――僕は、雫さんが好きだ。大好きだ。

 さらりと揺れる漆黒の艶髪も、その髪から香る柔らかいシャンプーの香りも、ぱちぱちと瞬く長い睫毛も。

 細くて白い指は割れ物のようにひんやりと儚くて、僕が両手で包み込んで温めてあげたくなる。

 僕を呼ぶその声に、何度胸が鳴っただろう。
 赤い唇から紡がれる、甘い甘い蜂蜜のような君の声に。

 温室へ行くと、雫さんは純白の車椅子に体を預けてうたた寝をしていた。

 すぅすぅと、形のいい唇から可愛らしい息遣いが聞こえてくる。

「雫さん……」

 ほんのりと桃色が乗ったその頬に触れると、雫さんが微かに身動ぎをした。

 起こしてしまったかなと、慌てて手を引っこめる。
 しかし、雫さんは深い眠りに落ちているようで、その瞳が開くことはなかった。

 僕はホッと息を吐き、カフェテーブルを振り返る。

 カフェテーブルの上にあるのは、雫さんの大好物のマカロンが詰まったバスケットと、小さな小瓶。
 可愛らしい赤い硝子でできたその小瓶に詰まっているのは、彼女の息の根を止める毒。

 今なら、やれる。一緒に持ってきたマカロンに、これをたったの一滴垂らせばいいだけ。

 この人は、僕の好きな人かもしれない。でも、同時に兄を殺した残忍な魔女だ。

 両親は兄がいなくなってとても苦しんだ。

 思い出すことすら辛くて、いつしか綿帽子の家から、『兄』はいなくなった。

 僕は一人っ子として、両親にとても大事にされた。
 兄は殺されたんだ。魔女に。だから、魔女は狩らないといけない。

 小瓶を手に取る。中には透明な水のような毒。
 僕は、小瓶の蓋を開けた。

 震える手で、マカロンの上に雫を落とした――。

「――ムギちゃん? どうしたの?」

 雫さんが僕を不思議そうに見上げる。突然呼ばれた名前に、僕は慌てて笑みを取り繕う。

「なんでもないよ。それよりほら、食べよう。今日は雫さんの大好きなマカロンを持ってきたから」
「やった! マカロン!」

 雫さんは声を弾ませ、バスケットの中のカラフルなスイーツをひとつ、手に取った。

 雫さんが選んだのは白いマカロン。続けて、僕も赤いマカロンを手に取る。

 大丈夫。君が逝くのを見届けたら、僕も後を追うから……。
 そして雫さんは、ぱくりとマカロンを食べた。