第一章「幼少~学生編」

物心ついた時から、姉妹は肩を並べゲームをしていた。
それは姉・恵が色素性涸皮症という先天的病気にかかっていたためだ。何もしていなくとも敏感な肌で、日光の下遊ぶことなど論外だった。そこで父親は屋内でも楽しく遊べるよう配慮し、恵にゲーミングパソコンを買い与えたのである。あるのだが……。
「幸、たまには外で遊ばないか」
仕事で忙しい父と代わり、時折様子を見に来てくれる父方の祖父に、幸はいつも注意されていた。それもそのはず、遊び盛りの八歳の女の子がロクに外にも出ず、二歳上の姉とゲームに勤しむなんて、将来ゲーム脳にならないか心配だった。
幸は大きな目を瞬かせ、きょとんと首を傾げた。
「お外で遊ぶより、お姉ちゃんとゲームする方が楽しいよ?」
外に出られない姉への配慮もあるにはあったが、それよりも純粋に楽しかった。
祖父は薄暗い部屋でキャッキャと笑いあう孫娘たちを眺めた。母親はおらず、父親は仕事漬け、姉は重度の病気。幸という名前が皮肉に感じる程の環境でも、幸はその苦悩を感じさせない底抜けの明るさと愛嬌を、八歳にして持っていたのだった。
その夜、ベッドに入った幸は、トイレに行きたくなって目を覚ました。廊下を歩いているとリビングの灯りが点いており、中で祖父と父が話し合う声が聞こえてくる。なんとなく気になって、そっと耳を傾けた。
「今日も娘たちの面倒を見てくれてありがとう、父さん」
「それは構わないよ。私にとっても可愛い孫だしな。だが」
祖父の声が硬くなる。そのどこか緊張を孕んだ様子に、幼い幸はごくりと息を呑んだ。
「お前、病気のことはどうするんだ?」
——え?
病気。それは姉のことではなく、明らかに父に向けられた台詞のようだった。幸は動揺してその場から動けなくなってしまう。祖父は続けた。
「皮膚がんで余命一年。一生懸命仕事をし、恵と幸に財産を残そうとしているのは分かる。だが、娘たちにはいつ明かすつもりだ?」
「……」
父は黙ってしまった。祖父とて、こんなことを言いたくは無いのだろう。でも言わなくてはならない。それは息子と孫たちを愛している故だ。
「正直、恵と幸が心配だ。お前にもしものことがあっても、私と婆さんで二人の面倒を見る事はできるが。恵は病気だし、幸は自分の世界に閉じこもる節がある。仕事に勤しむのも大切だが、今はもっとやるべきことがあるんじゃないか?」
「……そうだね。父さんの言う通りだよ。僕が仕事ばっかりやってるのは、現実逃避したいからっていうのもあると思う。でも」
そこで一呼吸置いて、父は続けた。
「それじゃあ、いけないよな。恵と幸には、しっかり話しをするよ」
しばらくして、幸はようやく足を動かすことができた。布団に戻っても、その日は一睡もできなかった。



翌日。休日の父は恵と幸をリビングに呼んだ。
「二人にお話しがあるんだ」
「なぁに? パパ」
「……」
何も知らない恵は顔を上げ、逆に事情を知っている幸は目を伏せて、父と向かい合った。
「突然でびっくりさせてしまうかもしれないけど、パパは病気で、もうこの先長くは生きられないんだ」
この後しばらく、沈黙が続いた。
人は驚きすぎると「え」という声すら出ないもので、途端に現実を受け入れるのが困難になる。恵も例外ではなく、ひたすら呆然とした顔をしていた。
「ど、どういうこと? パパにしては、面白くない冗談言うのね」
「冗談なんかじゃないよ、恵。そして幸もわかってくれるかい」
父の目線が幸にも向けられる。それまで俯いていた幸の細い肩がびくりと跳ねる。
そんな妹を気遣う余裕などなく、恵は吠えた。
「だってそんなの聞いてない!」
病気だと知って、改めて父の顔を見ても、そんな様相は感じられなかった。顔色も良いし、体型にも変化がない。そんな父の命が僅かだなんて、信じられなかった。
結局、恵はわんわんと声を出して泣きだし、それが糸口となって幸も泣いた。自分の為に取り乱し涙する娘たちに、普段は気丈な父も涙腺が緩む。
父にはどうしても、子供達へ伝えたい思いがあった。
「二人とも、パパからのお願いだ。どうか、何でもいいから一番だと誇れるものを見つけなさい」
この言葉に含まれた父の思いを汲む能力は、まだ幼い姉妹は持ち合わせていない。
しかしこの一言は、二人の胸の中に余韻を持って残り、いつまでも離れなかった。恵と幸の人生の教訓にもなるのだった。



一年後、父が亡くなってから姉妹は祖父に引き取られ、それから何年かの年月が経った。
姉・恵の病気は相変わらず吉兆が見えないでいるが、それでも悪化しているわけでもなかった。特に何事もないまま平穏に時は流れていく。

恵はいつものようにパソコンを立ち上げ、授業を受けていた。
『それでは、この問題を……恵さん』
「はい。えーと……x=2です」
『正解。流石ですね』
直接会ったこともない教師の誉め言葉を貰っても、それはどこか現実味がない。恵は苦笑いするも、その表情を間近で見る人すらいなかった。
恵は一昨年、通信制の中学へと進学した。父の遺言でもある「一番になれ」という言葉を受け止めた恵はひたむきに座学に取り組み、全国模試では上位五パーセントに入るほど優秀だった。そんな恵を祖父なんかはよく褒めてくれた。
(私は頑張っている。こうして皆、褒めてくれている。すごく嬉しい……でも)
何か物足りない。自分が一番になるべきものは、これじゃない。恵の心はずっとずっと、そう訴えていた。
そんな恵に変化が訪れたのは、趣味であるオンラインシューティングゲームをしていた時であった。
「太陽……?」
病気故に太陽の下を歩くことのできない恵にとって、興味深いIDを持つ少年との出会い。恵は高鳴る心臓を抑え、太陽にフォローリクエストを送った。そのすぐ後に承認が降り、メッセージが来たのだから異性と交流したことがない恵は慌てふためいた。
『こんにちは、ケイさん。よろしければチャットしませんか?』
何度かメッセージを往復し、相手が中学生だということを知る。少年らしからぬ、とても丁寧な文章だったので、悪い人ではないかもしれないと思った恵は『いいですよ』と返事を送った。
それから二人は急速に仲良くなった。偶然にも同じ歳で、恵は運命を感じずにはいられなかった。
ゲームの際はボイスチャットを用いて言葉を交わす様になり、恵はその時間を何よりも楽しむようになっていた。
『今日、体育で転んでさ。すげえ足痛いの』
「そうなんだ。大丈夫?」
『ぜんぜんへっちゃら』
「よかった。私、体育の授業ないから羨ましいな」
『あっ……ごめん、そうだったよね』
太陽は学校や家庭での出来事など、他愛もないことを話し、恵はそれをきくのが大好きだった。
『転んだから、それを言い訳に授業さぼって、地面に寝転がって空を見てたんだ。そしたら』
「うん」
『真っ白な鳥が、光の中からすっと現れて、手をのばしたら届きそうな距離まで飛んできたんだ。だから捕まえようとしたんだけど、あっさり交わされて逃げられちゃった』
「からかわれたのね、ふふふ」
『あはは、そうなの。交わされた瞬間、恵のいたずら顔がふと頭に浮かんでさ。その鳥は恵だったんじゃないか、って。そう思ったらおかしくて、笑っちゃったんだよね』
「ちょっと、顔も知らないくせに。私そんなに意地悪じゃないってば」
そう言いながら、恵は内心喜んでいた。
太陽の日常に自分が存在していることがとても嬉しかったのだ。
『でも、ふと手のひらを見ると、真っ白な羽根があって、それがすごく綺麗だったんだ。その時、恵に会いたいって思った』
それをきいた恵は動揺し、コントローラーを操作する手の動きがが止まってしまった。その瞬間に背中を太陽に撃たれ、ゲームオーバーになった。
『珍しいね、恵があっさり負けるとか』
「変なこと言うからコントローラーが手から落ちたの! 次は負けないんだから」
『リアルで反応してたの⁉ めっちゃ面白いね』
「もう、太陽!」
最初の頃はたどたどしかった会話も、出会って1年ほど経つと次第に軽口を言い合うようになっていた。
(私だって太陽に会いたいよ……だけど、こんなにか弱い自分の姿を見たら、太陽は私のことを嫌いになるかもしれない……)
そんな胸の苦しみを抱えていた。

ところで、太陽と出会ってからというもの、恵のゲームスキルは日に日に増し、才能をあらわすようになった。太陽のように上手くなりたい、肩を並べるゲーマーになりたいという目的意識を持って取り組むうちに、今では太陽に近い実力を身につけ、すでに趣味の域ではなくなっていたのである。
『恵、本当に凄いよな。あっという間に上手くなって』
「そうかな? 太陽といると刺激されるのかも。もっと上手になりたいって。……私ね、」
これまで誰にも、妹にすら話したことのない想いを、ぽつりと零し始めた。
「夢があるの」
『夢?』
「というより目標かな。あなたと出会ってから見つけた」
恵は微笑みながら続ける。
「何でもいいから一番になりなさいって父に言われたの。私、それをずっと考えてた。今まで病気に負けないように勉強は頑張っていたけど……」
太陽は黙って、恵の一言一言を聞き逃すまいと、しっかりと耳を傾けているようだった。
「ゲームって、立ちはだかる障害物を乗り越えて目標達成を目指すでしょ。自分の人生と重なるところがあるなって。それに、おもいっきり楽しむものだし、私にはすごくありがたくて大切なものだと思えるの」
恵は器用にコントローラーを動かすが、頭はどこかフワフワと夢見心地だった。上手く集中できない。
「太陽とゲームをしてるとね、凄く楽しいの。こんな……お日様の下を歩けない日陰者の私でも、生きてるって思えて。私、太陽に出会えて幸……あっ」
突然目の前に現れた敵から、太陽も恵も撃たれてしまった。
——何も言わない太陽。
「太陽、どうしちゃったの」
『……そんなこと言われたら、照れるでしょ』
顔は見えないが、声音からして太陽の感情の揺れが手に取るように分かった。その反応で、恵は自分が結構な告白をしたことに気が付き、顔を赤く染めた。
「ち、違うの! これは、その」
『……違うの?』
「うっ」
(そんな子犬のような声をされたら、照れ隠しの否定すらできないじゃない)
恵が太陽に惹かれているのは明白だったし、その想いを伝えるなら今がチャンスだった。——しかし。すぐに暗い感情が恵を襲う。
(私は病気で、そんなに先も長くない。私は太陽には相応しくないの)
そんな後ろめたさでいつも口を閉ざし、その先の言葉が言えずにいた。

太陽はいつもじっと、恵の口から出る言葉を期待していた。恵がもし自分へ好意を伝えてくれたなら『付き合おう』と言うつもりだった。
告白できない恵と、告白を待つ太陽。ゲームでの相性は抜群でも、恋愛関係ではすれ違っている。でも今はその関係性すら愛おしく感じるのだった。



幸は姉が誰かと楽しそうにしている声を、隣の部屋からよく聞いていた。
流行りの曲が流れるヘッドホンを外し、そっと壁に耳を傾ける。
微かにきこえるが、何を話しているのかはわからない。姉は騒音を気にして、いつもヘッドホンをして通話をしているので、相手の声はもちろん聞こえないし、年齢や性別も分からないが、姉が日々恋めいた声になっていくので、なんとなく若い男性なのではないかと想像した。
これまで何度か、ゲームの相手について尋ねてみたことがあったが、中学の友人だと話していたのに。
(やっぱり、友達じゃなさそうだな……)
姉に親しい人ができて嬉しい反面、どこか複雑な気持ちも抱いていた。自分の知らない姉の一面を引き出している相手に何故かモヤモヤとする。なんとも不思議だ。
(お姉ちゃんの相手、気になる。でも邪魔しちゃ悪いかな)
姉の部屋を訪ねてみようか迷っていると、突然『トントン』と部屋のドアがノックされた。
「幸、開けて頂戴」
「おばあちゃん」
ドアを開けると、ニコニコと人の良い笑みを浮かべた祖母がトレーを手にして立っていた。
「これ、お薬なんだけど、恵に渡してくれる?おばあちゃん今から買い物に行かなくちゃいけないから、服薬記録もお願いしたいのよ」
偶然舞い降りたチャンスに、幸は心の中で祖母を崇める。
「うん、ありがとう、おばあちゃん!」
「あ、ありがとう……?」
困惑する祖母からトレーを受け取り、幸は隣の恵の部屋をノックした。
「お姉ちゃん、今入ってもいい?」
「幸⁉ え、ちょっと待って!」
バタバタと姉が部屋の中で慌てふためく様子が目に浮かぶ。なんだかおかしくなって、幸は思わず笑ってしまう。
「そんなに慌てなくてもさー。姉妹なんだし、彼氏くらい気にしないよ」
その言葉の後すぐにバタン!と扉が開いた。室内は薄暗く調光していて、ゲーミングパソコンの画面が3つぼんやりと浮かんでいる。恵は顔を真っ赤にしていたようだった。
「ば、馬鹿! 彼氏なんかじゃないよ!」
「あれ、違うの? 絶対そうだと思ってたんだけどな」
「もう!……入って」
部屋に通され、幸は初めて『太陽』のアバターと出会った。
「太陽、ごめん、妹が入ってきちゃって」
『妹さん? ああ、幸ちゃん? いいよ、一緒にゲームしようよ』
「ええっ」
幸のことは妹として愛しているが、太陽との二人きりの時間を何よりも愛おしく思っていた恵にとって、少しだけショックだった。しかし、何も言うことができず、仕方なくヘッドホンジャックを抜いてスピーカーに切り替える。すると、太陽の声が部屋に広がった。
『聞こえるかな。こんにちは、幸ちゃん。恵にはいつもお世話になってます』
短髪の明るい見た目のアバターに似つかわしい、爽やかな声。幸はどきんと胸を動かした。中一のクラスメイトの男子とはかけ離れた、大人の雰囲気。魅力を感じるのも無理はなかった。
「は、はいっ。こんにちは。太陽さん」
『あはは、太陽でいいよ。幸ちゃんもゲームできるの?』
「はい。姉ほどではありませんが……」
何度か会話を繰り返し、幸は臨時のアバターを作成した。そして恵から余分なコントローラーを借り、久々にゲーム画面を見つめる。
広い荒野に立つ太陽、恵、幸のアバターが3つの画面にそれぞれ展開されている。しばらくゲームを楽しんでいたがその最中、幸はついつい、太陽のアバターばかりを見つめていた。
(しばらく離れていたけど、ゲームってこんなに楽しいんだ。……それは太陽さんがいるからかな)
初めて感じるときめきに、幸は目を輝かせる。
その様子を恵は複雑な表情で盗み見ていた。



それからも三人でゲームをする機会は何度かあり、幸はよくないと思いつつも、太陽の魅力にはまっていった。
しかし、中学のテニス部の活動が本格化すると、学校に居残るようになり、ゲームに参加することが難しくなってしまった。絶対に口には出さないが、外に出られない姉がこの時ばかりは羨ましかった。
そして太陽との交流が疎らになったまま、中学二年生へと進級した。
太陽のことを忘れたくて、クラスメイトの男子と交際をしていた時期もあったが、すぐに別れてしまった。太陽の魅力の前には他の男子は月どころか、小惑星同然だった。
一方で、姉・恵のことは非常に心配していた。

昨年の冬から恵の体調は急変し、通信制高校に進学する予定だったが、それも諦めざるを得なくなってしまった。
手の動きが悪くなり、コントローラーをうまく操作できなくなったため、太陽とのゲームの時間はいつも会話をするのが主になった。
それでも恵にとっては何より幸せな時間だった。
太陽から何度か会いたいと言われたのだが、恵は頑なに拒否をした。
余計に辛くなることがわかっていたし、弱々しい姿をみせたくなかった。太陽の記憶の中で少しでも輝いていられたら、と願ったからだった。



しばらくすると、恵の容態は更に悪化し、病院での生活を送るようになった。
幸がお見舞いへ行ったある日、ベッドの上でコントローラーを手にし、それを愛おしそうに見つめている恵がいた。入院した後、恵からの要望で幸が家から持ち出したものだった。
「お姉ちゃん、病院のテレビってゲームできないものなの?」
「できないよ。テレビを見るだけのものだもん」
「そうだよね」
恵はふわりと微笑み、そっとコントローラーを胸に包み込む。
「これがあれば、太陽と繋がっている気がするの。ふふ、おかしいかな」
「そんなことないよ」
恵の声は以前に比べるとずいぶんか細くなってしまった。
『毎日決まった時間に、太陽が携帯に電話をくれるの』と恵が話していた。
おそらく太陽もこの声をきいて、病気がどれほど進行しているかを察知していることだろう。
「もう太陽とゲームできないなんて悲しいな」
そう言ってコントローラーを指でなぞる。
「そんなことないよ、症状が落ち着いたら、また前みたいにたくさんゲームできるって」
「そうかなぁ」
「もちろんだよ」
恵はコントローラーを握りしめ、操作をするように指を動かそうとするが、なかなか思ったようにいかない。目に涙が溢れる。
「一番になりたかったのに……どうして私の指、動かないの、悔しい……けほっ、ごほごほっ……」
「お姉ちゃん、大丈夫⁉」
苦しそうに咳をするので、背中を摩る。しかし更に咳こんでしまう。ナースコールをすると、すぐに医者と看護師がかけつけた。
「恵さん、恵さん、しっかりして」
バタバタと酸素呼吸器を取り付ける看護師と、苦しむ姉の姿を、呆然と目で追いながら、どうか無事であってくれと祈る。
しばらくすると「幸……」という恵の微かな声が届き、幸は慌てて恵の口に耳を近づけた。
「幸……おねが、い、たいよ、に、あわ、せて」
声にならない声をふりしぼり懸命に訴える恵。
「……っ! 分かった! 待ってて!」
病室の台に置かれた、恵の携帯電話の着信履歴を検索する。
普段滅多にお願いごとをしない姉が、必死な思いで会わせてくれと言っている。どうか来てほしい。
(お願い、電話に出て!)



「恵!」
幸いなことに、太陽は東京近郊に住んでおり、病院へと駆けつけてくれた。黒髪に白い肌をした青年で、人の良さそうな顔をしている。
突如の来客に驚く祖父母を他所に、太陽は恵の側へと駆け寄った。その頃にはもう医者や看護師たちは救命措置を諦めており、後は看取るだけという状態になっていた。
「……たい、よう」
「僕が分かるか、恵」
「う、ん。ずっと、ずっと、会いたかった……まさか、こんなところで、会うなんて…」
酸素呼吸器も取り外され、なんとか小さな声だが耳を澄ませば聞こえる。太陽は頷いた。
「僕も会いたかったよ、恵……思っていたよりもずっと、ずっと素敵な女の子だった」
「……うれしい」
恵の瞳が徐々に重くなっていき、一筋の涙が零れる。彼女は少しだけ肩を持ち上げ、ぽつりとこんなことを言った。
「……私、結局、一番に、なれなかったな」
「……ゲームのこと?」
「うん……みんな、上手なひと、ばっかりで……」
「そんなことない、頑張って上達したじゃないか。恵は、有言実行のために、すごく努力したよ」
「……ありがとう。でも、私、まだ、生きていたかった。太陽と、一緒に、——」
そこで恵の言葉は止まった。
「……恵!」

苦しそうだった恵の表情が、やがて穏やかになる。
太陽は恵の手を取り、自分の頬に当てた。太陽の肩は震えているようだった。恵の真っ白な腕に、太陽の涙が伝っているのがわかる。
祖父母もその横で泣いていたが、幸の目からは不思議と涙は出てこなかった。



幸と太陽が再会したのは、それから三日後。恵の葬儀の時だった。
父と姉を亡くし、この世の全てを喪った気分になっていた幸にとって、彼の存在は大きかった。
「幸ちゃん。あの時、恵のことを教えてくれてありがとう」
「いえ、こちらこそ……。姉のために駆けつけてくださって、ありがとうございました。……少し、お話しても?」
腕に抱える大きさに収まってしまった、恵の骨壺を抱き、枯れ果てた涙を更に流す祖父母たちがいたたまれなくなり、二人はその場を離れて庭へ出る。
「……恵から聞いていた。幸ちゃんはお父さんも亡くされていて……。今はとにかく辛いだろうけど」
「いえ、私のことは気にしないでください。それより、太陽さんにはとても感謝しているんです。太陽さんと過ごした二年半、姉は本当に幸せだったと思います。太陽さんに出会って、姉の毎日は陽が射したように明るくなったんです——」
張り詰めたものが緩んだかのように、幸の目から、たくさんの涙が溢れ落ちる。恵が亡くなってはじめて流す涙だった。
幸は恵が亡くなったことを、まだ頭の中で整理しきれないでいた。
葬儀を執り行っている時、周りからは気丈にふるまう妹として見られていたかもしれない。しかし太陽だけは、幸がどんな状態でいるかよく理解していた。
「幸ちゃん、良かったら、これからも一緒にゲームしない?」
「え?」
「幸ちゃんが辛くなった時、話がしたいとき、少しでも役に立ちたいんだ。君は恵の……大事な妹なのだから」
その言葉に、幸の胸は二つの感情に支配される。
一つ目は「嬉しい」という気持ち。そしてもう片方が分からない。その正体を知りたくないような気がした。

葬儀会場を後にした太陽は、自分の胸に手を当て、どこか覚悟を決めたように顔を上げた。
「恵……これからもいつも一緒だよ。ゲームで一番になるという夢、一緒に叶えよう」
その言葉が恵に届いたのだろうか。
どこからともなく吹いた風が、太陽の落ち込んだ心を優しく包むのだった。



太陽はそれから、幸と頻繁に連絡をとるようになった。恵が亡くなってから憔悴して体重が落ちた幸のことを気にかけ、声音が暗ければ『どうしたの?』と悩みを聞いた。
元々好感を抱いていたのに、弱っている時にそんな風にされてしまうと更に入れ込みそうになる。幸は必死に想いを封じ込めようとしていた。
『太陽さん』から『太陽』と呼び捨てにできるくらいに幸はなついていたが、太陽は相変わらず『幸』と呼び捨てにしてくれる気配はなかった。
姉のことは『恵』と呼んでいたのに。いつまで経っても自分は恵の妹なのだな、と悲しい気持ちになる。それでも太陽は幸によくしてくれた。
しかし……ある日、気持ちを抑えきれなくなった幸は、思い切って太陽に問いかけた。
「太陽にとって、私って何なの……」
少なくとも察しの良い男性なら、好意があることに勘付くだろう。しかし太陽は、いつものような穏やかな口調で、悪気なく、残酷な言葉を紡ぐ。
『幸ちゃんは……僕にとって、妹みたいな、大事な存在だよ』
その夜、幸は姉の形見であるコントローラーを握り、瞳いっぱいに涙を溜めていた。
幸は以前、恵からこんなことを言われていた。
『もし私が死んだら、太陽は寂しいだろうから、幸が私のIDとアバターを使って、たまにでいいから、太陽とゲームをしてあげてほしいの』
恵は純粋な思いからそう告げたのだが、その行為が太陽にとってどれほど酷なものなのか、幸はわかっていた。そんなことは絶対にしない。そう思っていたが、自分のことを女として見てもらえず、姉の存在が太陽の中に色濃く残っていることがショックで、悔しさを隠せない行動をとってしまったのだ。



太陽は明日に備え早く寝ようとしていた。しかし不意にパソコンから通知音が鳴り、心臓がどくどくと跳ね上がった。
「……嘘だ」
この通知音、聞き間違えるはずがない。
恵だけ別の音に設定していたのだから。太陽の瞳に徐々に涙の膜が張る。
「恵……!」
アプリをすぐに立ち上げ、画面を見つめる。すると「ケイ」のアバターが、じっと太陽を見つめていた。
「……夢みたいだ」
ずっとずっと会いたかった。優しくて可愛い、大好きな恵。
恵と会いたい、話したい、一緒にゲームをしながらくだらないことで笑いあいたい。そんな思いが込み上げる。
しかし、太陽はヘッドホンをつけると、冷静な声で語りかけた。
「幸ちゃん、だよね」
『……』
黙り込む相手に、太陽は眉を顰める。
「なんで、どうして、こんなこと……」
『私は、幸じゃない。恵よ』
確かによく似ている声だが、それでも彼女は恵ではなく幸だった。
何度も何度も聞いた声。忘れるはずも、聞き間違えるはずもなかった。
「やめてくれ……こんなことしないでくれ……幸ちゃん」
妹を介して見る恵の面影に、太陽の言葉は詰まる。喉から熱い何かがこみ上げてきて、年下の女の子の前だというのに嗚咽が止まらない。そのまま画面に指を這わせ、訴えた。
「恵、恵……っ、恵……」
たくさんの感情を込め、ひたすら姉の名を呼び続ける太陽に、幸の胸は張り裂けそうになる。
(——やはりこんなことをするんじゃなかった。自分は姉には敵わないのだ。絶対に、勝てない)
その事実がハッキリと突きつけられた。
よく、死んだ人間は生きている人間には敵わないという。 でも今、それは違うと思い知った。
亡者との思い出があまりにも美しすぎて、幸が何をしても太陽の胸には届かないのだ。
葬儀の時に感じたものは、姉への嫉妬だったのだと、ようやく今になって受け入れた幸。感情をあらわにする太陽を目の当たりにし、もうそれ以上何も言えなくなってしまったのだった。



SNSを眺めながら、幸は呆然と過ごしていた。
『プロゲーマーになるからもう会えない。ゲームで会う機会も無くなると思う』と、太陽に言われたことを心の中で反芻する。スマホの画面には『快挙! 人気ネットゲーマー・太陽。奇跡の優勝!』などと表示されており、笑顔の太陽が映っていた。
太陽への想いが忘れられず、幸は何かに取り憑かれたようにオンラインゲームを続けていた。もしかしたらどこかで太陽に会えるかもしれないと、期待を抱きながら。
ところが幸が巡り合ったのは太陽ではなく、直という同い年の中学生だった。
直は太陽と少し似た声、そして穏やかな口調をしていた。
それでも太陽は太陽、直は直で、当たり前だが別人格である。太陽は世間話やゲームの話を楽しそうにしていたが、直はゲームの他にもグルメや漫画や音楽にも興味があるようだった。
『幸ちゃん、この前俺が勧めたポテチどうだった?』
「あー、今食べてるよ」
パリパリとわざと音を立て、バター味のポテチを噛むと、スピーカー越しに直は笑う。
『それ美味いでしょ。俺もよくゲームとか勉強のお供にしてる』
「うん、私あんまりスナック菓子食べないんだけど、これは意外とあっさりしててイける」
パリ、パリンッ。
幸のアバターがガラスを乱射している音か、それともポテチを噛むの音なのか分からなくなっていく。一瞬気をとられた直の背後が取られ、そして——……。
「獲った!」
『うわっ⁉』
建物や木の陰に隠れながら撃ちあっていたのだが、ようやく幸が勝利を収めることが出来た。これで42対1だ。
「えへへ、直くんにやっと勝てたよ~」
『……まさかポテチはそのためのフェイク?』
「ふふ、そんなわけないじゃん」
実はこうして食べ物を食べて美味しいと感じたり、表面だけでも笑えるようになったのは、かなり久々の感覚だった。 直と出会ってから、幸は徐々に本来の明るさを掴みつつあったのだ。
『そういえばさ』
「うん」
『太陽っていう最近話題のゲーマーがいるんだけど、知ってる?』
胸が跳ねた。
もちろん、知っている。もう手の届かない人になってしまったけど。
幸はややあって、「さあ」と返事をした。
『俺、今日クラスで朗読させられたんだけど、その時、太陽の声に似てるっていわれてさ』
「……へえ」
知っている。落ち着いた声、柔らかそうな雰囲気。それ故、直に出会ったばかりの頃は、太陽と重なり胸が苦しくなったものだ。
『幸ちゃん?』
「……太陽ね、私の知り合いなの」
『えっ』
男子中学生ならば、興奮気味に問い詰めたくなる場面だろうが、直はそうではなかった。
「直くんの声、確かに太陽と似てるかも。穏やかそうなとことか、優しそうな雰囲気とか。それに、しっかりと先を見据えて生きてそうなとことかも」
忘れてしまいたいと思っていた存在が、再び頭の中に甦り、久々に幸の心は締め付けられる。
「ああ、こんな時間だ、もう寝るね、おやすみ」
『え? ちょっ……』
直に悪いと思いつつも、そのままゲームの電源を落とし、布団に入った幸だった。



直はヘッドホンを外すと、深いため息をついてパソコンを消した。そして、先ほどまでゲーム対戦が繰り広げられていたデスクとはまた別のデスクへと、椅子のまま移動すると、テキストを広げ、シャープペンを握る。
「幸ちゃん……」
切なげにため息を吐いた。
通常の女子より遥かにゲームに精通している幸を凌駕する実力がある直は、日頃からゲーム漬けだと思われがちだが、実はかなりの勉強家でもあった。逆にいえば、優秀な学業成績があるからこそ、ゲームをしていても周りから何も言われない、といったところである。
そして賢いというのは何も勉強に限ったことではなく、直感が鋭いという点にもある。幸の態度の変化、そして、どこか切なげな声音。幸が太陽に対しおそらく好意に似た複雑な感情を抱いているということに勘づいたのだ。
直はブンブンと首を振り、目の前の問題を解き始める。しかし、十分もしないうちに頭の中に、幸の『直くん』という甘い声が反芻し、思春期男子の思考は全て停止してしまう。
「ああ、もう、幸ちゃんのせいだ」
最近、どうも勉強に身が入らない。

『はじめまして……』
オンラインで複数とランダムマッチをした際、たまたまタッグを組んだのが幸だった。
彼女のプレイスタイルが気に入り友達申請をし、初めて通話をした際に、相手が女性であること、さらに同じ年齢だということを知って驚いた。中性的なアバターを使用していたため男性だと思い込んでいたのだ。
しかし、初めて聞く彼女の声の暗さにはもっと驚いたのを覚えている。中学生の女子らしからぬ、憂いを帯びた雰囲気だったのだから。
彼女にどのような暗い過去があったのだろうかといつも気になっていた。それを彼女が打ち明けることはしなかったが、何度か話をするうちに、直はその賢さでなんとなく察したのだ。
だがゲームを通じ、徐々に幸は声に感情を灯すようになっていった。直に負ければ悔しがり、デュオを組んで相手に勝てば喜んだ。
『直くんとゲームするの、すごく楽しい』
そんなことを言われた日には感情が高ぶって眠れなくなってしまった。それほど、直は幸という人間の虜になっていた。
(幸ちゃんはおそらく太陽のことが好きだ。……俺のことなんて、ただの友達としか思っていない)
初めて異性に抱く恋心は、受験を控える少年にはいささか不釣り合いだった。
(幸ちゃん、君のせいだ。君のせいで、俺はこんなにも辛い。だけど君のおかげで幸せでもある。「辛」に、君という「一」人を入れて「幸」。本当に、名前の通りだよね)
テキストの余白に「幸」と書き、直は深くため息をつく。 結局その夜は勉強は諦め、幸のことをずっと考えていた。
そして、一通のDMを送る。
『幸ちゃん、もし君が、友達として、俺のことを心のよりどころにしてくれているのだとしたら、何でも話してほしい。話をきくから』
翌日、幸から『ありがとう』という返事が届いていた。
(俺は幸ちゃんのために何ができるだろう——)

幸はこれまで話していなかったことを直に打ち明けた。
家族のこと、姉が亡くなったこと、太陽とどのように知り合い、どう関わったのか。
太陽に対する恋心、姉に対しての遠慮や嫉妬、そして全てを失ってしまった今でも、太陽のことを想い続けていること、それから——
直に出会って、自分を取り戻せたことを。



これ以上、幸にのめり込んではいけない。そうは思っていても、直は止められなかった。
何でも話してくれ、と言ったのは自分なのに、幸への想いは以前よりも深くなるばかりだ。
幸は『自分を取り戻せた』と言っていた。(それなら、もう俺は必要ないんじゃないか……)
次に幸とゲームをしたとき、直は賭けをすることにした。
『幸ちゃんはさ』
「うん」
『今もし、告白されたら、どうする?』
直はゆっくりと目を閉じて、その答えを待つ。
「……今は、そういうの、全く考えられないな」
直の胸は、ゲームの採取用ピッケルで抉られたようだった。(やっぱり、俺なんかが入る隙はどこにもないんだよな……)
しばらく黙りこくっている直に、幸は首を傾げる。
「直くん?」
『……っ』
声にならない何かが、胸の奥底からこみ上げてきて、直の呼吸は荒くなる。そして、無抵抗の幸のアバターの胸目掛けて、乱射した。
「ど、どうしたの直くん……?」
直からこのような悪戯をされたことのない幸は驚いていた。 幸の呼びかけには応じることなく、直はそのままパソコンの電源を落とした。
——これでいい。
直はイヤホンを抜くとそのままベッドへと寝転がり、横たわる。
(俺は幸ちゃんの心臓を打ち抜いた。幸ちゃんは、もういない。俺は、幸ちゃんを諦めなければ)
ゲームで繋がった関係を絶つに相応しい終わらせ方だと思ったが、本当にこれでいいのだろうか。
喉に何かがつかえたような違和感は、今後もずっと直につきまとうのであった。



中学三年生の夏、流石に進路決めの時期ともなると、あれだけのめり込んでいたゲームとも、少しだけ距離ができる。直に突然切られたというのも、大きな要因であった。
祖父母に向かい、幸は決意したように口を開いた。
「おばあちゃん。私、高校卒業したら働くつもり」
「まぁ、何言ってるの。大学を出ないと、良いお仕事に就けないよ?」
「そうだ、幸。金の遠慮なんてしなくていいから。自分の行きたい道に進みなさい」
「遠慮なんてそんな」
半分本音で、半分は遠慮だった。
父の遺してくれた遺産は、ほとんどを恵の治療に使っていたため、実はあまり残っていない。年老いた祖父母にこれ以上、自分の事で負担をかけたくないと思っていた。そこまでが遠慮で、本音としては、大学まで行って勉強したいと思うものが特になかったのだ。
「とにかく、よく考えなさい。私達は応援するから」
「……うん、ありがとう」
一応祖父母の言葉は吟味したものの、やはり進学への意欲は無かった。
結局、幸は推薦で地元の公立商業高校へと進み、簿記などを取得しながら、卒業後の就職に向けて動き出すことになった。
とんとん拍子に進んだ高校二年生の秋、幸はいつも以上に気合を入れて、髪のセットをしていた。
「よし、こんな感じかな」
幸は、いつもは無造作に結んでいるポニーテールを下ろして、ストレートにセットする。元々器量は良い方だったが、十七歳になった幸は、更に魅力が増していた。
「幸、そんなにおめかしして何かあるの?」
祖母の言葉に幸はぎくりとする。図星だ。
「えっと、ほら、昨日文化祭だったから、その打ち上げ」
「普通打ち上げって、その日にやるものじゃないの?」
「あ、そ、それはそうなんだけど」
痛いところを突かれた。幸は祖母の鋭さから逃げたくて、朝食のパンを少し齧ると、すぐに家を出た。
「行ってきます」
「ちょっと幸、パン少ししか食べてないじゃない」
「ごめん、ダイエットしてるから」
ドアを閉めながら、ローファーの爪先を、地面に数回ノックする。秋晴れの空を幸は見上げていた。
今日は実に三年ぶりに、太陽と再会する日だった。
瞼を閉じると今でも思い出す、太陽の声、そして柔らかな人の良さそうな顔。——そして。
「……直くん」
突然お別れすることになってしまった、かつての大切な友達。
太陽を思い出す度、彼とよく似た声の直を連想してしまう。幸は直のことを、なんだか恋しく思っていた。



【太陽side】
~二年前、冬~
「ああ、存じていますよ。若いのにとても優秀な中学生ゲーマーですよね」
「そうそう、流石太陽。情報早いね」
「その方が、どうかしたんですか?」
「彼、この間もPABGの国内大会でグランプリになってたでしょ? しかもチャンネル登録者数も十万越えてて。それでうちの社長が是非にって、彼をスカウトしたの」
「へえ……!それで、返事は?」
「少しだけ待ってくれって言ってたんだけど、この間、所属希望で返答が来たの。だけど高校への進学を控えているから、今すぐにというわけにはいかないみたいなのよ」



「太陽、うちにスカウトした中学生がいたの覚えてる?」
人々で混雑する土曜日の正午頃、窓から差し込む光が眩しくて、太陽は目を細めた。
「はい、覚えていますよ。ストリーマーとしても活躍してる……彼はその後どうなったんですか?」
新作ゲームの展示会に向かう車の中で、太陽は女性マネージャー・大石に問い返した。
「先日、社長が彼に連絡して、所属が決定したの。それで、今日の展示会に呼んでるのよ。先輩ゲーマーとして、太陽にも挨拶させたいなって」
「なるほど。お会いするのが楽しみです」

日本において、ゲームとは一大文化であり、同時に巨大マーケットでもあった。特に年に一度、東京ビッグサイトにて行われる新作ゲーム展示会では、各社の最新技術が盛り込まれた、気合の代物がずらりと並ぶので、太陽たちの所属する『Game wish』というゲーマー事務所も、勿論偵察に来ている。太陽はゲーマー界隈でもかなり有名なので、サングラスに帽子と変装しているが、まるで芸能人みたいだと、自分自身に苦笑したものだ。
車から降り、人々でごった返している一般入場口とは反対の、スタッフ入場口から特別に入場し、その最中で大石の説明を聞く。
「今回注目なのが、米のEricGame社発売の、『フォートナイツ』というゲームよ。グラフィック・操作性共に最新テクノロジー採用。ダウンロード形式のゲームで、太陽が得意なシューティングゲームなの」
「とても面白そうですね」
普段冷静な太陽ですら、昂るゲーム好きの血が抑えられず、その瞳が輝く。
まだ一般入場が開始していないため、どこのブースにも展示場スタッフと各社スタッフしかいない。狙いのブースまでやってくると、太陽はサングラスを取る。その顔を見たEricGameの社員達が笑顔で太陽のもとへ歩み寄る。
「こんにちは、ようこそ我が社ブースへ」
外国人社員だったので英語だったが、ゲーマーとして国内外で活躍している太陽は流暢に返す。
「こんにちは、どうも。太陽と申します」
「ああ! 太陽さん! てことはGamewishさんかな?ちょっと待ってね、すぐにデモできるから」
「ありがとうございます」
太陽は社員達が慌ただしくしている中に、ひとり大人しく立っている青年を見つけた。
一見普通っぽいが、どこかオーラがあった。穏やかさの中に凛としたものを感じる。
「太陽、あの子よ」
「ああ、やっぱり」
太陽の視線に気が付いた青年がハッとして駆け寄ってきた。
「はじめまして、太陽さん。Gamewishに新たに所属します、北原友と申します」
「友くんっていうんだね、はじめまして。僕は北川太陽。苗字がちょっと似てて、親近感があるなぁ。よろしくね」
トップゲーマーであることを少しも鼻にかけない柔和な態度に、友はどことなく好印象を抱く。『ファンサ神の太陽』とファンに親しまれているのは、どうやら大袈裟ではないらしい。
「お待たせしました。どうぞ、太陽さんからゲームを試してみてください」
「ああ、どうも」
太陽は社員からコントローラーを受け取ると、展示用ディスプレイに向かってみる。
「『世界を救え』ですか、素敵なタイトルだ」
精悍な顔立ちをしたアバター(後に名前がスキンだと知る)が、銃ではなくピッケルを持っている。太陽は首を傾げた。
「ふふ、シューティングゲームなのにピッケル? となったでしょう。このゲームの最大の特徴は、そのピッケルで収集した素材で、壁や階段など様々なものが建築できるところなのですよ」
「へえ! 面白い」
流石というべきか、太陽は何も説明を受けなくともボタンを適当に動かして動作確認と動きの照合をする。と、近くにあった木造の家屋を壊し、それを用いて足場を作っていった。
「なるほど。これで足場とか、防御壁を作っていくんですね」
「シューティングゲームってひたすら打ち合うイメージがあったんで、斬新ですね」
友も流石人気ゲーマーというべきか、太陽の右隣りで真剣にゲームの様子を見て、当たり前のように英語で感想を漏らしていた。
「ふふ、そうでしょう。このゲームはね、絶対に世界のゲーム界の要になると思うのですよ。Killするだけがシューティングじゃない。時に協力し、創り、仲間で絆を育む。我々はね、そういうゲームを作りたくて、開発をしてきたのです」
目を細め、開発に四苦八苦した日々に想いを馳せる社員。太陽と友は暖かな目でその様子を見守りながら、一通りのデモを終えたのだった。



太陽はその後、大石達と別れ、都内のカフェへと足をはこんだ。個室なので変装を取って髪を整える。待ち合わせ時間から三分ほど経って、懐かしい声がした。
「太陽! ごめんなさい、電車が遅れちゃって」
「……幸、ちゃん?」
「え? あ、はい!」
太陽は幸の姿を見つめ、一瞬息が詰まる感じを覚えた。
昔はそうでもなかったが、随分と恵と似る様になっていたのだ。
黒いストレートの髪、大きな瞳、運動部を辞めたのか、白い陶器のような肌に、引き締まった唇。女子高生にしては少し大人びて見えるのは、彼女が今まで苦労と心労を重ねてきたからだろうか。
「僕も今来たところだし、気にしないで。それより、メニューどうぞ」
「ありがとう。えー、全部美味しそう。何にしようかな」
しばらく、たどたどしい会話が続いた。無理もなかった。こうして会うのは三年ぶり。しかもあの頃とはお互いの生活が変化している。幸もすっかり立派な女性となり、昔のように接するのも難しい。
やがて注文したオムライスとコーヒーのセットが二人分運ばれてきた。幸は顔を明るくさせる。
「オムライス久しぶり」
「おいしそうだね」
「あ、ミルクとか入れる?」
幸が近くに置いてあるコーヒーミルクの山から一つ摘まみ上げたが、太陽は首を横に振った。
「ううん、大丈夫だよ。ありがとう」
「太陽ってブラック派なんだね、大人だな」
「なに、それ」
気まずかった空気も徐々になくなり、二人はこの三年の間にあったお互いの出来事を話した。
そして一時間ほど経った頃、太陽は姿勢を正し「幸ちゃん」と真剣な顔をして本題に入った。
「は、はいっ」
「君は高校を卒業したら何をしたい? 大学には進まないって話してたよね」
恵なりすまし事件から疎遠になっていたものの、太陽にとって幸は紛れもなく大切な存在だった。何と言っても、太陽が唯一心から愛した女性の、たった一人の妹なのだから。
幸はうーんと頬杖をして考えている。この様子から見るに、まだ明確な進路は決まっていないようである。
「とりあえず働きたいとは思ってる。でも」
「でも?」
「高卒だとできる仕事にも限界があるし、かと言って仕事ならなんでもいいってわけでもないから」
「そうだよね。幸ちゃんは、もし就けるとしたら何がやりたい?」
「やっぱりゲーム関係の仕事、かなぁ」
幸は水を一口飲んで、どこか愛おし気に微笑んだ。
「私、家族を喪ってから、ゲームに救われたの。ゲームがくれた絆に」
十七の少女とは思えぬ、儚げな雰囲気だった。
「私だけじゃない。この世にはきっと、私やお姉ちゃんだけじゃなくて、ゲームに救われる人がたくさんいると思う。だから私はゲームに携わる仕事に就きたい。んだけど……」
はぁ、とため息を零す。
「ゲーム関連の会社ってどこも倍率凄くてさ。しかも、大卒でも受からない人いるみたいで。私には難しいかも」
「なるほどね」
コーヒーを一口飲み、太陽は平静を装っていたが、心の中では嬉しさに満ちていた。
幸が今でもゲームのことを好きでいてくれてよかった。しかも他の人の幸せを想っているなんて嬉しいな。
(恵。君の妹は……素敵な女性に育ったよ)
心の中でそっとそう呟いた。
「僕は、幸ちゃんと一緒に仕事ができたらいいな、って思ってるんだ——」



それから太陽と定期的にコンタクトを取ることになった幸は、彼が「友」という事務所の新人プレイヤーと共にデュオデビューすることを知った。幸が高校三年生に進級した五月のことだった。
「フォートナイツ?」
「そ。幸ちゃんがやっていたシューティングゲームに、建築要素と、収集要素が入った感じの最新ゲームだよ」
「へえ、凄く面白そう。ディザーとかないの?」
「あるある。えっとね」
太陽が幸の左側の席に座り、タブレットを操作する。彼との距離が近くなり、幸の胸はいけないと思いつつもときめいていた。
「なるほどね。雰囲気伝わった」
ムービーを見終わった幸がそう言うと、太陽は元の席に戻る。
「友くん、凄くってさ。まだ入所して浅いのに、若い子に大人気で。元々インフルエンサーではあるんだけどね」
「太陽と組んだら、もっと人気になるかも」
「あはは、そうだといいなあ。でね、事務所がファンクラブとか何やらを立ち上げることになったんだけど、人手が足りないみたいなんだ」
太陽はポケットから名刺入れを取り出し、いつもの柔和な表情から、凛とした表情へと変える。幸はどきりとした。
「今日、会議があって社長は来れないんだけど、名刺を預かってきた。一緒に、ゲーム業界を盛り上げる仲間が欲しいんだ。幸ちゃん、僕たちと働かないか?」
「取締役社長 河野 明」という名前が、白い台紙に青いラインで装飾された、名刺の中央に存在していた。幸の胸は感激でいっぱいになる。
「社長も、僕も、友くんも、マネージャーも、皆ゲームに熱い想いを抱いた人ばかりだ。きっと君も馴染めると思う」
断る理由なんかどこにもない。
太陽から強く背中を押され、幸は決意を固めた。



第二章「社会人編」

高校を卒業し、東京で一人暮らしをはじめた幸は、神田にある、Gamewishのオフィスを訪れていた。
「幸さん、会社に入ってもう二か月だけど、慣れたかな?」
「社長! はい、難しいことだらけですが、皆さん優しく教えてくださるので」
まだ三十代半ばという若さの河野社長は、ゲームに関する様々な事業に手を伸ばしている。
例えば太陽達のような、ゲーマー育成、広報部門は看板事業だが、他にも、ゲームコンサル、配信コンサル、などなども手掛けている。幸が所属しているのはゲーマー部門で、大石という女性マネージャーの見習いという形で仕事を学んでいた。
「それは良かった。今日一時からって空いてる?」
「はい、打ち合わせなども無かったかと」
「そう。それじゃ、太友ちゃんねるのサムネ作成にあたってほしい」
「え!」
太友ちゃんねるとは、太陽×友のゲーム配信専用チャンネルである。デュオ結成から半年も経っておらず、アップされた動画も十本ほどだが、登録者は既に三十万人を超えており、注目のコンテンツだった。その動画のサムネ作成を任されたわけだから、幸は動揺を隠せなかった。
「緊張してる? ウチの会社もそんなに人が多いわけじゃないし、とにかく幸さんには即戦力として頑張ってもらいたいんだ。行く行くは、太陽と友を支えられる、立派なマネージャーになってほしいと思ってる」
即戦力という言葉で、幸はごくりと唾を呑む。
社会人になって「責任」という言葉の重さを知ることになった。仕事は自分だけでなく、少なからず他人が関わるもので、失敗すれば迷惑がかかってしまう。覚悟を決めて向かわなければならない。
幸は一時ちょうどを見計らい、配信用に設けられている小部屋を訪れた。
「幸ちゃん、やあ」
「太陽……さん、お疲れ様です」
仕事の関係上、ここでは太陽にも、さん付けを徹底している。
太陽はいつものように人の良い笑みを浮かべつつ、隣にいる青年に目線をやった。
「幸ちゃんは初めましてだよね? 彼が北原友くんだよ。僕の相方」
(この人が噂の……)片側の耳にはピアス、そして指輪、見た目は今時の装いをしているが、なかなか落ち着きのある青年だった。
「はじめまして」
幸は頭を軽く下げる。
「こちらこそ」と友も同様に頭を下げた。
それから三人で机を囲み、幸は要望をヒアリングしてノートにまとめていた。
「なるほど。スキンのコスチュームを題材にした動画を撮りたいと。それでしたら、サムネは少しポップで明るい色調が良さそうですね。例えば」
サラサラと画用紙にデザインラフを描いていく幸。友は感心そうにしていた。
「幸さんって絵が上手なんですね」
「そうですか? ふふ、嬉しいです」
「俺、絵心全く無くて。色調センスも絶望的で」
「友さんにも、苦手な事あるんですね」
話にきいていたからだろうか、なんでも器用にこなしてしまいそうな颯爽としたイメージがあったので、少し意外そうに幸は呟く。
そして、みるみるうちにラフが完成し、太陽と友に改めて提示する。
「こんな感じでどうでしょうか」
「うんうん、いいね。女性の視聴者も気軽に見てくれそうな感じがする」
「素敵だと思います」
「良かった。それじゃ、こちらで進めますね」

しばらくして、幸が小部屋を出ようとすると
「あの……」と友が声をかけてきた。
「うん?」
振り返った幸に、打ち合わせで余った画用紙を、手渡そうとする友。
「あ、忘れるところでした、すみません、ありがとうございます」
受け取りよく見ると、一番上の紙に何か描いてある。
「これって?」
「太陽さんからきいてた、幸さんのイメージで描いてみました。実際はちょっと違ってたんだけど。それじゃ、お疲れ様でした」
絵心があるとはお世辞にも言えない、ポニーテールの女性の絵。(ある意味、芸術作品だな)
中学生の頃から高校生になるまで、ずっとしていた髪型を懐かしく思いながら、
「友さんって変な人……」と、呟く幸だった。



「疲れたぁ……」
会社の近くに借りた1LDK。
帰宅後、思いっきりベッドへとダイブ……することはせず、しっかりと化粧を落として、シャワーを浴びた後、冷蔵庫の麦茶で一人乾杯した。成人になったらビールでこれをやってみたいと思っている、今日この頃である。
そこまでやると眠気も吹っ飛び、少しだけ余裕が生まれる。 幸はパソコンを立ち上げ、祖父母とビデオ通話をした後、フォートナイツを立ち上げた。
「今まで疲れてあんまりできなかったからなぁ。スキンまでは作れたんだけど」
緑のタンクトップに、カーゴパンツ、黒い短髪の女性が健康的に焼けた肌をして画面の中に立っている。幸は基本的に説明書を読まないタイプなので、そのままコントローラーで動きを確認すると、草原を走り出した。
オンラインでソロプレイモードにしているため、他にもプレイヤーはいるはずなのだが、なかなか見当たらない。仕方なしにピッケルでそこらへんの木材を崩していると、空に小さくカイトのようなものが見えた。
「あ、これってもしかして正々堂々と攻めるんじゃなくて、狙撃チャンスを狙っていく感じなの?」
そう思った時には既に遅かった。
ダダダダン!と、弾を連射する音が聞こえたのと同時に撃ち抜かれ、幸のスキンは地面に四つん這いになったのだ。
「ああ!」
事前に聞いていた建築要素がまるで使えないうちに、幸はゲームオーバーとなった。開始三分も経っていなかった。
「く、悔しいっ! 何よ、次は負けないんだから」
再プレイで同じ場所に降り、今度は建物の影に隠れてみる。 太陽は軽々とやっていたが、戦いながら建築して足場を作っていくのは、なかなかにコツがいりそうだ。まだ戦ってすらいないうちに不安になる。
「一人くらいキルできないかなぁ」
女子OLにしては物騒なことを言いながら、敵が来るのをひたすら待つ。しかし、今度もなかなか見つからない。しばらくウダウダとしていると、背後から撃たれてしまい、何もできないまま終わってしまった。
「うう、これ難しいんですけど」
今までやっていたシューティングゲームは、実に古風なもので、敵がいれば打ち、その狙撃で稼いだポイントや素材で、更に良い武器を作っていくというもので、ルールなども分かり易かった。けれどもフォートナイツは慣れるまでが大変そうだった。
「太陽に教えてもらおうかな。でも忙しいだろうし……」
そこまで呟いて、幸はふと直が頭に浮かんだ。
ある時からパッタリと連絡が途絶えてしまった、同い年の男の子。今、何をしているのだろう。
(私みたいに仕事をしている可能性は低いよね。直くん頭良かったし、勉強も好きそうだったもんな。良い大学に行って、ゲームのサークルとか入ってそう)
大学生なら、もしかして時間を持て余しているかもしれない。幸は淡い希望を抱いた。そして、しばらく迷ったが、アプリを起動し、直のID宛てに発信を試みることにしたのだ。
(直くんが今もこの番号を使っているとは限らないし、それにフォートナイツをやっているとは限らない)
その可能性はもちろん考慮していた。でも、直とどうしようもなく話したくなったのだ。その理由は幸にもよく分からない。
ひとつ言えるのは、幸は太陽のことが好きだが、遠慮してしまう側面がある。それに引き換え、直に対しては飾らない自分のままでいられた。直といると、とても楽しかったのだ。
誰と、話すよりも。



【直side】
ゲーミングチェアの背もたれが壊れたので、直はドライバーを持ってネジを固定していた。
「ったく、買ったばかりなのに先が思いやられる」
プロゲーマーが使っているような、最高級のゲーミングチェアに憧れるものの、都内で一人暮らしを始めたばかりの自分にとって、その選択はできなかった。ようやく全部のネジを留めた時、しばらく聞かなかったメロディーがPC部屋中に響いた。
「……嘘だろ、これ」
無論、幸用に設定している着信音だった。直が一方的に幸のことを絶ってからも何度かきいていたが、頑なに出なかったところ、ある時を境にぴたりと鳴らなくなったのに。
三年半という歳月を越えて、何故今?
「……」
出るか、出ないか。
とても迷う。彼女への感情を忘れてしまいたいのに、運命というのはいたずらである。
「これ以上、惑わせないでほしいんだけどな」
ぽつりとそう言って、直はマウスで通話ボタンを押した。
「はい」



——嘘。繋がっちゃった。
自分からかけたというのに、幸の胸はキュッと何かで縛り付けられたようになる。
気を引き締め、努めて明るい声で話し出した。
「直くん、久しぶり。幸だよ」
『幸ちゃん……』
ひどく硬く、そして懐かしい声。やはり、太陽に似ていた。
肉親を立て続けに喪い、太陽に失望され、失意のどん底にいた幸にとって、この声にどれほど救われたことか。途端に目頭が熱くなる。
「あの、突然連絡しちゃってごめんね? まさか、繋がるなんて」
『元気にしてた?』
「……うん」
しばらく沈黙が続く。
『なに、用事ないんなら、切るよ』
直のやや冷たい言い方に、幸の肩がぴくりと跳ね上がる。 少しだけ直のことを怖く感じた。
「私、寂しかったの。直くんと急に連絡とれなくなっちゃったし。何か悪い事したかなって」
『……ううん、幸ちゃんは何も悪くない。それは、大丈夫だよ』
はっきりとそう断言する直に、幸はホッとする。嫌われているわけではなさそうだった。
「で、あのね。用件なんだけど。フォートナイツっていうゲーム知ってる?」
『ああ、知ってるよ。ていうか、今やろうとしてたとこ』
「え、本当⁉ あのね、実は私、ゲーム会社に就職したんだけど、そこでフォートナイツを大々的に推そうって流れになっていて。社員だし、流石に無知なのはヤバいかなって、予習してたの」
『そうなんだ。いいよ、俺でよければ』
幸は「ありがとう」と言いながらも、ゲーム会社に就職したことに対し、直が大してリアクションを示さなかったことに、意外性を感じた。てっきり「凄い」と褒めてくれると思っていたから。
直は「少し待ってて」と言うと、三分後に準備を済ませて画面の中に現れた。
幸のスキンは、直に再会できた喜びで嬉しそうに笑っている、かのように、現実の幸には見えたのだった。



「それじゃ、デュオプレイにしようか」
『うん。けど、私本当に下手だから足引っ張っちゃうかも』
「大丈夫、俺に任せて」
——【俺に任せて】。
これは、直の口癖だった。昔はこれに対し、勝気な幸が笑いながら“私だって戦えるんだから!”と応えるまでがセットだったのだが、今は本当に直が何とかしてくれそうな安心感があった。
『それじゃ、お願いします』
直は幸の操作感を見る為、3つの画面のうち1つを幸のスキンが映るよう設定した。ゲーム開始後一斉にグライダーで街に降りる中、幸のスキンが人気スポットの方へ向かっていたので、直は目を剥いた。
「幸ちゃん! スティック左に倒して、俺のほうに近づいて」
『え? え? 何かまずいの?』
「俺から大分離れるし、別パと鉢合う可能性が高いから、初動でやられちゃうよ。初心者はこっち側がおすすめ。俺が見える?」
落下しながらも、直はくるくると回って、幸に存在をアピールした。
『見えた!』
「よし、ピン立てるから、そこに向かうように操作してみて」
『うん!』
幸は操作を間違えつつも、やがて正解を見つけ、着陸寸前に直と合流した。
『直くんのスキンかっこいいよね』
「さ、行くよ。ついてきて」
直は幸が追いかけてくるのを確認すると、そのまま手近な建物に入って、中にあるものをピッケルで破壊しだした。幸も直の真似をし、壁や床をザクザクと傷つけていく。
『おお、木材たくさん』
「建築っていうのがこのゲームではキーワードになる。素材を集めるってことは知ってるよね?」
『それは分かるよ。でもどう作っていけばいいのか分からなくて』
「まずは壁と階段を作るところをマスターすれば大丈夫。じゃあ今から幸ちゃんには壁の建築をお願いしようかな」
『うわぁ、緊張する。けど頑張る』
幸のいいところは、上手い人に任せきりにするのではなく、初心者ながらもチャレンジしようとする、前向きな姿勢だ。 このように自発的に動けることは、ゲーマーには欠かせない要素のひとつなのである。
「素材が足りない分は俺が渡すから」
その時だった。
「……っ、付いてきて!」
敵の気配を感じ、直は幸を建物の隅へと追いやった。自身は幸のすぐ側でショットガンを構える。
「来る」
直の声を皮切りに、建物のガラスが粉砕した。
パラパラと何かが床に飛び散る音がして、幸は短く悲鳴をあげた。
『きゃっ』
「落ち着いて、大丈夫だから。こうなったら実践だね、幸ちゃん。とりあえずこれを受けとって、そこの奥に隠れてて」
直の改まった声に、「はい!」と威勢よく応える。床に置かれたレンガを拾うと、指定の場所にしゃがみこんだ。
それと同時に、直の前方から敵が現れる。
『ひっ!』
目の前でショットガン対ショットガンの銃撃戦がはじまる。
幸は息を殺しながら(がんばって!)と祈ることしかできない。その思いが届いたのだろうか、直の体力が半分を消耗したあたりで、敵が倒れた。
『やった、やっつけた!』
幸のスキンが立ち上がり、直に駆け寄ろうとしたが、また別の足音が近づいてきた。
「まだそこにいて」
直の実力は敵よりも勝っているようで、次々に倒していく。
「壁なんだけど、できれば鉄やレンガを使った方がいい。耐久性があるから。デュオなら素材を分け合って広い壁を作ることもできるけど、とりあえず今日は1×1のサイズで大丈夫。俺のいう事よく聞いてね」
『う、うん!』
「……緊張してる?」
『そ、そんなことはっ』
慌てた声に、直は思わず頬が緩みそうになる。幸のこういう愛らしいところが、大好き、だった。
「まず二階以上だと床から作る必要があるんだけど、今回は一階だからそれはいい。十字キーで作るものを選ぶことができるからそれで……」
パリーン!ダダダダッ!
『きゃっ!』
「……っ。幸ちゃん、俺の後ろにいろ!」
『う、うんっ』
直の強気な口調に、幸の胸はトクンと鳴る。そういえば、中学の時より若干声が低くなった気がする。
(直くんはもう、大人の男の人なんだよね……)
当たり前のことだが、改めて実感すると以前と少し違う感覚がこみ上げてくる。直は目にも止まらぬスピードで壁を四方に作ると、そのまま上方に続く階段を作った。
「幸ちゃん、いい? 今から上に出る。当然敵はそのタイミングで撃ってくるだろうから、俺が囮になって引き寄せる」
『うん』
「その隙に幸ちゃんは煙突に隠れて、そして敵を狙撃してほしい」
『えっ……』
今日始めたばかりの人間には、とてつもない大役だった。 しかし、直はしっかりとした口調で言う。
「できるよね!」
『や、やりますっ!』
「うん、信じてる」
『信じてる』。幸は涙が出そうになった。嫌われているかもしれないと思っていた相手が、自分のことをそのように言ってくれる。それはもちろんゲームの中だけの事だけど、それでも嬉しかった。
直は宣言通り屋根に出るのと同時に、右側に急旋回し、派手な銃撃で応戦する。時折壁を作り、守備も見事にこなしながら敵をしっかりと引き付ける。
幸は照準を合わせ、じっと敵の動きが定まるのを待つ。
——今だ!
幸は引き金を引いた。



「お疲れ、幸ちゃん。初めてのデュオなのに凄いね」
『そんなことないよ! 直くんの作戦が良かったからで』
結果として、幸が足を引っ張ってしまい、50組中28位に終わった。それでも力を合わせて勝てたシーンがあったのは功績だ。
「俺も初手の時はボッコボコにされたよ。だけど知り合いに凄い人がいてさぁ。その人笑いながら敵蹴散らすんだ」
『あはは、何それ、怖い』
「ははっ。だからその人から、定石とか配置とかいろいろ学んで、自分なりに勉強して、なんとか追いつけそうな感じ」
『直くんは本当に努力家だよね』
できないことをよしとせず、コツコツと努力を重ねるところは、相変わらずだった。
『あ、もうこんな時間だね。今日はありがとう。ごめんね、付き合わせちゃって。ねえ、直くん……また連絡してもいい?』
「……いいよ。君が、そう望むなら」
『これ、私のスマホの番号』
「え?」
『これからはゲームだけじゃなくて、色んな話をしよ。連絡、もう途切れないように』

幸の頼みを切り捨てられない自分に、直は心底呆れていた。
(彼女は太陽が好きで、自分のことなんて眼中にもないのに。叶わない恋なのに、もうあきらめた恋なのに。なのに。 )
『直くんは本当に努力家だよね』と、そう褒めてくれる幸の声が愛おしくて。
連絡を積極的にしようとしてくれていることに、期待をしてしまう。



「ふわぁぁ……ふ」
翌日。
眠たそうにあくびをした幸に、太陽が噴き出した。
「あはは、どうしたの、寝不足?」
「はいぃ……。ちょっと、フォートナイツの練習してて」
そんな幸を横目に、口をおさえてあくびを我慢する友。
「うつっちゃいました」
「はは、二人とも涙目になってるよ。ところでそんな二人に目覚ましNEWSがあるんだ」
幸と友がぱちくりと目を合わせる。その様子に、大石は笑いを堪えながら、パソコンを空いているスペースに置いて話し出した。
「皆、これ見て」
「これって、フォートナイツの世界大会?」
「そう。まだ一般公開されてないんだけど、今から半年後にフォートナイツの世界大会がニューヨークで開催されます。そこで、我が社では太友の二人に出てほしいと思っているの。社長、お願いします」
大石が呼びかけると、河野が太陽と友、そして幸の三人の瞳をしっかりと見て言った。
「賞金は優勝した場合、三百万ドル」
「三百万ドル……⁉ って、いくらですか?」
首を傾げる幸に、友が苦笑する。太陽は笑顔で応えた。
「大体三億円だね。確かにeスポーツの賞金としてはそれくらいが妥当でしょう」
「三億……」
既に大会実績のある太陽や直ならともかく、幸にとっては未知の数字だった。ゲーム市場の恐ろしさを知る。
「もしも賞金を獲得した場合、通常ならその半分は、雇用契約通り、うちに収めてもらうことになる。そしてその残りを太陽と友で山分けという形だ」
「はい。存じております」
「太友、デュオとして、やってくれるか? 二人の実力なら、いいところまでいけると、俺は踏んでいるんだけど」
社長の真剣な表情に、本気でビジネスチャンスを狙いに行っているのだと、社会人の凄みを幸は肌で感じる。太陽は即答した。
「はい、勿論です」
「お、俺も。太陽さんとデュオで出られるなんて光栄です」
「決まりだな。幸さん」
「あ、はい」
「それで、本来なら大石がやるべきではあるんだが……」
大石が申し訳なさそうな顔で、幸を見遣る。
「実は私、妊娠してるのがわかって。半年後には臨月になるし、産休を取らせてもらおうと思うの」
「そうなんですか? おめでとうございます!」
「そこでね、太友ペアの、世界大会に向けてのマネージャーを、貴女に託したいと思ってる」
「へっ⁉」
大石は、河野と頷きあうと、幸の両掌をギュッと握る。
「ここ数か月、貴女を見ていたわ。仕事熱心で、努力家。それでいて、色んな人から愛される不思議な愛嬌がある」
「そんなこと……」
「あるわ。そして大会で優勝するには、貴女が太友の二人と良い関係性を築く必要があるの。だから、できるだけ早い段階から貴女がマネージャーとして、二人三脚でやっていくのが、理想形なの」
「な、なるほど」
幸は不安げに太陽と直を見る。しかし二人とも、笑顔でこう言ってくれた。
「大丈夫。幸ちゃんなら、立派なマネージャーを全うできるよ」
「太陽さん……」
「幸さん、一緒に頑張りましょ」
「友さん……」
この場にいる全員、幸を信頼してくれているのだ。
弱気なことを考えるのはよそうと、幸は覚悟を決めて顔を上げた。
「分かりました……! お二人のマネージャーとして、全力で頑張ります!」
そんなこんなで、幸はしばらく大石の代理を務めることになったのだ。



それからは、あっという間に時が過ぎた。
大石から引き継がれた業務の量が想像以上に多く、幸は覚えるために毎日遅くまで残業していた。
「幸さん」
「は、はい……⁉」
「お疲れ様です。まだ残ってるんですか?」
幸のデスクを残し、照明が全て消えたフロア。友は缶コーヒーを2つ持って立っていた。
「どうぞ」
「ありがとう」
受け取って、プルタブを開ける。ほどよい甘味と酸味が、身体にスッと馴染んでいき、幸はそこでようやく自分が夕食はおろか、水分すら摂っていないことに気が付いた。
気付いてしまえば腹は空くというもので「くぅぅ」と腹の虫が鳴った。
「やだ、私ってば。ごめんなさい」
「そんなこと気にしなくていいのに」
幸が頬を赤くしていると
「仕事熱心な幸さん、素敵です」
と言いながら、友は幸のPCを覗き込んだ。
幸の頬はさらに熱をもつ。
「これ、なんですか? スケジュール?」
「はい。これからの太友さんの強化合宿や、ファンイベント、配信、練習などの予定です。やること盛りだくさんですからね」
「すごいなあ、なんだかマネージャーみたい」
「マネージャーなんですって!」
「あ、本当だ」
軽口をたたき、笑い合う二人。幸の目の下にうっすらとしたクマがあるのを、友は見逃さなかった。
「幸さん、最近ちゃんと睡眠とってます? 疲れていませんか?」
「あぁ、大丈夫です」
伸びをして、幸はいつもの人懐っこい笑みを浮かべた。
「大石さんの後釜の荷が重いのは確かです。でも、それより、こんなにも会社に信頼を貰えて、太陽さんや友さんにも慕っていただいて。私、もっと頑張って、その期待に応えたいんです。……私の父が——」
幸の視線の先には友の瞳があったが、実際はもっと遠くを見ているようだった。
「『何でもいいから一番になれ』と、言いました。私はこれといった特技もないですけど、二人にとっての『一番のマネージャー』になれたらいいな、って思います」
「……それが、幸さんの夢ですか?」
「はい」
はにかみながら返事をした幸は、再びデスクの方へと姿勢を戻し、パソコン作業を続行する。
友は何も言わず、しばらく幸の後ろ姿を眺めていた。どこか眩しいものを見る様に、目を細めながら。
そして、柱の陰に隠れ、二人の様子をうかがっていた太陽は、
(——恵、君の妹は立派な人になったよ)
そう天国の想い人に語りかけたのだった。



無事に合宿も終え、いよいよあと一か月で、フォートナイツの世界大会「FORTNIGHTS WORLD CUP」を迎える。
出場者の太友デュオは勿論のこと、マネージャーの幸、社長の河野も、ここ最近はずっと大会へ意識を注いでいた。
幸は帰宅すると日課だったゲームをすることなく、すぐにベッドへと横たわる。
「……もうすぐ大会なのに。私って駄目だなぁ」
一番のマネージャーになりたいと意気込みを唱えた後、幸は本当に努力した。
配信チャンネル登録者数獲得のため、PRをはじめとする各種イベントを行い、大会に向けて様々な業者に頭を下げてまわった。それに加え、太友の練習プログラム作成や、日常的な事務作業など、休みなどとっている暇もなかった。それほど仕事に夢中になっていた。そして当然、体と心も確実に蝕まれていた。
「……辛いよ」
うわ言のようにそう呟き、目蓋を閉じる。
脳裏に浮かんだ人の名前を、幸は呼ぶ。
「お父さん、お姉ちゃん……助けて」
そう願っても叶わないことはわかっている。
まだ二十歳にも満たない少女に、頼れる家族はいない。
幸は涙をぐっとこらえる。
「苦しいよ」
自分が惨めで仕方なかった。
苦しくて、辛くて、悲しくて、淋しくて、どうしようもなくて、幸は今、一番会いたい人の名前を呼んだ。
「……助けて、直くん」
~♪
この世にもし奇跡が存在するならば、それは今まさに起こっている。
「う、そ……」
最近忙しくて通話できていなかった。その着信は、願った人からのものだった。
「直……」
幸はベッドから跳ね上がると、スマホを手にとって耳にあてた。
『もしもし、幸ちゃ……』
「な、直くん! ……」
ひどく取り乱した幸の様子に、直は驚いたように息を呑んだ。
『ど、どうしたの?』
「直くん……! わた、私っ」

『一番になれるものを見つけなさい』という父の言葉、それが父の願いであるのだと、いつも胸にして生きてきた。
その通りになろうとした姉のことを尊敬していた。
だから今ひたむきに努力している。けれどそれ以上に重荷を幸は感じていたのだ。

直は黙り、幸の言葉の続きを見守る。
「立派な、マネージャーに、なりたくて」
『……うん』
「でも……耐えられないかも、しれなくて」
『……うん』
幸の事情をあらかた知っている直は、ゆっくりと頷くと、ややあって、こう返した。
『幸ちゃんは、頑張り屋さんだよね』
「ひくっ…ううっ」
『誰かのために、いつも必死だよね』
「……」
『でも、幸ちゃんの人生は、幸ちゃんのものじゃないかな』
幸はぴたりと呼吸を止め、じっとスマホの奥の声に耳を傾けた。
『幸ちゃんの人生は、幸ちゃん一人分だから。誰かの分まで頑張ったり、期待に応えようとしすぎなくていいと思う』
衝撃だった。
周囲の人は「可哀想に。お父さんやお姉さんの分まで幸せにならないとね」と、知らず知らずに幸を追い詰めていたし、太陽でさえ、たまに同情する素振りを見せた。
(直くんは、等身大の自分を見てくれている)
幸はそれがとても嬉しかった。
「直くん、ありがとう。そんなこと言ってくれるのは、直くんだけだよ」
『……そんなことないよ。ただ……』
(——惚れているから、いつも君のことばかり想っているから、わかるんだ)
そこまでは言わず、直はスッと息を吸った。
「本当に、私は等身大で頑張っていいのかな」
『もちろんだよ』
「本当に本当?」
『本当だよ、俺の言葉に任せて』
直の温かな言葉に、幸は今日初めての笑顔を浮かべた。
「……ありがとう。直くん。でも、あともう少しだけ頑張るね」
そう告げて、幸は電話を切った。
その夜、幸は久しぶりに、両親と姉がいた、幼い頃の夢をみた。とても幸せな夢だった。



「うわぁ、すごい人!」
幸はスタジアムに入っている、沢山の人達に圧倒されていた。
フォートナイツ初のデュオ世界大会は、ニューヨークで開催のため、一週間ほど前に幸たちは現地に入った。
後ろにいる太陽と友のほうを振り返ると、時差ボケも治ったのだろう、二人ともすっきりとした顔をしていた。
「太友の出番はトーナメント最終戦ですね。……緊張されてます?」
幸はにこりと笑って、太陽を見る。
「幸ちゃんのおかげで散々ライブ練習できたからね。思ったより平常心を保ててるかな。頑張るよ」
「頼もしいな。友さんは?」
「俺は緊張していますけど……頑張ります」

時間となり、スタッフが選手たちに会場へ行くよう指示を出す。
幸は二人の背中を強めに、ポン!と叩く。
「行ってらっしゃい!」
太陽と友は互いに目を合わせ力強く頷いた。そして控室から見送る幸に向かって「行ってきます」と最高の笑顔をしてみせた。
その笑顔には、感謝の気持ちが込められていた。



【友side】
予選を順調に勝ち抜き、自分でも驚くほどあっさりと決勝まで進むことができた。
太陽さんがすごぶる上手なのは勿論なのだが、この半年で俺の実力もかなり底上げされたらしい。
スタジアム会場が決勝戦への熱で包まれ、俺も珍しく手に汗を握る。
ビジョンには、各国の猛者の名前がずらりと並んでいる。 中には国を越えてデュオを組んでいる者もいるようだ。

「Final stage! READY~GO!」
たくさんの歓声が上がる中、俺と太陽さんはグライダーで急降下した。
決勝は三十組。
目的地に無事着地すると、まずは武器と回復アイテムを回収していく。
『初動、気をつけような』
「はい」

——今のところ、太陽さんが考えた作戦通りの動きができている。
(よし、アイテムも良い武器も揃った——)
準備した車に、太陽さんを乗せしばらく移動していると、銃声がきこえてきた。
「友、指示頼む」
「S方向で敵がやり合っている。とりあえずバレないように隠れて漁夫を狙いましょう」
「わかった」

「ダウンだ! アメリカのロペス、テイラーが、韓国のチャン、テチを撃破したぞ」 
「ロペスはソロ大会で準優勝したことがある選手なんだ。今大会でも期待のデュオだから、序盤で目をつけられたのは運が悪かったとしか言えないぜ」

「太陽さん、今です、あの二人やりましょ!」
さきほどの銃撃戦で体力がなくなっている敵のほうへと、俺は車を走らせる。

「まずいぞ、日本勢がやってきた。ロペス、テイラーは回復アイテムをあまり持っていない。さっきの銃撃戦を陰からうかがっていたんだな。いいタイミングで近づいてきた、さすがだぜ!」

俺たちは、敵のいる少し手前で車から勢いよく降りると、すばやくランチャーで足場を崩しにかかった。

「テイラーが落下してダウン!」

「もう一人のほう、俺、攻めますね」
「OK、気をつけて」

太陽さんが敵の居場所に検討をつけ、何発かランチャーを放つ。
その時だった。壁が破壊され敵の姿があらわになる。
俺はすかさず接近し、ショットガンで攻撃を開始する。奴もこちらへ撃ち返してくるが、不思議と負ける気がしない。(俺は対面では絶対に誰にも負けない)そんな自信があった。
『友さんの対面の強さは圧倒的ですよね。この世に勝てる人いないんじゃないかなぁ』いつもそう言っていた幸の姿が、一瞬脳裏をよぎる。
「もらったぜ!」
俺の渾身の一撃が、敵の頭部へと放たれた。

「おっと! ロペスが友のヘッショを受けてダウンした! 対面の強さが際立っている! すごい選手だ!」
「今のチームプレーは素晴らしい! 日本勢もなかなかやるな。太陽は世界的にも有名なプレイヤーだが、友は新星のごとくあらわれた若手のホープなんだ! このチームから目が離せないぜ!」

実況者の興奮が会場中に伝わり、スタジアムにどよめきが走った。

幸は河野とともに、関係者控室のモニターで決勝戦を観戦していた。
控室のガラス張りの窓からはスタジアムの様子が見えており、立ち上がってスクリーンに向かい、腕を大きく振り上げ応援している観客の姿もうかがえる。
「幸ちゃん、この短期間で二人の力を最大限に引き出してくれて、本当にありがとう」
「いえ、そんな私なんて何も」
「太陽はもちろんだけど、友なんてうちの会社に所属して、驚くほど成長したと思うよ」
「ええ、それは私もとても感じています。私が入社した当時から比べても歴然ですから」
太友デュオ視点のモニターをじっと見つめる河野。
「友が、うちの採用面接のときに言っていた言葉を思い出すよ」
幸は河野のほうに目を向ける。
「強くなった自分を見せたい人がいるんです、って。それは誰なのかたずねたんだけど、笑ってごまかされたんだよな。でもその言葉から、彼のエネルギーを感じて……彼をうちに迎えてよかったと思った瞬間だったよ」
「そうなんですね」
友の強さはそこからきていたのだと幸は納得した。同時にその相手をとてもうらやましく感じたのだった。



「残るはアメリカのデュオと日本のデュオだけになった! アメリカはウィリアム兄弟がともに3キルずつ、日本は太陽が2キル、友が3キルしている! 毒霧はすぐそこまで迫ってきているぞ!」

【友side】
え、と思う間もなく、俺達のすぐ横をライフル銃の弾が掠めた。
「……っ⁉」
「あれは……っ」
太陽さんが渋い顔をしている。俺も慌てて画面を見返すと、敵は金髪に屈強な身体をして、特徴的な蜘蛛のコスチュームを纏っていた。
さて、どう迎え撃とうか。
「太陽さん、どうしますか」
「あの強すぎる兄弟に、定石は効かないだろうな」
太陽さんは普段の穏やかな態度とは一変、冷たく鋭い眼光で、暴れ散らしているウィリアムたちのスキンを見つめていた。



「決勝にしちゃ、覇気のねえ奴ばっかじゃねえか」
「兄ちゃん、あとはこいつらをやっつけるだけだ」
ウィリアム兄弟は優勝を狙って、気が急いているようだった。

「友、大丈夫、冷静になれ。チャンスを見逃すな」
太陽の一言が、友に落ち着きを取り戻させる。

「おぉ、日本勢だな、どうせ大したことねえよ。やっちまおうぜ」
二人の照準が太陽へと向かう。

「友、いくぞ!」
「はい!」

太陽の合図で、友は一目散に敵のほう目掛けて走っていく。
会場がざわざわと驚きに揺れても、その声がまるで入ってこないほど、二人は集中していた。

「馬鹿め、自分から飛び込んで……待てよ?」
ウィリアム兄は少し考え、弟に相手にしないよう制した。
「どうして?」
「これは罠だ。こいつの相手をした途端、もう一人が打ち込んでくる」
「確かに」
「特攻なんてナンセンスだな」
ウィリアム兄は、再び照準を太陽へと向けた。
ズドド!と太陽へ打ち込み、壁を作って反撃を待ち構える。しかし。
「なんでだ、打ち返してこねえのか?」
「アイツ、防御も張らず、身をかわしているだけだぜ。分身ってことはないよな? 何考えてるんだ! アイツから目を離すな、気をつけろ」
太陽のスキンがスクリーンに映り、会場中が騒然となる。
「太陽、どうしちゃったの?」
「珍しい、彼があんなにあっさり」
日本のスタッフ全員から、そんな声があがる。
敵も勿論、会場の観客、実況者、全員が不思議な気持ちで見届けていた。
ただ一人、幸を除いて。
「——行け、友さん!」
拳を握りしめ、力を込めて願った、
次の瞬間だった。

「俺に、任せろ!!!」
友は、太陽に気をとられている兄弟の背後に回り込んだ。すぐに反撃してきたが、うまく身を交わし、渾身のポンプを思いっきりぶっ離した。
直後、兄弟のスキンは地面へと崩れ落ち、そして姿を消した。
スタジアムのスクリーンには、左半分に『ビクトリー』の文字の下にならぶ太陽と友のスキン、右半分に実際の二人がハイタッチをする姿、が映し出されていた。



【幸side】
たくさんのフラッシュに包まれて、太陽も友さんも、眩しそうに目を細めている。
「優勝おめでとうございます! 今の気持ちをお願いします!」
『と、とても、恐縮です。胸がいっぱいで、あの』
『あはは。友は少しシャイなのでね。とはいえ、今日は友のクリティカルヒットがあってこそ勝てました。ありがとう、相棒』
太陽のグータッチに、友さんは恥かしそうに俯いて返した。 フラッシュが更に炊かれる。
【やっぱり……声が、直くんだ】

ラストの、友さんが叫んだ、
「俺に任せろ!」で、私は確信していた。

そして——
『あの、河野社長、友さんって本名なんですか?』
『ああ、いや、彼からは他のスタッフには言わないでほしい、と口止めされていたんだけど、幸ちゃんだからいいよね、実は偽名なんだよ』
『もしかして、直、っていうのが本名じゃないですか?』
『なんだ、知ってたんだね、そうそう、直くんだよ』
——表彰式前に確認したんだ。

思い返してみれば、彼は緊張した時、声が上ずって太陽とよく似た声音になっていた。クラスで朗読をさせられた時、記者会見を受けている時、そして……。
「中学の頃、私と話してた時……」
顔が熱くなる。彼は……直くんは、私と話すとき緊張してくれていたのだろう。自意識過剰かもしれないけれど、胸を高鳴らせてくれていたのだとしたら、嬉しい。

表彰台のすぐ下、私はじっと友さん——
……直くんを見つめる。ずっと会いたかった直くんがこんなに近くにいるというのに、不思議と気持ちは落ち着いていた。

大切な人はいつもすぐ近くにいる。たとえ姿が見えなくても、常に心の中に存在し続けている。だから、私は今までもずっとひとりぼっちなんかじゃなかった。
いつも直くんはそこにいた……

表彰台に立つ太陽が、ぽつりと何かを言うのが聞こえた。
「一番になれたよ……友みたいな素晴らしい相棒と、君の立派な妹の支えで、僕たちは一番に……恵」

太陽の中にはずっと姉がいたのだ。
私は、ゆっくりと空を見つめる。
天国の姉も、今喜んでくれているだろうか。
こうして一番という結果を残せたことに、安堵しているだろうか。

そのときふと、どこからともなく風が吹いて、一枚の純白の羽根が太陽の手のひらへと収まった。それを見て、太陽は泣き崩れる。
「……恵、恵……!」
愛する人への想いを胸に抱え、一生懸命頑張ってきた太陽が、この時とても美しく感じた。ざわめく記者たちなんてどうでもいい。私の大好きな姉に、かつて大好きだった太陽が、いつまでも想いを馳せてくれていることが嬉しくて、私も一筋の涙を流した。



【後日】
日本に戻った幸たちは、軽く打ち上げをし、賞金の使い道を決めた。
半分は規定通り会社に、そして太陽たちに振り分けられる半分は、色素性涸皮症の病態解明と、治療法の開発の支援金として、寄付することになった。
これは、最愛の人をこの病で喪った太陽だけの意思ではなく、友の意思でもあった。
「難病で困っている人がいれば、俺はその人たちの為にお金を使いたいです」
あっさりとそう言う彼を、幸は「ありがとう」と涙を零しながら抱きしめた。
友は「幸さん⁉」と慌てふためいていたが、社長と太陽は何かピンときた顔をして、ニヤニヤしながら手を振った。
「それじゃ、俺たちは神田の駅前で飲んでるから。話終わったら合流してくれよ」
「話終わらなかったらどうします、社長」
そう言うと、さらに顔を緩める。
「なんですか、そのニヤニヤ顔は!」
「べつに。さ、行こうか太陽」
「ええ、社長」
パタンと扉を閉められ、幸と友は二人きりになる。

「……オフィスで初めて会ったときから、気付いてたの? 私のこと」
「な、なんのこと?」
「ごまかさないで。貴方が直くんだって、私もう分かってるんだから!」
相手の腕をつかんだ手に、ぎゅっと力を込める。
「……君は、太陽さんが好きなのだと思って」
その言葉をきいて、幸の目にじんわりと涙の膜がはる。
「うん。そうだよ。元々は好きだった」
「うん」
「だけど、今は」
幸の美しい瞳が、直の顔をしっかりと見つめる。
「直くんが好きなの……頭いいくせに、なんでそんなことに気がつかないの!」
さきほどまでの照れたような直の顔が、一瞬にして真顔になる。
幸はその顔を確認すると、もう一度、心を込めて言った。
「好きだよ、直くん」
「……うん」
「いつも私を支えてくれて、助けてくれて。直くんがいなかったら私、自分を保てなかった。あなたのおかげで、私は私でいられたの……」
恋色に染まった顔が愛おしくて、直は、我慢できず幸を抱きしめた。
「俺のほうがずっと好きに決まってるだろ」
「直くん……」

大切な人がいる幸福感。
大好きな人と繋がっていられる喜び——。

窓の外を降る雪が、祝福するかのように、二人を見守っていた。
幸と直の恋は、今、ようやく幕を開けたのだった。