新そよ風に乗って ② 〜時の扉〜

「は、はい。会計監査です」
「そう。お金の計算は大変ですよね。1円でも合わないと大変でしょう?」
「はい……」
何だか、世間話をして緊張を解してくれているのかもしれないが、殆ど上の空で、視線は人事部長の前に置かれている茶封筒に釘付けになっていた。あの中に、私の辞令も入ってるんだろうな。
「気になるみたいだから、先に辞令交付しましょう」
「あっ、す、すみません」
人事部長が茶封筒の中から、定形外サイズの封筒を取り出した。その表面には、矢島陽子殿と記されている。  
封印はされていなかったので、人事部長が封筒の中から1枚の白い横長の用紙を取り出した。
仮配属の辞令と同じ用紙だ。何と書かれているのだろう。パイプ椅子に座っているが、膝が震えて両手に汗をかいている。
「えーっと、矢島さんの本配属先は……」
思わず息を止めて、人事部長の次の言葉を待つ。
「人事部人事担当です」
「えっ……」
人事部人事担当? 
聞き間違えたかと思い、人事部長に聞き返してしまった。
「人事部人事担当。私のところだよ」
嘘。
「あの、私……」
「ん? 何も心配することはないよ。ちゃんとスポンサーも付けるし、ゆっくりこれから色々、覚えていけばいいから」
「はい……」
人事部人事担当。そこが、私の本配属先。
高橋さんは、私は会計には必要ないと思ったのかな。仕事も出来ないし、休んだり、出社拒否しそうになったりしたこともあった。そんなイメージに私じゃ、やっぱり少数精鋭の経理からしたら要らない人材。まして会計は3人しかいないから、その1人が私なんかじゃ、高橋さんと中原さんが大変だから……。
「それじゃ、もう戻っていいですよ。これから、よろしく頼むよ。矢島さん」
「は、はい。よろしくお願いします」
「月曜日から、期待しています」
「ありがとうございます。失礼します」
椅子から立ち上がってお辞儀をして、ドアの方へと向かおうとした。
「あっ、矢島さん。辞令、辞令。この用紙を忘れていってもらっては困る」
「す、すみません」
人事部長が辞令を封筒に入れてくれると、慌てて振り返った私に座ったまま差し出してくれた。
「ありがとうございます。失礼します」
急いでドアの方へと向かい部屋から出た。こんなに焦ることもなかったが、とにかく今は早く部屋から出たかった。
会議室のドアを静かに閉めると、急いで人事の事務所から飛び出してトイレへと向かった。
トイレの個室に入り、握りしめていた封筒に目がいき、恐る恐るもう一度、封筒の中身を出してみた。
どうか……。聞き間違えでありますように。
けれど、何度見ても辞令交付の用紙には、矢島陽子の名前の下には、人事部人事担当と書いてあった。経理じゃない。もう、高橋さんと一緒に仕事は来週から出来ないんだ。
そう思ったら、急に力が抜けてトイレのドアに背中をベッタリつけてもたれ掛かっていないと立っていられなかった。だが、それでも支えきれずに、そのままズルズルとしゃがみ込んでいった。
気分を落ち着かせて経理の事務所に戻ると、いつもと変わらない景色で、会計のデスクに近づいていくと、変わらず高橋さんと中原さんが座っていた。
「戻りました……」