新そよ風に乗って ③ 〜幻影〜

残りのトーストをコーヒーで無理矢理流し込んで洗い物を済ませると、出掛ける支度を自然と始めていた。
ドレッサーの前に座りながら、鏡の中に映る自分に心の中で自問自答している。
最初から、もう決めていたんだよね?
昨日、高橋さんのIDカードを見つけた時から、心は決まっていたんだ。
高橋さんの家まで届けに行くと……。
土曜日の午前中。車の往来も少なく静かな朝が始まっていた。まだ街は、やっと起きたばかりといった雰囲気だけれど、背中に浴びる太陽の陽射しがとても暖かく感じられ、まるで後押ししてくれているように思えた。
高橋さんに電話をしてから行こうか、どうしようか迷ったが、もし電話をしたら、高橋さんが取りに来ると言いそうな気がしたので、直接行くことにした。もし、行って留守だったとしても、ポストにメモを残して帰って来ようと思っていた。やっぱりIDカードは大事なものなので、ポストに入れてくる等は出来ない。直接、会って手渡ししたい。間違いがないようにするためにも、そうしたかった。
高橋さんのマンションに向かって歩いていると、街路樹が少しずつ紅葉し始めていた。
もう11月だから、そんな季節になったんだ。
もうすぐ冬がやってくると思うと少し憂鬱になりそうだったが、あの冬独特のキーンと寒さに比例するように張り詰めた冷たい空気と、暖かい部屋の中からその張り詰めた世界に出て行った時の緊張感と吐く息の白さがやけに懐かしく思える。
見覚えのある交差点を曲がって少し歩いて行くと、高橋さんのマンションが見えてきた。
マンションの車路を歩きながら、高橋さんがどんな表情をするかを想像していたら、エントランスに近づくにつれて自然と歩調が速くなっていった。
緊張しながら、エントランスで801を押して呼び出しのボタンを押した。
ピンポーンという呼び出し音がしていたが、なかなか応答がない。
高橋さん。お留守なのかな? でも、何も連絡しないで来たのだからお留守でも不思議じゃない。
デジタル表示された801を画面で見ながら、バッグの中からメモ用紙を出そうとした時だった。
「はい」
エッ……。