薙野清香の【平安・現世】回顧録

「……だけど、もしも清香が選ぶ人が崇臣じゃなくても、俺は構わないよ」


 東條がそう言って、清香の方を振り返る。
 崇臣の名前を聞くだけで、清香の頬が紅く染まる。心臓がバカみたいにドキドキと高鳴っていた。


「芹香も絶対同じ気持ちだと思うんだけど……俺はね、清香に幸せになってほしいんだ」


 東條はそう言って、屈託のない、少し幼い表情で笑った。清香の瞳からまた、涙が零れ落ちる。


「お互い、現世では後悔のないように」


 清香の目の前にスッと手が差し出される。崇臣よりも一回り小さい、まだ幼さの残る手のひらだ。
 清香が顔を上げると、東條は真剣な表情を浮かべ、真っすぐにこちらを見つめていた。


『主上と握手など……』


 過去の自分ならばそう思って固辞しただろう。けれど清香は、迷いなく己の手を差し出した。

 東條が微笑みながら、清香の手をギュッと握る。清香も同じように、東條の手を握り返した。
 心がじわりと温かい。清香が微笑むと、東條は満足げに目を細めた。


 いつの間にやら公園には、すっかりと夜の帳が降りていた。
 こうしている間にも、時は刻一刻と刻まれていくし、決して留まることを知らない。


(私も……先に進まないと、ね)


 密かな決意を胸に、清香は踵を返したのだった。