新そよ風に乗って ③ 〜幻影〜

肩をポンと叩かれて、振り返ると折原さんが直ぐ後ろを歩いていた。
「おはようございます」
折原さんは、まだ知らないのかな? あのビラのこと。
「何て顔してるの? 朝から暗いわよ? もっとシャキッといかなきゃ、シャキッと」
うわっ。
折原さんに真後ろに付かれて、両肩を持たれて背筋を伸ばされた。
「そう。それで、ヨシ! いい? 内部告発の意味も分からん奴のこと等、気にすることないから」
折原さん……。
耳元でそう囁かれた後、振り返ろうとした私の両肩を持って押さえると、折原さんは振り返らせてくれずに、今度は両肩をポンと叩かれた。
「大丈夫。高橋が居るから、何も心配いらないわよ」
「でも……」
「この折原さんも居ること、忘れないでよね?」
折原さん。
前を向いたまま、折原さんとひと言、二言会話を交わしたが、直ぐに朝礼が始まる号令が掛かってしまった。
「朝礼始めます。おはようございます」
「おはようございます」
各担当の持ち回りで、毎朝、通達事項を朝礼で発表するのだが、今朝はその通達事項のメモを取るのも忘れて高橋さんの姿を捜していた。
身長の低い私が、大勢の中から高橋さんを捜すのは至難の業だが、背の高い高橋さんは比較的壁際に立っていることが多い。何故なら、朝礼直前まで部長達が座っている、所謂、雛壇に座っている人達と打ち合わせをしていることがあるため、そのまま朝礼に参加していたりするからだ。会議やそういう打ち合わせがない時には、普通に中原さんや私の隣に立っていて、決して自分を誇示せず、目立とうとしない高橋さんだったりする。
何処に居るんだろう?
あまり動くと目立ってしまうので、視線だけ忙しく動かしていると、やはり壁際に立って通達事項を手帳にメモしている高橋さんの姿を発見した。
エッ……。
しかし、その隣にベッタリ寄り添うようにして、栗原さんも立っている。
いつの間に?
中原さんは、私の隣に立っているのに、栗原さんは、いつの間にか高橋さんの隣に居る。
遠くから見ても分かるぐらい、栗原さんは高橋さんの右腕にベッタリ寄り添うように立っていて、何故かそれを見て思わず目を背けてしまった。
結局、通達事項を全くメモすることもなく朝礼が終わってしまい、何のための朝礼なのかを分かっているのに、見す見す自分の私的感情だけに忙しくて無駄に過ごしてしまったことで、自己嫌悪に陥っていた。
「ほら、シャキッとする」
「は、はい」
折原さんに、今度は背中を軽く叩かれて我に返った。
「矢島ちゃん。高橋は、そこら辺の軽い男とは違うから。それだけは、よく覚えといてよ?」
折原さん……。
「さあ、仕事、仕事」
そう言って、折原さんは先に行ってしまった。
そこら辺の軽い男とは違う……。
本当は、後ろを振り返って高橋さんの姿をもう1度確認したかったけれど、隣に栗原さんが居ると思うとそれも躊躇われた。
私も、仕事しなきゃ。
頭では分かっていても、いざ席に着いて隣に栗原さんが座って高橋さんに話し掛けている声を聞くと、やはり仕事に集中できない。おまけに周りに視線も気になって、益々集中できないでいる。
高橋さんは、まるで何事もなかったように仕事に集中していて、今朝のビラのことは、本当に知らないような気がした。
やっぱり、高橋さんに話した方がいいのかな?
もし……もしも、高橋さんが、あのビラのことを知らないとしたら、それはそれでよくない気がする。誰かに突然聞かれたりしても、困ってしまうだろうし……。