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桜の花びらが舞う。
柔らかな風に乗ってひらひらと、まるで雪のように静かに降り積もる。

俺は手を伸ばしたが花びらはするりと手のひらをすり抜けた。

「幸せが幾重にも訪れるように」

一人の男性が小さな子どもを高く掲げた。まだ一歳くらいであろうその子は、ふええと泣き出す。

「もう、高く抱っこしすぎよ。やえが怖がってるじゃない」

男性の妻だろうか、咎めるその声は思ったよりも優しい。

「ほら、見てごらん。これが八重桜よ。やえと同じ名前。綺麗ね」

「たーた」

何と言ったのだろう。まだ発語が未発達でも、彼女が声を発するたびに三人は幸せそうに笑う。理想的な家族像だ。
突然やえはよちよちと歩き出す。まだ足元がおぼつかない。今にも転んでしまいそうだ。

「やえ、どこ行くの?」

両親に呼ばれても、やえは振り向くことなくこちらにまっすぐ進んでくる。俺の前まで来ると、おもむろにズボンをぎゅっと握った。

「えっ……と、……どうした?」

やえと呼ばれているこの子はあの『やえ』なのだろうか。
やえは大きくくりっとした瞳で俺を見る。

「たーた」

「え?」

不思議に思っていると目の前で風が巻き上がる。桜の花びらと共にぶわっと視界が揺れ、思わず目を閉じた。
風がやみ、再び目を開ける。