それは、小雨の降る休日だった。ミシェルは傘を片手にストアの紙袋を抱えていた。

 近道をしようと、アパート近くの公園まで来た時だった。

「クンクン」

 犬の鳴き声がした。見回すと、サルスベリの木の下に段ボールがぽつんとあった。

 覗くと、雨に濡れた白い子犬が尻尾を振りながら見上げていた。

「あら、捨てられちゃったの?」

 可哀想に思いながらも、ペット禁止のアパート事情が脳裏を(よぎ)った。

「飼ってあげたいけど、ウチじゃ飼えないのよ。ごめんね」

 円らな瞳は、今にも抱きつかんばかりに見つめていた。

 ミシェルは、抱きたい気持ちを抑えると、

「……ごめんね。バイバイ」

 振り切るように、背中を向けた。

「クゥンクゥン」

 背後で、すがるような鳴き声が続いていた。



 食料を冷蔵庫に入れながら、ミルクも買ったし、肉も買ったし、と無意識のうちに子犬にあげる物を思っていた。

 テレビを点けても集中できず、子犬のことばかり考えていた。

「あー、もう」

 そんな自分に腹を立てると、テレビを消した。まだ、あそこに居たら飼うか。そう決めると傘を持った。



 まだ、段ボールはあったが、鳴き声はなかった。誰かに拾われたかな? 確率は2分の1。そんなことを考えながら、賭けをするかのように、パッと覗いた。居たっ! ミシェルは、心の中で声を上げた。

 しかし、「どうせ抱っこしてくれないんでしょ」と言うように、子犬は体を丸めていた。

「ウチに来る?」

 その言葉に、子犬はパッと見上げると、急いで起き上がった。そして、尻尾を振りながら、「早く抱っこして」と催促するような素振りをしていた。

 いつの間にか雨は止んでいた。サルスベリの葉っぱが、止む前に溜めた雨の(しずく)を、子犬の鼻先にポトッと(こぼ)した。子犬はそれをペロッと舐めると、「早く段ボールから出して」と言うように、後ろ足だけで立って前足を振った。

 子犬を抱っこしたついでに確かめると、男の子だった。持ってきた布製の袋に入れると、

「絶対に声を出しちゃダメよ」

 と、袋の中から見上げている子犬に念を押した。



 帰宅すると、シャワーで洗って、バスタオルで拭いてから小皿にミルクを注いだ。

 ピチャピチャ

「おいしい?」

 子犬は上目でチラッと見ると、一気に飲み干した。

「おいちかったの?」

 子犬は物足りなそうに、短い舌で皿を舐めていた。

「また、後でね。ポンポン壊しちゃうから」

 諦めたのか、子犬はミシェルを無視すると、部屋の四隅を嗅ぎ始めた。

 排泄場所を浴室にすると、新聞紙を敷いた。

「おいで。ここでオシッコするのよ。分かった?」

 掴んだ子犬の鼻先を新聞紙に付けた。子犬は迷惑そうに上目でミシェルを見た。「もう分かったよ。チビらないから」そう言いたげだった。

「さて、名前は何にしようか?」

 傍若無人(ぼうじゃくぶじん)に部屋を駆け回っている子犬を目で追いながら、ミシェルは呟いた。

「……lucky……happy……love。よし、ラブにしよう。ラブ!」

 その声に、ベッドの下の、脱ぎっぱなしのソックスを嗅いでいる子犬がこっちを見た。「呼んだ?」そんな顔をしたので、ラブに決めた。



 ラブとの同棲生活は楽しかった。恋人のようでもあり、弟のようでもあり、我が子のようでもあった。これまでの味気なかった毎日が一変した。

 仕事が終わると、まるで、先に帰った恋人が待ってるアパートにいそいそと帰るかのように浮き浮きした。

 鍵音を立てると、フローリングを駆けてくるラブの爪音が聞こえる。ドアを開けると、クルッと巻いた尻尾を振りながら、「おかえり! 寂しかったよ、ボク」そんな熱い視線で見つめてくれる。

「ラブ、ただいま。ちゃみちかった?」

 抱っこすると、顔中を舐め回すラブ。

「どれ、オシッコはちゃんとしたかな」

 浴室をチェック。

「あら、ちゃんとしてるね。いい子、いい子。おなか空いたでしょ? 今、ごはん作ってあげるからね」