ドアベルが、チリンと鳴る。

 東京都渋谷区にある人気の少ない喫茶店の奥の席に、彼は座っていた。瑞己(みづき)に気がつくと深くお辞儀をする。珈琲の匂いが充満する店内を進み、被っていた麦わら帽子を脱いで瑞己も同様に頭を下げた。

「初めまして。北条(ほうじょう)瑞己です。今日はわざわざお時間を作っていただきありがとうございます」
「そんな、畏まらなくていいですよ。どうぞ座ってください」

 下がった目尻に刻まれた皺と腰の低さから柔らかい雰囲気が醸し出されている。席に着くと花柄刺繍がされた白いハンカチでこめかみや首筋を拭った。テーブル上にあるアイスコーヒーの入ったガラスのコップも汗をかいている。

「今日は暑いですね。最高気温が35度を超えるとか」

 彼もまた紺色のハンカチを額に当てた。

「話をする前に、少し世間話をしませんか。お互いのことを知ることは初対面では大事なことです。ほら、瑞己さんも何か頼んでください」
「お気遣いありがとうございます。私も神楽(かぐら)さんと同じアイスコーヒーにします」

 それから注文したアイスコーヒーが運ばれてくるまでの数分間、初対面の彼ーー神楽孝俊(たかとし)と自己紹介を交えた会話をした。

 高峯神社の神主である彼がラフな格好をしているのを見るとなんだか変な感じだ。実は瑞己は「初めまして」ではなく、神社に参拝に行くとき何度か見かけたことがあった。しかしこうして顔を合わせて挨拶をするのは初めてだった。

「そうですか、瑞己さんはあの裏通りのカフェでアルバイトをされているのですね。今度立ち寄ってみます」
「はい、美味しいコーヒーを出しますね」

と言って口角を上げると、神楽も嬉しそうに笑った。

「ーーでは、そろそろ本題に移りましょうか」

 改めて言われて、瑞己は自然と背筋が伸びた。神楽の真っ直ぐこちらを見据えてくる目。決して淀んでいなくて、切り取られた真実を見てきたような黒い瞳だった。瑞己もこの真剣な思いを伝えたくて、目を逸らさなかった。

「あの日のこと、教えていただけますか」

 その一言でふっと強い風が吹き抜けたように記憶が蘇ってくる。葉が擦れる音、湿った土の匂い、美しい横笛の音色、少年の眼差し、右の頬の、ヒリヒリとした痛みまで。鮮明に思い出せる。五年前にタイムスリップしたような錯覚に陥る。

「ーーはい。あれは私が15歳の夏のことでした」