新そよ風に乗って ③ 〜幻影〜

「矢島ちゃん?」
「矢島ちゃん。さようならあ」
酔った栗原さんの声が聞こえていたが、無視してバッグの中からお財布を捜していた。
「あの、中原さん。これで……」
バッグの中のお財布から5千円を出して、中原さんの前に置いた。
「矢島。これじゃ、多すぎだよ」
「高橋さーん。私も眠くなっちゃったから、あの格好いい車で送ってって下さあい」
格好いい車って……。
「今日は、無理だ」
「えぇっ? どうしてぇ?」
「飲んだから、運転は出来ない」
「そんなあ。じゃあ、タクシーでもいいから一緒に帰りましょう?」
もう、聞きたくない。
「それじゃ、お先に失礼します。おやすみなさい」
早口で挨拶をして、小走りで居酒屋の出入り口に向かう。
「おい、矢島。待てよ」
「矢島ちゃん。お疲れ様。気をつけてね」
後ろから、折原さんと中原さんの声が聞こえていたが、高橋さんの声は聞こえなかったのが凄く寂しかった。
エレベーターに乗って居酒屋の入っているビルから出ると、お店の中が暖かかったせいか、少し肌寒く感じられた。
駅に向かいながら、穏やかになれない気持ちにだんだん自己嫌悪に陥っていった。
研修生なんだし、ずっと一緒にこの先も仕事をするわけでもないのに……。それなのに、不快に感じて帰ってきてしまうなんて。さっき栗原さんが露骨に態度に表していたのと、何ら変わりないようで、自分の方が社会人生活が長いのに凄く恥ずかしくなってしまった。
それでも、やっぱり割り切れない部分があって、いつまでも対処出来ない気持ちを電車に乗りながら引きずっていた。
高橋さんは、栗原さんを送っていくのかな?
そのことを想像すると、とても胸が痛くなって駅からの足取りも遅くなってしまい、今日はマンションまでの道程がやけに遠く感じられた。
やっと最後の曲がり角を曲がって歩道を歩いていると、前から誰か歩いてくる姿が見えた。こんな時間だと、やっぱりこういう時代なので、擦れ違う時は緊張してしまう。まだ離れていて顔までハッキリとは見えないが男性のようなので、なるべく離れて擦れ違えるように、歩く位置を少し左側に寄って歩みを進めた。
あと、10メートル……。あと、5メートル……。
緊張が増してくる。
すると、前から歩いてくる男性も、左側に寄ってこちらに向かって歩いてきていた。
嫌だな。このままじゃ、ぶつかってしまう。
エッ……。
なるべく目を合わせないようにと、俯き加減に歩いてきたのだが、直近で足下を見ながら歩いていると相手の靴が見えて、まさに目の前に前から歩いてきた男性に道を塞がれた形になってしまった。
怖かったが慌てて顔を上げると、目の前にスーツ姿の男性が笑っている表情が、街灯の光で青白く映し出されていて、それが尚一層怖さを増長して思わず一歩下がってしまった。
酷く、お酒臭い。