ローズはエステルとピンク色の髪の少女に付き添われて、休憩室にやってきた。エステルはローズをソファーに身を横たえさせ、室内に用意されていた水差しの水をグラスにそそぐ。

「ローズ様、お水をどうぞ」

 青白い顔で、震えながら水の入ったグラスを差し出す。
 涙目で今にも目からしずくがこぼれ落ちそうだった。

(きっと、自分のせいだって責めているんでしょうね……)

 ローズは少し罪悪感をおぼえた。
 入っていた粉は、ローズの手下が調べたところ眠り薬のようだった。毒ではない。

「ありがとう」

 ローズはグラスを受け取ってから水を少しだけ口にした後、大きなあくびをした。その様子を見逃さず、ピンク色の髪の少女が調子の外れた声で言う。

「ローズ様、どうぞ気にせずお休みになられてください。誰かが来たら私達が起こしますから」

「そう? 悪いわね……。何だか、妙に眠くて……」

 ローズはそう言うと、そのまま横になって目を閉じた。間もなく、静かな寝息を立て始める。
 それから五分ほど沈黙の時間があり、ローズの口元に誰かの手が伸びた。

「……すっかり眠っているみたいね。薬の効果は抜群だわ」

 そう言ったのはルシアだった。先ほどは声色を変えていたのだろう。
 エステルが声を震わせて言う。

「あ、あの……やっぱり止めませんか? もう良いじゃないですかっ」

「良い訳がないでしょう。まだブレスレットを手に入れてないもの。これさえあれば、私はまた栄光の座に戻れるんだから」

(なるほど……そういうことね)

 ローズは内心嘆息した。
 エステルをけしかけてルシアは一体何をしようとしているのかと思っていたが、未来に戻ろうとしていたのだ。
 ルシアがローズの手首に手をかけた瞬間──。
 休憩室の扉が開き、兵士達がなだれ込んできた。先頭にいたのはディランだ。彼はルシアを睨みつけると、剣を抜いて近付いてくる。

「俺のローズに何をするんだ!?」

「ディ、ディラン殿下!? そんな……っ! さてはエステル、告げ口をしたわね……!」

 そうルシアから恐ろしい顔で怒鳴られ、エステルは身をすくませて首を何度も振った。

「し、してないわ! そんなこと……」

 ローズはエステルをかばうように前に出る。

「エステルは何も知らないわ。私がルシアの企みに気付いただけよ」

 ルシアの周囲には兵が囲んでおり、逃げ場はもうない。ルシアはやけくそになったのか憤怒に顔をゆがめて叫んだ。

「ローズ! あなたのせいよ! あなたさえいなければ、全てうまくいったのに……ッ! 私は次期聖女で、伯爵夫人として成功した人生を送れていたのに! 私の方が若くて美しいから妬んでいたんでしょう!? そうに決まっているわ! だから私をひどい目に……! このクソアマ、責任取りなさいよ!」

「貴様! 聖女様になんて口の利き方を……ッ」

 兵士達がルシアの腕を後ろ手に拘束した。たしなめられても頭に血の昇ったルシアには通じていないようで暴れている。
 ローズはため息を落とす。

「ルシア、あなたのやりたいことって、他人の婚約者を盗み、人の弱みに付け込んで相手を言いなりにすることだったの?」

 その言葉に、エステルがビクリと大きく身を震わせた。ローズが事の成り行きを知っていることを悟ったのだろう。その場に崩れ落ちる。

「あ……ごめ……ごめんなさい、ローズ様……わたしは……」

 ぽろぽろと涙をこぼし始めたエステルを、ローズは痛ましげに見つめる。
 けれど神殿を預かる長として、身内びいきの処罰をするわけにはいかない。書類を偽造し、主犯ではないにしてもルシアがローズの私物を奪う手助けをしたのは事実だ。お咎めなしにすれば内部から反発が生まれてしまう。
 ──ゆえにローズは望んでいない処罰でも与えなければならない。

「エステルは事情聴取のために神殿の自室で謹慎しなさい。処分が決まり次第、追って沙汰を言い渡すわ。それまでは見張りをつけるから逃げることはできないから」

 ローズの言葉にエステルはうな垂れた。
 未だに兵士を振りほどこうともがいているルシアが、顔をゆがませて笑う。

「ちょっと! 私も神殿に連れて行く気? 良いわ、やってみなさいよ!」

 ルシアの言葉に、ローズは少し首を傾げた。

「いいえ? あなたの処分に私は関わらないわ。だって、すでに神殿から追放されているし、信者の名簿からも名前が消えているもの。だから、ルシアの処罰は国が決めるでしょうね」

「え……?」

 ルシアの身が固まる。
 パルノア教はその立場上、罪を犯した神殿女官や信者に与えられる最上級の罰は神殿追放や破門だ。
 たとえば死刑に相当するような重罪を犯した者がいる場合は破門させてから国に処罰を求めるのである。ルシアはとっくの前にパルノア教から破門されているから、ローズが悩む余地もないのだ。

「……これ以上は私の権限が及ばないわ」

 当然だが、国の処罰は神殿ほど優しくはない。
 聖女の私物の窃盗は重罪だ。自分に下される罰を察して、ルシアは甲高い悲鳴を上げてローズに向かって「ブスのくせに! ブスのくせに!」と、わめき散らした。そのまま兵士達に連れられて行く。
 エステルも兵士の手によって神殿に連行されることになった。
 静かになった部屋の中で、ディランがローズを抱きしめる。

「……大丈夫ですか?」

「……ええ。ありがとう」

 致し方ないこととはいえ、身内に罰を下すのは気が滅入る。そしてエステルには同情してしまう部分もあるのだ。
 落ち込んで黙り込んでいるローズに、ディランは「クソッ」と舌打ちした。

「ディラン?」

 不思議に思って顔を上げたローズに、ディランはふてくされたように言う。

「ローズはブスではありません……むしろ絶世の美貌だと思います。あのルシアという女……なんて失礼なことを言うんでしょうか」

 言われた言葉に、ローズは噴き出した。

「ディランったら……でも、ありがとう」

 彼の軽口が暗い空気を吹き飛ばしてくれたように感じた。ローズは心からの感謝を込めて、微笑む。
 そして少し表情を暗くした。

「……やっぱり、ルシアは処刑されてしまうのかしら?」

「おそらくそうなるでしょうね。俺はそれが妥当だと思いますが」

「そう……さっきはああ言ったけれど、やっぱりルシアが処刑されるのを見るのは後味が悪いわ。私に権限はないけれど、もし可能ならもう少し刑を軽くしてほしいの」

 ローズの言葉にディランは目を剥いた。

「本気でそう言っているのですか? あんな真似をされておいて?」

 うなずくと、ディランは諦めたような顔で苦笑する。

「……本当にローズは優しいですね。あなたの願いはどんなものでも叶えてあげたいので、できる限り尽力しましょう。それにローズに権限がないということはないですよ。ローズは未来の王太子妃で、今も俺の婚約者なのですから」

 ディランがそう言ってくれて、ローズは安堵した。
 そして、ローズはふと思う。

(そういえば……ルシアはゴードン様の元へ身を寄せていたはず。この計画は彼も加担していることかしら?)

 おそらくそうであったとしても、ゴードンはしらを切るに違いないが……。彼もじっくりと調べられることになるだろう。

 そして、後日ルシアは宮殿の地下牢に連れて行かれて厳しい取り調べを受けた。
 聖女の私物を盗み暴行を加えようとしたことや、神殿女官の立場を利用して好き勝手なことをしていたことが明るみに出たが、処刑は免れて終身刑となった。
 ルシアの私物は没収され、それを元に聖女ローズへの賠償金の支払いが行われた。
 刑が言い渡された時、ルシアは泣き崩れたという。その時、彼女は聖女に対する感謝と悔恨の言葉を口にしたと記録されている。