新そよ風に乗って ③ 〜幻影〜

「まだ、熱が下がらないみたいで。すみません。何回か、アイスバッグは交換したんですが……」
「そう。ありがとう。陽子ちゃんが居てくれて、本当に良かったよ。この後は、お陰でかなり緩和されるはず」
「そんな、何も出来なくて私……」
「どうかした?」
「あっ。いえ、何でもないです。早く、高橋さんの熱が下がるといいんですけど」
「じゃあ、ちょっと診てくるか。言うこと聞かない患者を」
明良さんがバッグの中から聴診器を出して、手慣れたように首から提げた。
明良さんは、やっぱりお医者さんなんだ。明良さんが来てくれたから、此処に居ても返って気を遣わせてしまいそうだから、もう私は帰ろう。
「あ、あの、明良さん」
「なあに?」
「私、もう失礼してもいいですか?」
「えっ? 帰っちゃうの? あっ。それとも、何か用事があった? ごめんね。せっかくのお休みなのに、夕方まで付き合わせちゃって」
「いえ、とんでもないです。それじゃ、明良さん。よろしくお願いします」
「あいよ」
玄関まで明良さんが見送りに来てくれたので、急いで靴を履いて玄関から出て、明良さんが玄関のドアを閉めたことを確認してから、大きく深呼吸をした。
高橋さん。お大事に……。
高橋さんのマンションから出て駅まで歩いていく途中、初冬の緩い西日を遠い前方に感じながら立ち止まって目を閉じた。
やっぱり、高橋さんのことは心の中だけで想っていよう。
それ以上、多くを望むと哀しさや虚しさが伴ってしまうから。
オレンジ色の陽の光を浴びながら、そう心に誓っていた。

高橋さんの熱がだいぶ下がったと、明良さんからメールが日曜日の夕方届き、ホッとしながら週明け会社に行くと、高橋さんはもう来ていて席に着いていた。
「おはようございます」
「おはよう」
熱が下がって良かったですねと言いたかったが、仕事とは関係ないことと言い聞かせて席に着くと、見覚えのある高橋さんの文字が書かれた書類が机の上に数枚置いてあった。
「ああ。それ、また仮払いお願い出来るかな」
「あっ。はい」
見ると、書類は全部出張の仮払いで、11月20日から、香港、北京、シアトル、シカゴ、ロサンジェルス、ニューヨークと書いてあった。
高橋さん。ずっと、出張に行ってしまうの?
大袈裟かもしれないけれど、こんな世界中を駆け巡るように出張に行くなんて……。一昨日、あんなに熱があったのに、もう出張の話をしている高橋さんに何だかとても不安になってしまう。こんなに体を酷使して働いて、大丈夫なんだろうか? 出張に行かれるのは、高橋さんだけなの? 他の人と手分けしてとか、出来ないのかな。
でも……。
きっと、高橋さんでないと駄目だから、こんなに目一杯ハードスケジュールなんだ。
「これ……」
エッ……。
高橋さんの声と共に、私が手に持っていた出張仮払いの書類を左手の人差し指で指していた。
「北京と香港のスケジュールが逆になるかもしれないけど、一応スケジュール組まないと仮払い下りないから、取り敢えず入れておいたから」
「はい」
「じゃ、よろしく」
「あの……」
無意識に席に戻ろうとしていた高橋さんを引き留めてしまい、高橋さんが振り返って私を見た。