御託は良い。
訳を話せ、貴様が芳しくなかった訳をだ」

透李が少し突っぱねるようにいった。 やはり理由を聞きたいようだ。

「…夢を見たんすよ。おらちが、食べた男が恐怖の顔をしてたのを、思い出したんすよ。あはは…分かってたはずなんすよ?おらちは妖怪なんだから人間に好かれるはずない、
嫌われてるって…」

あむは俯いて涙を我慢する。すると透李が口を開いた。

「何を言っている。貴様も人間だろ」

柔らかい声色が耳に響いた。

「今の話…聞いてたっすか?それでもおらちを人間って……」

「無論聞いていた。
しかし先刻も言ったはずだ。貴様の過去に興味など無い。忘却する必要もない。懺悔の必要もない。そんなもの、我にとっては取るに足らない有象無象の一つだ。
今の貴様を見てみろ、自分を見据えてみろ。
貴様は今しかと感情を持ち、人間の気持ちに寄り添い、人間のことを考え、そこから答えを導き出している。
…これを人間と言わずしてなんと言うのだ」

透李がはぁとため息を着く。

しかし透李とは対照的にあむは涙を流す。
透李はギョッとし、慌てる素振りを見せた。

「どうした、我の宣告に対して異を唱えるのか?」

あむは涙を拭って、透李ににっこりと笑いかけた。

「そっか、おらちも人間なんすね!」

「だから…そうだと言っているだろう。もしや貴様、深淵の夜にも沈んでいないな?」

涙でファンデーションが落ちてしまったのか隈に気づいた透李があむに顔を近づける。整った顔が近くに来たのと、彼に…透李に顔を近づけられたことで顔が上気していく。

「…血色が良くなったか?まぁ良い。冷徹の玄武には我から伝えておこう。今日は休め」

透李はそういうとあむの部屋を出ようとして、ふと足を止めた。

「そうだあむ」

「!?」

突然の名前呼びに困惑している暇もなく、透李が扉の方を向いたまま言葉を紡ぐ。

「これより光が昇りし時、我が門を叩け。貴様がいなければ目覚めが悪い」

それだけ言うと、部屋を出ていってしまう。

…どういうこと、これからも来いってこと!?なんで!?というかなんで名前呼びなの!?などと考えることは沢山ありそうだったが、昨日の寝不足のせいで安心とともに強烈な眠気が襲ってくる。あむは1度思考を横に置き、眠ることにした。

次の日、透李の部屋に行くと何故かいつも通り怒鳴られたが、これはまた別のお話。