ぴちゃんと、水滴が滴り落ちる音が響いた。あとは、なにも聞こえない。かろうじて、かすかな息遣いが聞こえるが、檻を蹴飛ばしても、もう反応する力も残っていないようだった。

 暗闇の中で、サクはじっと茶色い毛玉を見下ろした。九本に別れた尾は、力なく地面に垂れている。

 しばらくじっと見つめていると、目が暗闇に慣れたからか、毛玉の中心がかすかに上下しているのが見えた。

 どうやら、東洋からはるばるやってきた妖狐は、まだ生きているらしい。

「……早く楽になればいいのに」

 ぽつりと呟いた言葉が、静かな空間にじんわりと広がっていく。

 そのとき、息をするのもやっとに見えた毛玉の耳が、かすかに動いた。

 直後、大きな音を立てて、地下牢の扉が開いた。

「モモ!」

 入ってきたのは、ハルだった。

「ハル……なにしてるの」
「モモを返してもらいに来た」

 ハルにいつものような穏やかさはまるでなく、瞳は鋭くサクを見据えていた。

「いやだって言ったら?」
「力ずくでも返してもらう」

 サクはため息をついた。
 
「……どうしてそこまでするの。称号が剥奪されるかもしれないのよ」
「モモは……俺にとって、なにより大切な子なんだよ。失いたくない」
 
 ハルの言葉を、サクは鼻で笑う。
 
「くだらない。恋愛なんて馬鹿げてるって言ってたのはどこの誰よ」
「たしかに昔はそう思ってた。結婚相手は既に決まっていたし、望むだけ無駄だって。……でも、モモに出会って知ったんだ。誰かを心から愛することと、心から愛されること……」

 ハルは一度目を閉じ、開くと、横たわるモモを見つめた。
 
「……君も、いつかきっと分かるよ。心から好きな人ができたときに、きっとね」

 ハルはサクに優しく微笑んだ。

「……そうね。どちらにしろ、それはあなたじゃないみたい」
 
 沈黙が落ちる。それでもお互い目を逸らすことなく睨み合う。
 サクはふっと苦笑し、くるりと背中を向けた。
 
「……どうせもう死ぬわ。持って帰ったって、荷物になるだけよ」
 
 一言言い残し、サクは地下牢を出ていった。
 
 ハルは剣をかまえ、檻の鍵を壊す。
 
「モモ!」

 ハルはモモに駆け寄った。優しく抱き上げるが、モモは目を閉じたまま、反応はない。

 首に嵌められた邪拘石の鎖を解き、モモの口元に耳を当てる。かすかに呼吸の音がして、ホッとする。

「遅くなってごめんね……モモ。もう離さないから」

 固く目を閉じたモモの額にキスを落とし、ハルは屋敷へ帰るのだった。