私の家は初めからあんなではなかった。
小さい頃はどこにでもあるごく普通の家族、家庭だった。
一般的に見たら幸せな方だったのかもしれない
それがある日を境に変わってしまった。
発端は私が小学校六年生の時、私には三個年上の兄、佐野春樹がいた。
小学生のときは勉強もスポーツもできて、なおかつ明るくて、優しい完璧過ぎる春樹お兄ちゃん
自然と女子に黄色い歓声を浴びるような人だった。
私はそんな春樹お兄ちゃんが大好きだったし兄であることが誇りだった。
だけど父はお兄ちゃんが中学に進学するのと同時にお兄ちゃんに厳しくするようになった。
勉強では常に1番を求め、スポーツも他人よりできるようにと強要した。
勉強で点数が悪ければ部屋に缶詰状態にし、スポーツができなければできるようになるまで練習を強要し続けた。
お兄ちゃんは少しずつ疲弊していった。
中学2年に進級したときには以前のお兄ちゃんの以前の面影はなくなっていた。
性格も内気になって暗くなった。
些細なことで私やお母さんに声を荒らげるようになった。
家でも話をすることがなくなったし、部屋から出てこなくもなった。
そして中学3年になったお兄ちゃんは見るに耐えなくなった。
昔の面影は愚かどんどん悪くなっていくばかり
その時にはもう私の中でお兄ちゃんを誇りに思う気持ちは微塵もなくなっていた。
恥ずかしいと思っていた。
でも、けして嫌いだとは思ってはいなかった。
だが父はそんなのお構いなしに勉強とスポーツを強要し続けた。
そしてある日お兄ちゃんは家に帰って来なかった。
受験を意識し始める中学3年の1学期後半、夏の日のことだった。
小学生なりにお兄ちゃんが帰ってこないことに、不安が募り、胸騒ぎがしたことを覚えてる
お兄ちゃんが帰ってこないことを心配したお母さんが学校に連絡をすると、教科書類と荷物が教室に置きっぱなしになっていること、その教室だけ電気がついていたことがわかった。
先生たちは校内を賢明に探してくれた
私とお母さんは、急いで学校に向かった。
そしてお兄ちゃんは見つかった 帰らぬ人となって…
たくさんの暴行の跡があった。
お兄ちゃんはクラスの中で浮いていた。
勉強もスポーツもできるでも、性格がいいわけではない
常に好んで1人でいることが多かった。
だからなのか、お兄ちゃんはいじめられていたらしい
その日、いつものように教室で勉強をしていたお兄ちゃん
そこへ忘れ物を取りに来たお兄ちゃんをいじめていた人たちに暴言を吐かれていたらしい
そしてそれを無視したお兄ちゃんに腹を立てたいじめっ子たちはお兄ちゃんに暴力を振るい続けたそうだ。
そうして気が済むまで暴力を振るったあといじめっ子たちは帰ったが、お兄ちゃんは、その場から動かなかったという
その場所で動かなかったが、しばらくしてフラッと教室を出て、宛もなく屋上へ
そしてお兄ちゃんは屋上のフェンスを乗り越えあやまって飛び降りてしまったのではないか、というのがお兄ちゃんをいじめていた生徒から話を聞いた教師と警察の予想、見解だった。
それを知った私とお母さんは後悔した。
なんで父から助けてあげられなかったのか、クラスの子たちからのいじめに気づいてあげられなかったのかと…
その話を聞いていた私は、警察と教師の話を一つ訂正したかった。
訂正というより私の意見だが、あくまでいじめは我慢の限界になり爆発する引き金でしかなかったのではないかということ
いじめがなかったとしてもお兄ちゃんはいつか、なんの前触れもなくこの世界からいなくなっていたのではないかと思った。
[お兄ちゃんはいつか私の前からいなくなってしまう。私をおいていってしまう]
なんとなく日常生活の中でそうに思うことが多かった。
でも、お兄ちゃんのことが好きだったからこそ、いなくなって欲しくないという気持ちが強かった。
それが故にそうにならないでくれと無意識に願い続けていたのかもしれない
でも、結果はその願いと真反対なことが起きた。
起きてはいけないことが起きてしまった。
お兄ちゃんのお葬式で親戚や参列者に対して、まるでいい父親だったかのような顔をして接している父の姿を見たときに
[今まで、私の近くに居たお兄ちゃんがこの世界にいた事自体が嘘だったんじゃないか。そして父のあの酷い態度とお兄ちゃんという存在は私の中での妄想だったのかもしれない]
お葬式後の夜、私の中でそんな考えが芽生えた。
しかし、実際はそんなことはなくて春樹お兄ちゃんという存在、父の横暴な態度は現実で揺らぐことのない事実なのだ。
こんなことを思っていたんのはおそらく私だけで、お母さんにその考えはなかったと思う
お母さんにはお母さんの考え方や後悔があったのだと思う
お互い口には出さなかったけれど、その何も言わない…いや何も言えない空気感がすべてを物語っているような気がしていた。
小学生ながらそんな空気感を読み取っていた。
でもそうに思っている私とお母さんに反して父だけは違った。
お兄ちゃんが亡くなったこと、ちょうど私が中学に上がるタイミングだったことで厳しくする相手をお兄ちゃんから私にシフトした。
中学にあがると同時に私に勉強を強要し続けた。
中学3年間点数が悪ければ部屋に缶詰状態にされ、お母さんにも厳しく当たるようになった。
父は小言をつぶやくときに決まって
「あいつは気が弱すぎた。あんなことでいやになるなんてあいつはダメ人間だったんだ。」とお兄ちゃんがまるで何もかもできない出来損ないだったかのように言い続けた。
そんな生活を強要され続けた私は、絶対に高校には進学しないと心に決めていたのに、父の機嫌を見ながら生活しているお母さんに説得されて渋々高校に入学した。
高校でセーターを着るように強制したのも父だった。
クラスでのいじめは大した経緯じゃない
入学して2週間経った頃、吉田さんが好きだと言っていた子が私に告白してきた。
そして私はその子を恋愛に興味ない 時間の無駄だからといって振ったことそれを吉田さんが知ってしまったことで彼女が怒ってしまった。
そして、有る事無い事噂で流され、たまたま学年トップ10に入っている秀才の子だということもありいじめはヒートアップ
クラスの子たちも自分が標的になりたくないと思い見て見ぬふりを決め込まれた結果クラスに居づらくなり、考えた結果屋上に逃げるように避難した。
そして授業に一切出ずここまできた。
だから私は学校が嫌い
その人によっては戦場で、同仕様もなく無駄な時間を使ってしまう
時間は有限なのだ。
3年間をこんなことで棒に振りたくなかった。
だから嫌だった。
高校に入学しないで反発してあの家を出たかった。
セーターからパーカーにこそこそ着替えるのも授業に出ていないのをお母さんと2人で必死に隠すのももう嫌だ
父の機嫌を見ながら生活なんてもう終わらせたかった。
父とおさらばしたかった…

一気に話し終わった私の頬にはさっき枯れたはずの涙がつたっていた。
先輩は黙っていた。
ふと先輩の顔を見ると、涙こそ出ていなかったが表情が歪んでいた。
普段クールで暴言しか吐かないような先輩がこんな顔をするなんて思っていなかった私は正直驚いた。
「それってなんとかならねーの? 父親に自分の気持ち伝えてみるとかしたらなんか変わらねーの?」
そんなことを私に聞かれたってわからない
それにそれをすることができても私はそれをしようとは思わない
それをしたところで無意味だとわかっているから
だから私はいつもの作り笑顔で
「大丈夫です。こんなこと先輩に言っても迷惑ですよね。すいません。忘れてください」そう言った時4限終了のチャイムが鳴った。
それを合図にしたかのように私は立ち上がり
「今日は早退します。ほんとにさっきのこと先輩は忘れてくださいね。覚えていて先輩に何1つ得はないです。」
そう告げて私は屋上をあとにした。
先輩は追いかけて来なかった そして私も振り返ることはなかった。
それから夏休みまでの期間先輩は屋上へ来ることはなかった。
屋上以外で見かけることなんてもちろんなく、あの話をして以来先輩からなんとなく距離を置かれているような気もしていたが、[それはそれなのかな、私はもともと誰とも関わらないって思っていた、今までが非日常だったのだから]なんて思っていた。
でも、少しだけ寂しいなと心の中で思っていたりしていた。
連絡先を知っているわけでもなかったから連絡を取ることもできないし、何もすることなく、そのまま1学期終了の日が訪れた。
終業式は流石にでないとまずいと思い、クラスの列の最後列に並んで校長先生の長ったらしい話を流し聞きし、1学期の通知表をもらってまっすぐ帰宅した。
集会中、先輩が学校に来ているのか確認しようかと思ったけどやめておいた。
会ったところで何を言うわけでもない、距離が空いたならそれはそれでいい
高校で誰とも関わらないって決めてたんだから…
だからこれでいい…はず
そこから約1ヶ月と少しの夏休みはお母さんと買い物に行く以外はひたすら家にこもって勉強をしていた。
その期間に先輩のことを思い出すことはなかった。