お花見から数日後、朝の掃除をしていたら事務所裏で社長に出会った。お互いに始業前、会社の掃除をしているけれど、時間帯が合うときにしかバッタリ出くわさない。

「おはようごさいます」

「おはよう、幸山さん」

相変わらず爽やかな社長は朝日を浴びてキラキラと輝いている。
本日も見目麗しい。
見ているだけで私のドス黒い心が浄化されていくよう。

「桜が散ってきてしまいましたね」

たくさんの花びらは地面を覆い、枝には緑の葉が生い茂っている。
あんなに綺麗に咲き誇っていたのに、あっけなく散っていく。
まるで私の心と同じ。
楽しい思い出は一瞬で消え去るのだ。
なんだか虚しい。
お花見はあんなに楽しかったのに。

「どうかしたのか?」

「あ、いえ……」

「元気がなさそうに見えたのだが?」

伺うように柔らかな視線を向けてくる社長の気遣いは上手い。胸がぎゅっとなる。

「……桜が散ってしまってなんだかもの悲しくなっただけです。お花見のときはあんなに咲いていたのに、今はもうだいぶ散ってしまったから。あっけないものですね」

八重桜が綺麗に咲いていたから名付けられた私の名前「やえ」には一瞬の栄華しかない。
桜が散ってしまったら終わり。
次の春が来るまで身を潜める。
私にはそれくらいの価値しかない。
年に一回咲くことができるだけましだろうか。

「幸山さん、始業までまだ時間がある。ちょっと付き合ってほしい」

「はい」

歩き出す社長の後を追う。

大きな背中はとても頼もしくて、縋りたくなるときがある。
いつも私の心を癒してくれるのは社長の存在だ。
今の久賀産業にとって社長の存在は大きく、この人がいるから働こうって思っている人も多いと聞く。
私もその一人で、社長が私たち社員を大切にしてくれているから、今日もまた頑張ろうって思える。

私は頭をブンブンと横に振る。
暗くなっていた心を無理やり閉ざした。

しっかりしろ、やえ。
ここは家じゃないんだから。
わざわざ嫌なことを思い出して落ち込むなんてもったいない。
せっかく素敵な社長といられる貴重な時間なんだから。