どうしよう、どうしよう、涼くんが高橋さんを噛んでしまった。血を飲んだかもしれない。

 校内を行くあてもなく走り回る。依然として涙が溢れて止まらず、呼吸がしにくい。パタパタ乾いた靴音が廊下に響く。

「おっと危ない!」

 突き当りを左に曲がると向かいから誰かがやってきていた。その人は白衣を翻し、寸でのところで衝突を回避する。

「おや、浅見さん?」

 相手は柊先生だった。わたしは顔をそむけ、涙を雑に甲で拭き取る。

「今はHRの時間では? どうかされたんですか? いや、どうかしたから泣いてらっしゃるんですよね?」

 答えない。

「あぁ、昨日の非礼はお詫びします。申し訳ございませんでした」

「……いえ」

 それどころじゃない。涼くんが鬼になってしまったかもしれない、わたしのせいで鬼になってしまったら、どうすればいいのか。

 頭を深々下げる柊先生の脇を通り過ぎ、また走ろうとする。思考が堂々巡りであろうと立ち止まれなかった。止まれば最悪の結論へ至ってしまうから。

「待ってください、浅見さん!」

「離して下さい」

「どちらへ?」

「……」

「浅見さんを泣かせるのは、夏目君と高橋さんの件ではないですか? 夏目君はーー」

 鬼のワードを出されたくなくて先生の口に手を押し当てた。

「涼くんは鬼なんかになってませんよ! なるはずないです! 変な言い掛かりはやめて下さい」

「落ち着いて。息をゆっくり吸って、はい吐いて」

 先生は手を外して、わたしの両肩をがっしり壁へ押し付けると動きを封じた。深呼吸をしなさいと言われても罪悪感が込み上げて無理だ。
 先生を睨み、はっ、はっ、と切れ切れな呼吸をする。

「ど、どうしよう、わたしのせいでーー」

「浅見さん、保健室へ移動しましょう」