週が明け、美玲が連日当たり前のように残業していると、学が話しかけてきた。

「美玲! 今週金曜日の総会の飲み会、行くだろ?」
「あー……ごめん、無理かな」
「は? なんでだよ? 芹香もくるぞ?」
「仕事が溜まってるの。支払い締切と研修用の資料があるし」
「はぁ? 研修資料って……それ係長の仕事だろ。なんでお前がやることになってんだよ」

 学は予想通りに眉を寄せ、詰め寄ってきた。
 
「まぁ……成り行きで」
「成り行き?」

 苛立った様子の学から、美玲は目を逸らす。

(気まずい……係長が残ってなくてよかった)

「お前、なんでそうなんだよ。いつもなにも言い返さないでさぁ……お前見てると、イライラすんだよ」
「……ごめん」

(学の言う通りだけど……でも、べつに学に迷惑かけてるわけでもないんだから、そんなに怒らなくたっていいのに)

 美玲は肩を落とす。美玲は学の低い声は苦手だった。学のことは好きだが、学の声はどことなく臣に似ているのだ。

「……あ、いや。ごめん、俺こそ」

 学はバツが悪そうに頭を掻く。気まずい沈黙が流れ、時計の音だけが響く空間に、また別の声が響いた。
 
「あれ、君たちまだ残ってたんだ」

 美玲にとって、一番会いたくない人が来た。

「……朝霞さん」
「お疲れ様です、朝霞さん」
「お疲れ様」

 部屋の中を、どこかピリッとした空気が張り詰めている。
(なんか嫌だなぁ……早く帰ってくれないかな、朝霞さん)

 しかし、恐れていたことが起こってしまった。学が怜士に突っかかったのだ。

「……あの、朝霞さんッスよね。係長に今度の研修の資料を頼んだの」

 怜士の視線が学を捉え、笑顔を絶やさずに聞き返す。
 
「そうだね。それがどうかした?」
「おかげでコイツの仕事が増えたんですけど」
「やめて、学。違うの。あれは私が勝手に引き受けただけで、朝霞さんはなにも関係ない。変なこと言わないで」
 美玲は慌てて学の腕を引き、牽制する。
「だから、そういうところがムカつくって言ってんだよ! いっぱいいっぱいなくせに、いい子ぶってんじゃねぇっつーの」

 学の怒鳴り声に、美玲はびくりと肩を揺らした。

「……まぁ、気持ちはわかるけどね」

 ポツリと呟いた怜士に、美玲と学は口を噤んだ。

「なんすか」
「藤咲さんの言う通り、俺が頼んだのは山本係長だ。でも山本係長から勝手に仕事を引き受けたのは、藤咲さん自身だよ。俺が責められるいわれはないと思うけど」

 怜士の思ったよりも冷ややかな言葉に、美玲は俯いた。
「……そうだよ。全部、私が悪いんだから」
 胸がぎゅっと絞られるように痛む。

(なに傷ついてるんだろう……朝霞さんの言う通りなのに)
 
 すると、学がさらに苛立ちを露わにした。

「へぇ、他人事ですか。原因作ったのはあんたなのに」
「彼女がはっきりと断ればよかっただけの話じゃないのかな」
「コイツはそれができないんですよ。朝霞さんだってコイツの教育係だったなら、それくらいわかるでしょう」

 美玲を置いてけぼりにして口論を続ける二人に、
「やめて……。もういいから。これは私のことなの。学も朝霞さんも関係ない。だから、放っておいて」

 美玲はそれだけ言うと、パソコンに向かい仕事を進め始めた。

「と、いうことみたいだよ。君は少し彼女に甘過ぎなんじゃない? じゃあ俺も、伝票置きに来たたけだから。お先」
「お疲れ様でした」
 辛うじて、平静を装い挨拶を返すけれど。美玲は泣くのを堪えるので精一杯で、とても笑顔を浮かべることはできなかった。

「……すましやがって。なんなんだよ! マジムカつく!」

 学は舌打ちをして乱暴にバッグを掴むと、美玲を置いて退庁した。