彼の素顔は甘くて危険すぎる


暫く見つめていると、彼女の口元が僅かに動いた。
寝言を言ってるのかと思っていたら、眉間にしわが寄り始め、手がギュッと握られているのに気付いた。

「…ゎくん……めんねっ」

消え入りそうな声だが、聞き洩らさなかった。
『不破くん、ごめんね』そう言ってるのだと。

後悔するくらいなら、何で別れたいだなんて言ったんだ。
自分で言い出したから撤回出来ないとでも?

人間の感情なんて、そんなに簡単に切り替わるもんじゃない。
理屈では分かっていても、整理をつけることなんて、包丁で野菜を切るのとは違うんだから。

「馬鹿だな。後悔してんなら、戻って来い」

ひまりの母親は小児科医としてマスクや手袋を手渡したんだろうけど。
そんなもん、必要ねぇ。
ひまりが例え何かの感染症に感染してたとしても、うつったならうつったで構わない。

俺はマスクと手袋を取り、素手で彼女の頬を撫でて、額にキスをした。
今というこの瞬間を大事にしたいから。

先のことまで考えられない。
脳内も心の中も、ひまりのことで埋め尽くされてるのに。

掛け布団を肩まで掛けようとした、その時。
布団に隠されていた右手がチラッと視界に入った。

そこには、あの日と変わらずに俺がプレゼントした指輪が嵌められていた。

『別れたい』と言い出した本人が、彼氏から貰った指輪を未だに着けてる理由。
それこそ、高価な指輪ならまだしも、シルバーで作った指輪なのに。
ただ単にデザインが好きで着けてる?
まさかね。
ひまりに限ってそんな理由はありえねぇ。
だとすると、残る理由はただ一つ。

未だに俺を想ってるということ。
だったら、何故?