あの日もし君に出会ってなかったら。

大雨の中、駅前のベンチに傘もささず座っている女の子を見つけた。何を考えているのか一点を見つめながら黙っている。放っておくことも出来ず自分が差している傘の半分を彼女に差し出し一言こういった。
大丈夫??
ゆっくりと顔を上げた彼女は薄暗く雨が降っていてもわかるくらい赤く目が腫れていて大きな雫がポロリと光っていた。慌てるように目を擦ると大丈夫。一言そういい走っていった。
彼女のものだと思われるクマのストラップと、折りたたまれたA4位の紙を拾い上げバックにしまった。



あの日から1ヶ月。
スマホから鳴り響くアラームの音。憂鬱な朝を迎える音。大きなため息を1つ付き着慣れない制服を身にまとい、一人暮らしを始めたばかりの家の鍵を閉める。
おはよう。さくら。
ドアを開けると一見チャラそうな結城が私の名前を呼び笑顔を向ける。
なんでいるの。
素っ気ない態度に結城は私の肩にかかったバックを自分の方にかけ直し、一緒に行こう。と私の返事を聞くまもなく歩き始めた。
クラスの人気者の結城の横を並びながら歩くと後ろから妬みの声が聞こえてくることは少なくなかった。隣に並ぶ結城の耳にも届いてるはずなのに聞こえないふりをして、私の右手を強く握りしめる。
耐えられなくなった私は、離して。強引に結城の手を振り払いバックを受け取りそのまま走り出した。
目立つことが嫌いなのに、結城といると目立ってしまう。
上靴に履き替え、教室を通り過ぎ屋上まで登る。買ったばかりの紅茶を開け1口のみ、一息つくとスマホが音を立てなり始めた。
着信は結城だった。出ることも無くそのまま切る。
やっぱりな。後ろから聞き覚えのある声が聞こえ振り返る。
ここにいると思ったよ。なんで電話出ないんだよ。てか、なんで急に走って逃げるんだよ。
口を開けば文句しか言わない結城にごめん。
それしか言えなかった。
さくらがサボるなら授業サボるのもありだな。
冗談交じりに悪賢い笑顔を見せる結城になにか言おうと考える前に結城が口を開く。なんかあった?
一瞬で顔つきが変わり心配そうな目で私を見つめる。なにもない。はやくいって。
ほんとはかわいい女の子みたいに、隣にいて話を聞いてもらえばいいのにそんなに素直になれない私は素っ気なく君を突放す。
寂しそうな顔をして結城はその場を離れた。
私達に接点なんてひとつもなかったのに、あの日私が初めて君に出会った日結城の前で泣いたから、結城はウザイくらい付きまとう。
一日中屋上にいる訳には行かないので、一限目の鐘がなり終わる頃長い階段をゆっくり降り教室へ戻る。居るか居ないかもほとんど気が付かれないので静かに席に座ればサボっていたことなんてほとんどバレない。
ああ、やっぱり頭が痛い。カバンからクマのポーチを取りだし薬を1粒飲む。
一ヶ月後に体育祭を控えているため、昼休みにはグラウンドでリレーや、大縄跳びの練習をしている生徒が大勢いる。自分しかいない静まった教室に1人ぽつんとお弁当を食べる。
早退するのもありだななんて考えていると結城がクリームパンとアンパンをもって隣の席に腰を下ろした。どっちか食べる?当たり前のようにそう言って笑顔を見せた。
食べない。なんで来たの。隣で笑う結城に目をやりすぐそらしそう言った。
一緒に食べたいから、隣に来た悪い?
“一緒に“真っ直ぐすぎて素直すぎて、時々たまに苦しくなる。その素直さに圧倒されて、自分のひねくれさが目立つから。
ほんとは嬉しいって、言えればいいのに私はその4文字が素直になれなかった。だから返事もせず昨日の夕飯の余り物と冷凍食品を詰めただけのお弁当を再び食べ始める。
さくら。今日放課後、、
結城がそう言いかけたとき、教室の扉から
太一、ちょっといい??
隣のクラスの女の子が結城の下の名前で呼んだ。それに答えるように結城はちょっとごめん。それだけ言って廊下に走っていった。
2人きりの空気が苦しくて、逃げるようにトイレへ駆け込んだ。用を足して出ようとした時、
私、太一のことずっと好きだった。付き合ってくれない?
初めて見た告白シーン。何故か胸が痛むこの気持ち。何もかもに驚いて逆の出入口から教室へ戻る。何事も無かったように戻って来た結城に私は聞けなかった。しばらく沈黙が続いて結城が口を開いた。今日の放課後空いてる?一緒に帰れる?てか帰ろう。返事を聞く前に全て決めてしまう結城に戸惑ったけど別に断る意味もなく、半分強引に一緒に帰ることになった。


週に一回の7時間授業、外は真っ暗で小雨の雨も降っていた。玄関で待っていた結城と校門を抜け少し歩き始めると
なんか聞きたいことあるんじゃないの?
交差点の信号待ち結城がそう言って私はなにもない。それだけ答えまた黙り込んだ。
聞いてもないのに結城は
付き合ってないよ。俺、好きな子いるからさ。振り向いて貰えないかもだけど諦めないって決めたから。
普段はふざけてばかりの結城が真面目な顔して私にいう。
結城の言葉と同時に信号が青に変わる。私の1歩先を歩き始め、それに追いつくように私も前へと動き出す。
別に聞いてないよ。本当は気になって仕方なかったのに思ってもないことが口から出る。
でも本当は気になってたでしょ。ねぇ!嬉しそうな顔をして私に詰寄る。
だから気になってないよ。思わず盛れる笑みが結城にバレないように顔を背ける。
ふーんと足速に歩き始める結城に声をかける。
ねぇもう少しゆっくり歩いてよ。
やだね。早く追いつけよ。
また少し早く歩く結城を一生懸命追いかける。
何度も断ったけど家まで送ると聞かずに家の前まで送り届けてくれた。
ありがとう。それだけ言って鍵を開ける。
さくら、さっきのお前に言った言葉だから。
俺本気だよほんと。だからさ、ちょっと考えてよ。
照れくさそうに耳を真っ赤にし真っ直ぐ想いを伝えてきた結城に背を向けささくさと家の中に入る。


あの日、駅のベンチで涙を見せてしまった日。
3ヶ月近く体調が優れなかったため通い慣れた病院へ行くと大きな病院で検査が必要だと言われ招待状を書いてもらった。精密検査を受け診断結果は若年性アルツハイマー。分かった時にはもう遅くて少しずつ記憶障害が進んでいる状態だった。薬で進行を抑えながら治療をするしかない。つまり長くないということを悟った私は『あとどれだけ生きられますか、私に残りどれだけの時間が残っていますか。私はあとどれだけ覚えていられますか。』
震えた手を必死で抑え、覚悟を決めて口にした
未練もないと言えば嘘になる。だけど不思議と怖さだけは何も無かった。病気にありがとうじゃないけど忘れたい過去だって少なくない。
持って半年、早くて3ヶ月、、断言はできません。それより早く、もっと長く生きられる方もいます。ただ、長く生きられれば生きられるだけ日常生活に支障が出てくることを覚悟してください。
医者の決まりゼリフみたいなのを連発され、よろしくお願いします。それだけ言って診察室を出た。A4サイズの診断書を折りたたみバックに詰め込む。
怖さなんてこれっぽっちもなかったのに、なんでだろう涙が止まらない。あ、やっぱ怖いんだ死ぬの。初めて気がついた。自分の本音。
泣いたのなんていつぶりだろう。思い出すことも一苦労なくらいほんとに久しぶりに涙を流した。乾ききったと思ってた涙がちゃんと出てまだ生きてる。生きれてる。病気だって分からなかったら知れなかった自分の気持ち。病気になってよかったなんて思えないけど、これが私の決められた運命だって言うなら精一杯生きてやる。覚悟を決めた時大粒の雫がポロリと垂れた。気がついたら駅のホームのベンチに座って顔を上げると傘を差し出した結城がいた。
大丈夫?と心配そうな顔で見つめる君に寄りかかりそうになったけどふと我に返って焦って涙を拭った。大丈夫。それだけ答えて走り出した。自動販売機でお水を買おうと財布とを取り出そうとした時、クマのストラップとA4の診断書がないことに気がついた。焦ってベンチに戻ると結城の手にそのふたつが拾い上げられていた。幸い中を見られてなく、結城のバックにしまい込まれる。返してなんて言える訳もなく仕方なくバスに乗り込んだ。どこの誰かも知らない人の落し物なんかすぐ処分されると思ったから。

体調が優れなくて1週間と2日学校に行けなかった。病気だということは言ってないし言うつもりもない。時期が来て、自分で自分のことをできなくなったら、大切なものを忘れてしまったら静かに去ろうと思った。
儚いからこそ美しい。そんな女性に育って欲しいそう願ってつけてくれた名前。16年間そんな生き方できなかった、最期くらい親孝行だと思ってもいいでしょう。そんなことを考えながら家を出る。1曲しか入っていないWALKMANにヘッドホンを繋げ聞き始める。いつもギリギリで到着するバスに乗り込んで2人席の窓側に座った。バス停を2つ、3つ通り過ぎあいつが乗ってきた。同じ制服を身にまとって。顔を下に向け目を合わせないようにしていると、
君、同じ高校だったんだね。同じバスなのに気が付かなかった。とお構い無しに隣に座る。そこから20分バスに揺られ珍しく余裕もって到着した。
この日から結城はしつこく私に付きまとうようになった。







『 今日も一緒に帰ろう』
『 てか数学わかんなすぎて頭いてー』
『 腹減らない??食堂でも一緒にど?』

私は結城の着信に1度だって返信したことないのに懲りずに何度も送ってくる。
一緒に帰るわけないじゃん。心の中でぼそっと思っていると、
なんだよ見てんじゃねーかよ。
不満げそうな顔をして私を真っ直ぐ見つめる。
結城は照れることなくいつもまっすぐ私を見つめるから、逆に私が照れてしまう。
1度結城に向けた視線をまたスマホに向けると勢いよく私のスマホを奪い取った。

『 ちょっと返してよ。』
そう起こった口調で言い返すと
返信ないからここで聞く、返事くれるまで返さない。あ、返事の内容によっては返せないけど。
結城の求めている答えは一つだけ。スマホを早く返して欲しいから仕方なく、
『 わかった。放課後。』
返事がないので結城にもう一度目を向けると
顔を真っ赤にしてこっち見んな。と私の頭を大きな手で掴んで自分から目を背けさせた。
そんな結城に思わず笑みをこぼしてしまう。
だけどこんなふうに高校生らしい生活がこれからもっと苦しくなる、少し先の約束でさえ覚えていられなくなることが怖くて、
なにより結城を忘れてしまうことが怖かった。

6限目の鐘がなり教室を出て下駄箱に向かう。
部活動が始まり静かだった廊下も一気に騒がしくなった。階段を降りてると強く腕を引っ張られた。
『危ねーな、ちゃんと前見ろ。』
いつもそう私を気にかけてくれる。
ありがとうって思うと同時に申し訳なくなる。私には限られた時間しかないけど結城にはこれから10年、20年これからもっとこの世界で生きていかなきゃ行けない。そんな人の貴重な時間、奪っていいのかなって。
そんな事考えてたら
『 一緒に帰るって言ったろ?なんで先帰ろうとするんだよ。忘れたとは言わせないぜ』
、、ダメだごめん。思い出せない。
『ごめん。帰ろ』
どんだけ頭を回転させても思い出せないことがどんどん増えていく。
外は薄暗く街灯が眩しすぎるくらい光っている坂を結城の隣を並んで歩く。
『どうした?』
心配そうに顔を覗き込んでそう言うから私は焦って
『なにも。』
それしかいえなかった。結城は深くは聞かずに私の心を見透かしたようにして冷たくなった右手を握りしめた。
『寒いから。これくらい許せよ』
私の右手を握る結城の手は私の手の何倍も大きくて暖かい。
ホントなら離してって手を振り払ってあげなきゃ行けないのに、結城の隣にいられるのが幸せで出来なかった。好きって気持ち自分でもわかるけど認めたくなくて、認められなくて苦しくなった。1粒だけ流れた雫を結城は驚いた顔をして何も言わずに右手で拭った。触れられた目の下がじんわり暖かくなる。