火宮家の稽古場に着くと、待っていた中型犬が先輩に擦り寄う。
「こいつの怪我、治せるか?」
先輩は中型犬をひと撫でして問う。
「お願いできますか?」
私は再び血の滲み出る左手を出した。
少し動かすだけで、かさぶたが割れてしまうのだ。
中型犬は、警戒するように匂いを嗅いでから、傷を舐めてくれた。
痛いとくすぐったいが一緒にきて、引っ込めそうになる手を我慢する。
何度か舐められて、離れていったので手のひらを見ると、綺麗に治っていた。
「………すごい」
「当然だろ」
「素晴らしい能力です」
「ご主人様の頼みだから、仕方なくだぞ」
「………え?」
「え?」
ひとり増えている。
私、イカネさん、火宮桜陰の視線が彼に集まる。
「え、何? どしたの?」
「どしたのって、お前………」
宝石のような赤目に、白い短髪と白い袴の先の紫が映える。
頭には、犬にしては大きめの耳。
お尻にはモフッとしている尻尾が生え、ゆらゆら揺れている。
10歳くらいの美少年だ。
「もしかしなくても、犬か?」
「何言ってんの、オレはご主人様の犬だ……って、ええ!?」
自身の姿を見て、驚いていた。
両手を握って開いて、耳と尻尾がぴんと立つ。
「月海さんの血を摂取したことで、妖怪としての格が上がったのでしょう」
「お前、ただの犬じゃなかったのか……」
「オレはご主人様の犬だよ!」
捨てられるとでも思ったのか、火宮桜陰の腰に抱きついて、上目遣いする。
初めて会った時から不思議に思ってはいた。
普通、怪我は舐めても治らない。
「何故疑問に思わなかった」
「仕方ないだろ! 家の奴らは治癒の術を使うし、俺には舐めれば治るとしか言わなかったんだからよ」
そして、中型犬に舐められて治ったのだから、それを受け入れた。
全ては家庭環境のせいとな。
「ご主人様、オレはご主人様の犬だよ!」
「いいえ、あなたは狼と狐の子供ですよ」
懸命にアピールする犬耳尻尾の生えた少年に、イカネさんが告げる。
どおりで、犬にしては違和感があると思った。
「犬だもん! だって、そうじゃないと、ご主人様にすてられる……」
「先輩、こんないたいけな子供を捨てるんですか?」
犬だから飼ったのであって、違うなら要らないって?
「そんな目で見るな、捨てるなんて言ってないだろ」
「ほんとにすてない………?」
「捨てないから。お前は俺の大切な相棒だよ」
そう言って、火宮桜陰は人型になった中型犬を抱きしめる。
いや、犬じゃなくて、狼と狐のハーフだったね。
「いつも危険なところについてきてくれて、怪我を治してくれてありがとう」
「うん……うんっ。当たり前だよ、オレのご主人様だもん。どんな大怪我だって治してみせるよ!」
ご主人様ご主人様と、ぶんぶん尻尾を振る少年。
感動の場面ではないか。
蚊帳の外な私はイカネさんに身を寄せる。
「忠誠心、すごいね」
理不尽大魔王のどこを気に入ったのか、まさしく忠犬。
「わたくしにだって、月海さんに対してあれ以上の忠誠心はありますよ」
私の相棒は拗ねている。
かわいい。
「そうは見えないけど、ありがとう」
「うふふ、隠しているんですよ。大人ですからね。あまりにしつこいと嫌われてしまうでしょう?」
治ったばかりの左手をとられ、傷のあった箇所を舐められた。
まるで、わたくしが治して差し上げたかったと言わんばかりに。
跪いたその格好のまま熱っぽく見上げられ、一瞬ドキッとしたが、挑発的に見つめ返した。
「望むところです。私だって、イカネさんに執着してるんですから」
「光栄ですわ」
そのまましばらく見つめあっていると、邪魔が入る。
「おいそこ、稽古場で盛ってんじゃねぇよ」
「うるさいショタコン」
「ショ……!」
「ご主人様をいじめるな! ご主人様、あいつやっつける? オレがついてるよ! オレが一番の味方だからね!」
「月海さんの一番はもちろんわたくしです」
「うるせぇ! 時間がねぇんだ、稽古すんぞ!」
あまりの剣幕に私達は姿勢を正して、すぐさま家主の命令に従った。


