その後も父は帰ってこず、あの騒動から丸2週間後の11月最後の火曜日、いつものように学校から帰るとこの2週間にはなかった違和感を玄関で覚えた。
その理由はすぐにわかった。
玄関に父の靴があったことだ。
心の準備をしてからいつものように「ただいま」というとお母さんが「おかえり」と言いながら珍しく玄関に出てきた。
そして、「お父さんが話したことがあるからって」と言われ、「わかった」といって自分の部屋に行き、荷物をおいて着替えを済ませリビングに戻った。
すると2週間前に比べてやつれた父がリビングの椅子に座っていた。
私もいつもの席につくと父は「冬菜 千秋 今まですまなかった」と父は突然私達に頭を下げた。
何に対する謝罪なのかわからず、びっくりする私達を見ながら父は話し始めた。
その内容は私達の知らない父の本音だった。

「春樹が中学に上がってから、俺はあいつの将来がいいものになってほしいと言う思いがすごく強くなった。その思いが空回りしすぎていたのも今となればわかる 春樹を知らず知らずのうちに追い詰めていたということもわかっていた。
それでもあいつを俺と同じように人生の負け組にしたくなかった。
その気持ちだけが空回りして俺は春樹を死に追いやった。
それを聞いたときに、やりすぎているということはわかっていたでも、一度踏み外した道をもとに戻すことはできなかった。
だから春樹への態度をそのまま冬菜にするようになったそして、千秋にも辛く当たるようになった。
そうすれば、冬菜は失敗しない、そう思っていた。
春樹の死を受け入れられなかったのもまた事実でその気持ちから目を背けるためでもあったが、冬菜には失敗してほしくないという思いもあった 俺はそんな気持ちが空回りしすぎてしまった。
結果的に俺は自分の子どもたちを追い詰めていた…謝っても謝りきれない」

父は、昔から仕事で忙しく家にいないことも多かった。
でも、収入はけしていいとは言えず、家計は苦しくなっていく一方で…
そんな状況であるのは自分のせいだと父は思って、そんな自分のことを人生の負け組と思っていたらしい。
だから、自分の子供には将来苦しんでほしくない、負け組になってほしくないと思っていたらしい。
それをけして誰にも言わずにいた お母さんにも私達じつの子供にも
そうに思っていたからこその態度だったのにそれが空回りし続けていた。
何も言われなかったからこそ、余計に私たちには理解されるわけもなく、私達と父の間ですれ違いが起きてしまった。
その結果が、お兄ちゃんの死とそれをなんとも思っていないかの態度、私とお母さんへの暴言と暴力だったのだという。
でも、けして春樹お兄ちゃんの死を悲しんでいないわけじゃなかったのだ。
父の中で思うところはたくさんあったけど、何も言い出せなかったそうだ。
父の気持ちを初めて聞いた私とお母さん
少しの沈黙ぼあとお母さんがゆっくり優しい口調で「確かにあなたがしたことは許されないけれど今からでも遅くないんじゃない? 信頼を取り返すチャンスはまだあるんじゃない?」と言った。
そのお母さんの言葉に続けて私は「お兄ちゃんのこと全部がお父さんのせいじゃないと私は思ってるよ。それは私たちにも否があると思ってる。」と言い終わってから、久しぶりにお父さんと呼んだなと思った。
ずっと嫌味を込めて父と呼んでいたから
でも、あんなことを言われたからってすべてをすぐに許せるわけはない
だけど、初めから無理だと突き放すのは少し違う気がした。
なんとなく春樹お兄ちゃんと三影先輩は1回は受け入れる為に行動する
そして、ふたりともきっと「突き放さずに1回受け入れる努力をしろ」と言う気がした。
この時、なんで春樹お兄ちゃんと三影先輩のことが浮かんだのかわからないけど、[私のなかで何かを決めるときの軸になっているのかもしれない]と思った。
お父さんは私達の言葉を聞きながら泣いていた。
お父さんの涙を私は初めて見た。
でも、見えないところで泣いていたのかもしれないとも思ったりもした。
みんな言わないだけでずっとお兄ちゃんの死に、後ろめたさや後悔の感情があった
でもそれを私は隠し続け、お母さんは見てみぬフリをしてなにも思っていないことにした。
そしてお父さんは私に厳しくすることで、それぞれの中にあるお兄ちゃんの死に対する感情から目をそむけ続けていたのだということに今日、知ることができた。
言葉にしないとわからないことがたくさんあったのだと気づけた。
みんながみんな誤解をしていた。
そしてそれを誰もどうにかしようとしなかったのだと…
その日は久しぶりに家族3人で楽しい時間を過ごした。
まるで昔に戻ったような感覚だった。