「資料ですか?」

小森のとぼけた声に、仁平さんの怒りスイッチが押された音が聞こえた気がした。

「昨日、提出してってお願いしていたよね? 忘れたの?」
「あ……ああ。そうでした。すみません」
「……作成すること自体、忘れていたのね」

仁平さんが盛大に溜息を吐く。

「今日発送しなくてはいけないものだったんだよ」
「えっ、じゃあ、どうするんですか? これからでも間に合いますか――」
「小暮さんが昨日の夜にやってくれたの!」

さすがの小森でも焦ったみたいだ。でも、その仁平さんの声で、あっという間にいつもの表情に戻った。

「なんだぁ、それなら安心じゃないですか。間に合わなかったらどうしようかって心配しちゃいましたよぉ」
「その言い方なんなの。小暮さんにお礼を言って。そしてすぐにその資料受け取って発送準備して。とにかく急ぎだから早くね。私、事務所に一本電話いれなくちゃいけないから、よろしく」

仁平さんはそう言うと、すぐに出て行ってしまった。

「小暮さん、ありがとうございます。昨日は、どうしても外せない用事があって。小暮さんも、もしかして何か予定ありました?」
「予定はなかったですけど……」
「ですよね。とにかく、ありがとうございました」

おい! 予定がない人間がやればいいって、そういう発想か!

「じゃあ、その資料ください。発送しまーす」

夜をかけて作った資料を小森に手渡そうとして、その手が止まる。

――いいように同僚に利用されて、それを分かっていながらも何も言わずに仕事をこなす。それでいて、心の中では”クソ女”だなんて言って罵る。

桐谷さんの声が聞こえる。

「あ、あの」
「なんです?」
「こ、これからは、気を付けてください。この資料も、簡単なものかもしれませんが、監査を終えるのに必要な資料の一つには変わりありません。小さなミスが大きなミスになることもある。チーム内に迷惑をかけることになるかもしれません。作業や資料作成の期日だけは確認するようにしてください……っ」

い、言った――。

目の前の小森が目を見開いて私を見ている。
私がこの娘に何か意見をしたことはこれまで一度もなかった。
驚いているのが分かる。でも、すぐに満面の笑みになる。