確かに、後悔すること自体が、単純に“ない”のと、後悔することが“分からない”って、意味が全然違うよね。

『死ぬ間際に“あれをやっておけばよかった”って思えることは、何を後悔すればいいのかすら分からないまま死んでいくよりも幸せだと私は思うのよ。だって、少なくとも“後悔する事柄”を知っているから』

・・・深いな。松田さんの言葉。
もしかしたらこの言葉を聞くために、私は「今日、ウィザードに行くことになっていた」のかもしれない。

結局この日、私が薄く視えた人は、松田さんがほんの一瞬だけ(たぶんホントに薄く視えたはずだ)。
それから「ウィザード」を出た後、迎えに来てくれる父さんを待っていた間に一人だけ薄く視えた。

それは大学生くらいの若い――だけど同じ大学生の一兄ちゃんよりかは見た目年上の――20代前半くらいの男の人で、私に声をかけてきた人のうちの一人だ。
ちなみにこの日は3回声をかけられた私を、界人が3回とも全部睨みで撃退してくれた。

基本的には普段から心身を鍛えてる私一人で対処できるんだけど、私に声をかけてきた男の人は、顔や手と言った目に見える箇所は薄く視えるのに、声はそのまま“ちゃんと”聞こえるから余計不気味だった分、気分が少しだけ悪くなってしまったから、界人の助けがないと私一人で対処できなかったと思う。

それでもまだ、私は界人や父さんや、とにかく誰にも人が薄く視えることがある現象を話さなかった。

二日後の朝、鏡に映った私自身の顔と手が、薄く視えてしまうまでは。