なんだか朝から、学校中がわずかに賑やかで色めき立っている昼下がり。

そのざわめきは毎年のことながら、先生の目が完全には行き届かない昼休みに最高潮を迎える。

男女共に落ち着かない様子を横目で眺めながら、俺はコンビニで買ってきた菓子パンを大きく頬張る。

みんな健気で初々しくていいなぁ………。

2月14日…俺のこの日への希望と期待は、中学生の時点で綺麗さっぱり消え去った。というか、そうならざるを得なかった。

とはいえ、俺だって純粋な男子高校生。もちろん、毎年心のどっかではほんのりワクワクしている自分がいないと言えば嘘になる。

けど結局、直接的には俺に関係のあるイベントなんかじゃない。そのことを数年前から否が応にも痛感させられてきた身としては、正直バレンタインなんて他人事でしかない。

………あー。自分で言っててめっちゃ空しくなってきたわ。

いやそりゃね!?貰えるもんなら欲しいよ、手作りのチョコ!俺だってバレンタインに憧れがないわけじゃ一切ないし!

本音と諦めが入り混じるカオスな感情を押し潰すようにメロンパンを噛み締めていると、

「ねぇねぇ、甘井〜」

不意に、前方から声をかけられて慌てて顔を上げる。

前の席に座ってこちらの様子を伺っているのは、朝から男子達の視線を集めていた佐々木さん。噂では、学年1可愛いと言われているらしい。よく知らないけど。

俺は口いっぱいのメロンパンを急いで飲み込み、口を開く。

「どうしたん?なんか用事?」
「う〜ん、まぁそんなところかな」

微妙な間が空いた後、佐々木さんは少し照れたように切り出す。

「今日ってさ、バレンタインでしょ?」
「あぁ、うん」
「そのことでちょっと、甘井に用事があって………」

そう言うと佐々木さんは、背中に隠していたとても丁寧にラッピングされたクッキーの詰め合わせを俺に差し出す。多分お菓子作りが得意なんだろう、お店で売っているみたいに綺麗でめちゃくちゃ美味しそう。

「これ、作ったんだけどよかったら………」

そこで一旦言葉を区切ると、ますます頬を赤らめながら俺の耳元に口を近づけて囁く。

「江藤くんに渡してくれない?」



……………でしょうねー!!!

叫び出したいのをグッと堪えながら俺は、「いいよー」と答える。自分で渡せや、というのは心の中だけで留めておこう。

と、俺の答えを聞くやいなや、教室のドアの前で誰かを出待ちしている風を装っていた女子達、1人の机の周りに集まって談笑していた女子達、「別に私はそんなの興味ありませんけど?」オーラを醸し出していた女子達が、待ってました、佐々木さんよくやったと言わんばかりに一斉に駆け寄ってくる。

「甘井!私のも私のも!!」
「あ、これもよろしく!」
「あ、あのっ。私のもお願いしますっ…!」

どさどさと机の上に積まれていく色とりどりな包装が施された手作りお菓子たち。どんどん遠慮なく押し寄せてくる女子の波に揉まれて窒息しそうな俺。

「ちょっ、待っ、苦しっ………」

あああああああ!!!バレンタインなんてクソ喰らえぇぇぇぇぇ!!!!!



「あはは、今年もご苦労様」

事の一部始終を聞いて笑う、爽やかな顔付きで横に並ぶ颯太をちょっと睨む。睨みつつ、まぁこんなにイケメンならそりゃモテるよなぁとこっそり思う。

放課後まで尾を引いたチョコレート渡しの仲介作業は、空がオレンジに染まり始めた頃ようやく落ち着きを見せた。その成果を電子レンジ一台なら余裕で入りそうな紙袋に詰め込み、部活の休憩中の颯太にやっと今渡し終えたところ。

「お前マジでめちゃくちゃ感謝しろよ?」
「廉人、もしかしたらバレンタインの日、日本一忙しいかもしんないからね〜」
「冗談抜きで俺もそうだと思う」

こうやって話している最中にも、グラウンドの隅からチラチラとこちら…というか主に颯太を気にしている様子の女子が視界に入る。思わずはぁ、とため息を吐く。

「モテる奴はいいよなー。何もしなくてもチョコ貰えるんだろ?しかもほぼほぼ全部本命の」
「廉人だってチョコの一つや二つ貰ってるでしょ」
「現実はそんな甘くねぇんだよ!」

俺は颯太の言葉に目をひん剥く。

「確かにチョコ何個かは貰ったことあるけどさ、全部颯太に渡してもらうのを頼むついで中のついでって感じで10円チョコ一粒とかだぞ!?」

ずっと可愛がっていた妹も中二になってなにかと反抗してくるわ、冷たいわで多分今年はチョコの欠片もくれないし。

あーあ、なーにがバレンタインだよ。こちとらバレンタインのバの字も関係ないんだぞ。

勝手にへこんでいる俺を見て、颯太はまたも楽しそうに笑い、それから何気なさそうにポツリと呟く。

「俺は割と本気で貰えると思うんだけどなぁ」
「………なんで?」

不思議に思い尋ねる俺を、颯太は端正に整った綺麗な顔に意味ありげな笑みを浮かべて見つめる。

「もしかしたら、俺へのチョコの中に廉人宛てのが混ざってるかもしれないなーって思って」
「なんだよー、結局想像じゃねーか」

俺は少し肩を落とす。

あんなに意味深にニヤつくからちょっと期待しちまったじゃんか。まぁ、予想通りっちゃ予想通りだけど。

「廉人だっていちいち本当に俺宛てのチョコかどうかなんて確かめないだろ?」
「それはそうだけど」
「つまり、そういうことだろ」

そう颯太が言った直後、陸上部集合の笛がグラウンドから響いてきた。颯太はグッと大きく伸びをすると「じゃあな」という言葉と爽やかな笑顔を残して部員達の方に走っていく。

俺はその後ろ姿を眺めながら、いやそういうことってどういうことだよ…と密かに突っ込む。

アイツ昔っから、たまに本当に訳分からんこと言うよなー、なんて思いながら俺は正門とは反対方向、校舎に向かって歩き出す。

…この時間なら、まだいるはずだよな。

俺は心が弾むのを感じながら、階段に足を掛ける………と、

「あ、廉人ー!玲奈、いつも通り屋上にいるって!!」
「そんなとこから叫ぶな!!」
「えー、今更恥ずかしいがんなくても…」
「もういいからそれ以上喋んなアホ颯太!」

グラウンドの中心から伝言を叫ぶ颯太に叫び返し、通りすがりの人達に何事だと訝しげな顔を向けられつつ、俺は早足で階段を上る。

あーもー!アイツたまにほんっとにめちゃくちゃ訳分からん!!しかも悪気ゼロなとこが憎めない分、余計にタチ悪い。

くぅっ、と顔を歪めながらドアノブを回す。