新そよ風に乗って ③ 〜幻影〜

やっぱり、話そう。
仕事中だったけれど、ポケットにはあのビラがまだ入っている。高橋さんは、午前中は会議がないみたいだし、今がチャンスかもしれない。
意を決して席を立って、高橋さんの席に向かう。
栗原さんの後ろを通れば早いのだけれど、敢えて遠回りして中原さんの後ろを通って通路側から高橋さんの席の横に立つと、思い切り栗原さんと目が合ってしまった。
だ、駄目。
此処で怯んでいたら、高橋さんに話せないもの……。
「あの、高橋さん。今、ちょっとお話してもよろしいでしょうか?」
すると、パソコン画面から数字を走り書きでメモ用紙に何行か書き取っていた高橋さんが、立っている私を見た。
「はい。どうした?」
「あの……」
「高橋さぁん。急に、パソコンが動かなくなっちゃったんですぅ」
な、何で?
「分かった。栗原さん。何もしないで、そのままにしておいて下さい。今、見ますから」
「はーい」
「矢島さん。此処じゃない方がいいか?」
「は、はい」
「分かった。中原。ちょっと、会議室に居……」
「あーん。何か、画面が真っ暗になっちゃったあ」
栗原さん……。
「あ、あの、高橋さん。私は、後で構いませんから」
「そうか? 悪いな」
「いえ……」
とても、話せるような雰囲気ではなかった。
栗原さんの甘えた声が、事務所内に響いてしまうだけでも、何だか自分が悪いことをしているような錯覚に陥ってしまう。
落ち着かない気持ちのまま席に戻り、頭になかなか入っていかない書類に目を通す」
「何をしたんだ?」
「分からないんですぅ。何か、ここら辺を押しちゃったような気がするんですけどお……」
栗原さんが、高橋さんに顔を近づけている姿が目に入ってしまい、居たたまれなくなってトイレに行こうと席を立った。
事務所内に流れる、好奇の目で見られる空気が尚更、心を動揺させる。
何とか気持ちを切り替えようとトイレに行って戻ってみると、栗原さんのパソコンは直ったみたいで、高橋さんも自分の席に着いてパソコン画面にまた向かっていた。
「お帰りなさい。パソコン、高橋さんが直してくれたんで動きました」
「そ、そう。良かったわね」
勝ち誇ったように言った栗原さんは、それから暫く静かだったので、少し仕事に集中できて助かっていた。
「今日のランチは、栗原さん。悪いが中原と1便で行ってくれないか?」
「えぇっ? 何でですか? 高橋さんは、何かあるんですか?」
「ちょうど、1本電話をしなければならないところがあるから、私は2便で行きます」
「そんなぁ。それなら、私も2便で行きます」
「栗原さん。決められたことは、ちゃんと守らないと」