閉じていた瞼を開けると、見慣れた部屋が視界に入る。
僕は軽く息を吐いて体を起こした。
「いっ、た」
赤い寝跡の残る痺れた腕を強引に動かす。
結構寝てたな……そろそろ晩ご飯の用意をしないと。
手元にあったスマホの画面を見て、微かに夢の余韻が残る頭を覚ますために、洗面所で顔を洗ってからキッチンへ向かった。
それにしても、久しぶりにあの夢を見たな。
幼少期に経験した、たった数分の出来事。それが時たま夢になって現れる。
あなたが憎いと言われて、自分は無意識のうちに、人に不愉快な思いをさせ、傷つけているのかもしれないと気づいた。
覚えていないだけで、僕は彼女に何かしていたのかもしれない。無自覚な悪意ほど酷いものはないと、同じ過ちを繰り返さないために、あの日から他人とは近すぎない一定の距離を保っている。
この夢を見るのはこれで数回目。
いちいち夢を見た回数なんて数えないから大体の感覚だけれど、一度や二度ではないことは確かだ。
名前も住所も知らない相手だから、あの言葉の理由は聞けていないし、謝ることもできない。その心残りがあるせいで夢に出てくるのだと思っている。
キッチンにあった食材を見て、今日は必然的にカレーになった。
慣れた手つきで具材を切り、鍋に入れる。
平日は店に出る両親に代わって夕飯を作ることが多い。
部活で忙しい茜と違って、帰宅部で時間を持て余している僕がキッチンに立ち始めてもうすぐ一年。料理はそれなりにできるので、この時間は嫌いじゃない。むしろ無心になれるからいい。
「……熱っ」
でもたまに違うことを考えてミスをすることがある。
「お兄ちゃんまた火傷したの?」
「ちょっと考え事してて」
手を冷やしていたところでタイミングよく帰ってきた茜に突っ込まれた。
「お兄ちゃんってたまに抜けてるよね。盛り付けは私がやるから、お母さんたち呼んできて」
「わかった」
たかが火傷くらいでそんなに心配しなくてもいいのにと思いつつ、ここは茜に任せて店仕舞いをする母親に声をかけた。
「あれ、父さん今帰ってきたんだ」
「あぁ。これ持って帰れって渡された」
受け取った箱の中には大量のいちごが入っていて、甘い匂いが広がる。
「お義父さんの隣に住んでる人から貰ったみたいなんだけど食べきれないからって」
そう言えば、じいちゃんたちが住んでる家の近所にはお年寄りが多いんだっけ。
元々はここが祖父母の家だったが、今は数kmほど離れた病院近くのアパートに住んでいる。
「あら、それなら今度お礼しないとね。そのいちごをジャムにして持っていこうかしら」
「とりあえずキッチンに運んどくよ。あと、もうすぐ夕飯できるから」
「いつもありがとうね」
「俺も後で行くよ」
いちごの入った箱を抱えてキッチンに持っていくと、それを見た茜が目を輝かせていた。
「えっ!?あまおうだ!」
「え、そんな一瞬で分かるのか」
「当然」
「ほんと好きだな」
「一ヶ月いちごだけで生活できる自信がある」
「栄養偏るぞ」
茜にとっていちごはこの世で一番好きな食べ物らしく「いちご〜いちご〜」と、カレーを皿に盛り付けながら嬉しそうに呟いていた。
それから家族揃って夕飯を食べる。
最近この光景が当たり前になってきた。店舗兼住宅だからというのもあり、以前までは別々に食べることも多かったが、ここに来てからは互い顔を合わせる時間も増えている。
家族と一纏めに言っても色々な形があるが、家はみんなで同じテーブルを囲む時間があるのは当たり前で、このことを友人に話すと珍しがられた。元々家族仲はいい方だし、「家族関係が良好なのはいいですね」と中学の教師に言われたこともある。
「そうそう。来週の桜まつりの日は二人店番お願いね」
「分かった」
「うん、任せて!」
桜まつりとは、名前の通り桜を楽しむ祭りで、町自慢の桜並木を多くの人に見てもらいたいと毎年三月下旬に行っている行事。そこで屋台や出店も開かれ、うちも店を出すことになっている。
僕はそういう行事に進んで参加するタイプではないから今回家の店番を申し出たのだけれど、妹は好きそうだから残るのが意外だった。
「茜は祭りに行かないのか?」
「そろそろ試験の勉強もしなきゃだから」
「受験生は大変だな」
「勉強は苦手なのー。お客さん来てない時にやろうかな」
今まで部活一筋だった茜は四月から中学三年生になる。
受験する高校は僕が通っている学校と同じらしいが、あそこなら今の茜の実力でも十分いけると思う。
「忙しいなら無理にお店に出なくてもいいのよ?桜まつりの日はお客さんあまり来ないだろうから」
「いや、気分転換になるから店に出るよ。ずっと部屋に籠って勉強するの嫌だし」
休みの日になると店を手伝っているから店番には慣れているし、祭りということを除けば普段の休日と変わらない。だから別に一人でも平気だ。
「ねぇ、お兄ちゃん勉強教えてよ」
「教えるのはちょっと……叶山の方が上手いと思う」
「うーん、じゃあ今度会ったら教えてもらおうかな」
僕は勉強が得意ではないから、誰かに教えるのは苦手で、できることは過去問を渡すくらい。それに茜の方が頭いいから、教えるまでもないはず。
すると近くに置いてあったスマホが鳴った。
怜斗から?
通知画面から開くとそこには一言。
【来週暇?】
全く……タイミングがいいのか悪いのか。
【店番】
自分も一言そう返すと、想像通りの返事が来た。
【じゃあ遊びに行くわ】
やっぱり。
最近出たゲームやりたいって言ってたし、また家に集まってやるつもりだったんだろうな。
なぜか新作のゲームが出て最初にプレイする時は四人集まってやることになっている。オンラインゲームだからわざわざ同じ場所に集まらなくてもできるのに、その方が面白いからと怜斗に無理矢理納得させられて自然と集まる流れになっている。
「来週怜斗たちも家に顔出しにくるって」
今回ゲームは無理だけど、僕が店番をしてるから三人とも来るだろう。そんな独り言のような呟きに一番に反応したのは茜だった。
「それなら叶山さんも来るかな?」
「一応声かけてるらしいけど……あ、来るって」
再び鳴ったスマホ画面には、叶山と拓巳も誘ったという文が映っていた。
「あなたたち本当に仲がいいのね」
前回家に呼んだ時は母親もいて、顔を合わせているからあいつらがどんなやつらなのか知られている。
「凑大は友達とか作りたがらないと思っていたから心配してたんだ。転校先で仲のいい子ができるのかって……よかった」
「いや、なんでそこで泣きそうになるんだよ」
「仕方ないでしょ。お父さん親バカなんだから」
明るい笑い声が部屋中に響き渡る。
これが家の日常で、平凡な生活。
なんとなく過ぎていく時間の中で、自分が自分で居られる場所があって、温かい明かりの下で笑い合える家族がいる。
気づけばその日々に溶け込んで、夢のことなんて忘れていた。



