神殺しのクロノスタシスⅤ〜前編〜

成程、ネズミが出入りする穴がある訳だよ。

ここは、食べ物を調理する場所なんだ。

カチャカチャいう音は、食器同士が擦れ合う音だったようだ。

厨房の中には、さっき俺達を踏み潰しかけたシェフの他にも。

コックコートを着た何人かの料理人と、それを補佐しているらしい、メイド服姿の女性がいて。

いずれも二足歩行で人間の姿なのに、首から上はネズミだった。

皿を運んだり食材を運んだりと、厨房の中を忙しそうに働いている。

…実に慌ただしい厨房だ。

皆忙しないなぁ…。これじゃあ、下手に動くと、またしてもプチッと踏み潰されかねない。

踏み潰されなかったとしても、俺達の存在に気づかれたら厄介だな。

だって、厨房に虫が彷徨いてるんだぞ?

料理に入ったら大変とばかりに、摘み出されそう。

充分に注意して進まなければ。

それにしても、食材やら食器やら、様々なものに囲まれた厨房の中で。

人目につかず、かつ踏み潰されないように進むのは至難の業だぞ。

どうしたものか…と、俺は頭を悩ませていたが。

「くんくん。あぁ、良い匂い…。これはチョコレートの匂いだね。くんくん。チョコケーキの匂いだな」

…馬鹿シルナは、呑気にチョコレートの匂いを堪能していた。

…何やってんだお前。

そんなに余裕なら、お前一人で探してくれないか。

つーか、見た訳でもないのに、匂いだけでチョコケーキが分かるのか?

チョコレートに関しては、警察犬顔負けの嗅覚を見せるシルナである。

「真面目に探す気がないなら、さっきのネズミ穴に押し込むぞ」

「さ、探す、探すよ。分かってるよ」

本当かよ。

「気をつけて進むぞ。うっかりバレたら大変だし、それに踏み潰されたらひとたまりもない」

「う、うん…」

俺とシルナは、出来るだけ壁際に沿って歩き始めた。

こんなこそこそと、人目を忍んで歩く羽目になるとは。

なんか悪いことでもした気分だな。

「…しかし、探すって言っても…何処を探せば良いんだ…?」

都合良く、招待状が床に転がっている訳もなし。

「台所に物を隠すとしたら…やっぱり、食器棚の中?…鍋の中とか?」

このサイズで食器棚に潜り込み、鍋の中を探れと?

危険極まりない旅だな。

だが…このまま床を歩いていても、踏み潰される危険があるだけで、何も見つけられなさそうだ。

何とかして、まずは調理台の上に登りたい。

「ここに、テーブルはあるけど…」

出来上がった料理を置いておく為のテーブルである。

とりあえずここに登れば、随分視界が広がるはずだが。

問題は、どうやって登るかだ。

まさか、テーブルの脚に捕まってよじ登る訳にもいかず…。

…すると。

「…!羽久、あれ見て」

シルナが、何かに気づいた。

シルナの指差す先には、一本の糸が床に垂らされていた。

テーブルクロスの一部が、解けてしまっているのだ。

ひょろひょろとした糸でも、今の俺達には、命綱のロープも同然。

ここから登りなさいと言わんばかりの、アリスの気遣いを感じる。

その親切心には、素直に感謝するけども。

だからって、簡単に登れる代物ではないぞ。

今の俺達にとっては、床からテーブルまでの距離は、標高何千メートルの巨大な山のように長い。

途中で力尽きたら、固い床に真っ逆さまだ。

まさに、命懸けの登山になりそうだ。

…しかし。

「…仕方ない、行くか」

他に選択肢がないなら、前に進むしかないだろう。

…前にって言うか、上なんだけど。