2学期初日の月曜日、いつもどおりに制服に着替えて学校に向かう
2学期の始業式でなくていっかと思い屋上へと向かう
久しぶりに来た屋上…いつも通りドアを開けると、屋上のフェンスの方へと歩いていき伸びをするはずだった。
フェンスの近くへと行く途中、なにかにつまずいて転んだ。
「いった〜なんでこんなところでつまずくの」と言うと、
「デジャブすぎんだろ。下見て歩けよ」と聞き慣れた声がして振り返ると先輩がいた。
「なんでいるんですか?」思わず口にしてしまった疑問
「それをお前に言って何になる。俺へのメリットがないだろ」なんて言われた。
「はいはい そうですね。関係ないし、メリットもないですね」
なんて言って屋上の端に座ってイヤホンをスマホへ繋げ耳につけようとした時、先輩が何かを思い出したかのように
「ねぇ〜冬菜、連絡先教えて」
「なんでですか?それ、私にメリットがないです。あと急に名前で呼ばないでください」
「なんとなく聞きたいことあったりしたら聞けるじゃん?勉強のこととかさ〜 それは許して」
自分はメリットがどうとか言ってたのに私のは無視する先輩
でも断る理由も思いつかなかったので
「しかたないですね〜」なんて言いながら先輩と連絡先を交換した。
それを終わらせてからイヤホンを耳につけた。
今日1日の中で先輩とした会話はそれだけ
それ以外は私はイヤホンをしていたし、先輩も話しかけてくることはなかった。
始業式のあとも先輩は屋上にほとんど来なかった。
来ても週に1、2回 結局9月は数えるほどしか先輩は屋上には来なかった。
先輩に会うことも減って心のどこかで少し寂しいなと思いながら迎えた10月のある日
その日、家に帰りいつものように「ただいま」と言うと「おかえり」と弱々しく返事が返ってきた。
嫌な予感がした私は、カバンを持ったままリビングへ行くと、髪の乱れたお母さんが椅子に座っていた。
「どうしたの…」そう聞きながら、お母さんを見ていて息を飲んだ。
お母さんの顔、腕、足にはそれぞれできたばかりの痣があった。
[またやったのか…そしてやった張本人は家にいない]
そんなことを思いながら、
「お母さん。とりあえず、手当しよ」
救急箱を取りに行きお母さんの痣の手当をする
もう何十回とやってきたことで手つきも慣れてきた。
本当は手当しているところなんて父に見られたら終わりなんだけど、そんなこと言ってられない
私は父は家にいないと思って油断して、確認もしないで手当を始めてしまった。
お母さんの手当てをしているときに、後ろから「何してるんだ」と明らかに怒っているであろう声がした。
お母さんの引きつった顔を見て、すべてを悟った私は振り返って後ろにいる人を確認するとやはりいないと思っていた父が立っていた。
身構える時間もないくらいの勢いで頬を叩かれて胸ぐらを掴まれていた。
「手当てはする必要ないと何度も言えばわかる?」なんて言いながら私のことも容赦なく殴ってくる父
おかげで私の腕も足も痣だらけ
「ごめんなさい。次からはやらないから」と力なく言うと満足したのか父はリビングから出ていった。
お母さんはまた泣いていて、「ごめんねごめんね」と呟いていた。
こうなるといつもそうだ
年に数回こういう日がある
これもお兄ちゃんの死後、年を追うごとに酷くなっている
お母さんや私が父に反抗してしまうとこうになる
お母さんは私にたくさん謝る
けしてお母さんが悪くなくても
お母さんをなだめながら、[明日からしばらく学校行ってもパーカーの袖まくらず、他人とも関わらないようにしないと]と考えていた。
その日、父は夕食の時間まで自室から出てこなかった。
お母さんはずっと怯えていて、その日お母さんと会話はほとんどなかった。
その日から約1ヶ月父は私達に罵声を浴びせ続け、父の思い通りにならないと暴力を振るい続けた。
だいたい暴力や罵声が止まることのない期間は1週間長ければ1ヶ月ほどで終わる
その期間も何事もなかったように学校へ行き続けたが、屋上でずっと音楽を聞いて誰とも会わないことを心がけていた。
奇跡的に三影先輩は1ヶ月のうちに4回ほどしか屋上に来なかったし、私に話かけることなく帰って行くのを繰り返していたので、バレることはなかった。