そういやあ、家の手伝いをやってくれる女を寄こすって、親父が言ってたな……。
それがまさか、一個下の女……?
バスケットコートで出会ったこの女だって……?
わりと古風な名前の――加賀美百合が、ぽかんと口を開けた間抜け面で、俺の方を見ていた。
こんな時でも、こいつはちょっとだけ面白い。
そう言えば……こいつは、母親が死んだから、住んでるアパートを出ないといけなくなったって言ってたな。
だったら、このままだと家なき子ってやつだ。
屋敷の部屋は何個か空いていたはずだった。
アパートの管理人か何かになったつもりで、適当に部屋を1室貸してやるぐらいは出来るだろう。
今までだって、俺と一緒に住みたいっていう女ばっかりで、正直うんざりしていたが……。
まあ、こいつが喜ぶ分には悪くない気もする。
なんでだろう。
「ああ、仕方ないから俺の屋敷に――」
……住めよ。
そう言おうとした瞬間――。
「その……大瀬戸さんがこんなに嫌がってるのに、住み込みの仕事はさすがにできません!!!」
「え? ああ?」
予想外の反応を返されてしまった。
「いや、それがだな……」
俺は嫌がってない。
そう言えば、こいつも他の女達よろしく、尻尾を振って喜ぶに違いない。
そんな風に考えていたのに……。
「それに……」
「それに……?」
すると、加賀美百合が息を吸い込んで、一息に叫んできた。
「私、小学生の頃から推しがいるんです!!」
「推し……?」
いったい全体なんの話だよ……。
推しというぐらいだから、アイドルとか芸能人とか二次元キャラとかそんなとこだろうが……。
それと今の流れに何の因果があるのか……。
困惑していると、さらに大声で加賀美百合が叫んできた。
「なのに!!! 好きでもない男の人と二人暮らしとか、絶対に嫌です!!」
「は……?」
――おいおいおいおい。
あまりに剛速球なパスだ。
正直どんなパスでも回されたら受け取ってきた俺だが、今のは受け止めきれなかった。
「私、友だちの家に泊めてもらうかどうにかしますから……!! それじゃあ!!」
そう言うと、加賀美百合は脱兎のごとく俺の前から逃げだした。
「え? あ、おい、ちょっと待て!!」
見かけよりもすばしっこいのか、さあっと路地裏に向かって消えていく。
自分で言うのもあれだが、俺は顔良し、頭も良ければスポーツも万能で……。
しかも、親が金持ちで……。
大概の女が俺に媚び売って来たり告白してきたりして、それが当たり前の反応で、ややうんざりしてたのに……。
あんな言われ方したのは――生まれて初めてだった。
しかも、ちょいダサメガネ女子に……。
「こんな経験、初めてだ……」
胸がざわざわしてしょうがない。
ちょっと小ばかにしていたやつに馬鹿にされて嫌なんだろうか……。
それとも……。
「ああ、なんだよ、わけわかんねえな……」
心臓がざわざわする。
試合で負けそうな時のざわつきなような気もするが……。
なんだ、なんなんだよ……?
「ああ、だけど、今はそれどころじゃないな……」
そうだ、落ち着け。
失礼だが、あの女は、そんなに急に泊めてもらえるような友達がいるタイプには見えない。
春だがまだ外は寒い。
下手に野宿でもしたら、凍えるだろう。
「待てって!!」
そもそもあいつの全財産だろうリュックはまだ俺の手元にある。
俺は、逃げ出した加賀美百合を、鍛えた脚力で追いかけることにしたのだった。


