新そよ風に乗って ③ 〜幻影〜

しかし、簡単に私の右手は脇に振り払われてしまい、高橋さんの左手が私の顎を動けないように押さえつけた。
数センチのところに高橋さんの唇があって、少しでも動けば高橋さんと唇が触れてしまう。高橋さんの息が掛かるほどの距離で、私の目も唇も捉えて離さない妖艶な瞳。
もう駄目……。
身から出た錆。
近過ぎる高橋さんに心臓が破裂しそうで、堪えきれずにゆっくりと目を閉じた。
すると、そんな私の心を見透かしていたのか、予測してたとでもいうように顎を掴んでいた左手を離すと、高橋さんが閉じている目から溢れた涙をそっと親指で拭ってくれた。
「お前は、そんな女じゃないだろう? この期に及んで、偽ったところで何になる?」
エッ……。
うわっ。
目を開けると、高橋さんの顔が目の前にあった。
「そ、そんなことないです。そ、それは、高橋さんの買いかぶりです」
「フッ……。だったら、何故泣いてる?」
高橋さん。
「お前。正直だから、身体震えてる」
やっぱり、高橋さんには見透かされていたんだ。多分、最初からずっと……。
「俺に気を遣う前に、もっと自分自身を大切にしろ」
「ごめんな……さい」
「人は、人の手を借りて生きていくんだ」
そう言うと、私の左頬を高橋さんの右手がそっと包んだ。
「正しくは、人の手を借りないと生きては行かれない。人は、生まれてくる時から人の手を借りてこの世に生を受け、人の手を借りたり、人に手を貸したりして互いに生きていく。それが手を借りるだけにとどまらず、時に人を蔑んだり、恨んだりもするが、一方で褒めたり、羨んだり、許したりもする。血の通った感情を持ち合わせている人間は、常に明るい場所だけを歩いているわけではない。暗い場所を歩き続けている時もある。だが、その人を明るい場所に導いてあげられるのも、また人にしか出来ない術だ。人に手を貸すということは、苦しんでいる人に手を差し伸べられるかどうか。それが、実際に手を差し伸べるだけではなくとも、言葉を投げかけることでも同じことだと思う。お前が俺を気遣って偽りの自分を見せたことは、ある意味、優しさなんだと思うが、元はといえば俺が悪い。いくら酔っていたとはいえ、軽率な行動をとって悪かった。許してくれ」
高橋さん……。
優しい眼差しの奥に見え隠れする哀しい瞳と、包み込むような声。
自分のとった行動に対する謝罪。