研修が終わると、美玲は怜士に連絡をした。待ち合わせたのは、例のバー。軽やかなBGMの中、二人はグラスを交わす。
 
「すみません。呼び出してしまって」
「いや。俺もちょうど飲みたい気分だったから。それで、話って?」
「あ……それより研修どうでしたか? 係長はなにも言ってなかったけど……」

 つい言い出しづらさから、美玲は話を逸らしてしまう。
 
「あぁ……うん。まぁ、ひどかったね」

 怜士は思い出したように苦笑した。
 
(ですよね……)

「主査の根本(ねもと)さんがほとんど回してくれてたよ。でも、おかげで目が覚めたんじゃないかな」

 怜士は研修の話を、スッキリしたような笑顔で話していた。美玲はその横顔に思わず口元を緩める。

(朝霞さんは相変わらず容赦がない……)

 怜士とそれぞれの研修の話を終えると、
「……実は私、恋人と別れました。ようやく……といっても電話でしたけど、なんとか気持ちを伝えることができました。全部朝霞さんのおかげです」
「俺はなにもしてないよ。でも……そうか。お疲れ様」

 その声はひどく優しくて、美玲の涙腺は堪え切れず緩んでいく。
 
「……あの、ひとつ聞いてもいいですか?」
「ん?」
「婚約してるって噂は、本当ですか?」

 その瞬間、いつも平静を保っている怜士が、珍しく驚いた顔をした。

(そっか……)

 その表情は、すべてを物語っていた。美玲は目を伏せる。

「……本当なんですね」
「……そうだね」

(それなら……もうこの人とは会っちゃいけない)

 失恋の合図に、美玲の温まっていた心が急激に冷えていく。それでもなんとか最後まで笑顔でいようと、泣かずに別れようと、美玲は精一杯に声を出した。
 
「……今日は呼び出してしまって、すみませんでした。それから、こんな個人的な話も……でも、話せて良かったです。また月曜日、職場で。おやすみなさい」

 声が震えないように一気にまくし立てると、美玲は溢れそうになる涙を堪えてバーを去った。

「えっ……ちょっと、藤咲さん?」

 怜士は逃げるように帰っていく美玲へ手を伸ばすが、その手は情けなく空を掴んだ。

「まったくあの子はそそっかしいんだから……」

 美玲が頼んだハイボールの氷が、カラリと寂しげな音を立てる。
 怜士はグラスを見つめ、苛立ったように眉を寄せた。
 そして。
 怜士にしては余裕のない所作で立ち上がり、バーを出た。