「あ、ちょっとここ覗いていい?」
店を出ると隣にあった本屋に立ち寄った。そこで彼女が向かったのは意外にも絵本コーナーだった。
「いいよ」
僕は漫画を見に行こうと思ったけど、彼女が何かを探しているようだったので思わず話しかけた。
「絵本好きなの?」
「昔好きだった絵本があって、あるかなぁって」
話している間も絵本から目を離さなくて、今までにないくらい真剣に見ていた。その様子を見て一緒に探そうと思い、隣に並ぶと彼女が立ち止まった。
「あ、あった!」
そうして彼女は一冊の絵本を手に取った。
「なんでやつ?」
「『剣の少女』」
表紙に描かれていたのは、ドラゴンに立ち向かう鎧を着た女の子。
彼女がいるのは山に囲まれた小さな村で、中々インパクトのあるイラストだった。
「知ってる?」
「初めて見た」
そう言うと水月さんはページをめくって中を見せてくれた。
小さい頃はよく本を読んでいて、たまに絵本も見ていたけれど、これは知らない絵本だった。
「これを初めて読んだのが小学生の時で、図書室にあったんだ。みんなが気づかないような隅っこの本棚にあって。私はこれが大好きだった」
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『剣の少女』
小さな村に住んでいる少女がいた。
両親は早くに亡くなって、家族はいない。
少女はひとりぼっちで暮らしていた。
彼女の通り名は"変わり者"。
女の子なのに喧嘩が好きで、泥遊びが好きで、可愛い洋服が嫌いで、洗濯ができなくて、料理ができない。おまけに夜な夜な家から恐ろしい音が聞こえると噂されていた。
「あの娘は変わっている」
そう話す村人たちは、少女に近づこうとしなかった。
自分が周りからどんな目で見られているか理解していた少女は、できるだけ人目を避けて生きていた。
周りの声に耳を貸すことなく、自分らしく生きることを貫いた少女はずっとひとりぼっちだった。
そんなある日、巨大なドラゴンが近くまで来ていると知らせを受けた。大きな翼で空を飛び、大きな口から火を吹き、大きな体で村を潰そうとするドラゴン。
村人たちは慌てて逃げようとしていたが、混乱している状況では思うように動けない。
泣きわめく子ども。怯える大人。村人全員が死を覚悟した。
これ以上近づかれると、村を潰される。
絶望に染まった村で、ただ一人、ドラゴンに立ち向かおうとしている者がいた。
それが、あの少女だった。
少女は鎧に身を包み、銀色に光る剣を持っていた。
久しく戦争なんてしていなかった村で、そんな物騒なものを持っていたのは彼女だけ。
「嬢ちゃん、そんなもの一体どこで」
村に住む大人の男性が聞いた。
「一人で退屈だったから作っていたんだ」
少女は視線をドラゴンから離さずにそう答えた。
「危ないよ!」
村に住む泣き虫な子どもが少女を止めた。
「平気さ。怖気付いているそこらの大人たちより、私は強いよ」
少女は後ろを振り返ることなく、獲物を捉えた瞳を光らせた。
そして表情一つ変えることなくドラゴンに近づき剣を振る。
迷うことなく届いた一撃で、少女はドラゴンを倒してしまった。
そんな少女は、村を救った英雄として村人たちから賞賛され、初めてその存在を受け入れらた。
「ありがとう」
そう言って笑う少女の心は満たされなかった。
どれだけ温かい言葉をかけられても、どれだけ穏やかな時間の中にいても、少女は最後まで見えない傷を隠して笑っていた。
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簡単なあらすじはこんなもの。
そっと絵本を閉じると、水月さんは棚に戻した。
「ハッピーエンドって感じじゃないけど、この少女が私にとってのヒーローだったんだ」
この絵本の最後のページには笑顔の少女と、それを囲む村人たちが描かれていて、黄色やオレンジの温かみを感じる色で装飾されている。だけど、物語を読んだ後ではそれが正解なのか分からない。
水月さんは絵本の背表紙を優しくなぞりながら話を続ける。
「誰にも受け入れられなかった場所なのに、それを守るために戦える少女が凄いと思ったんだ。凄いなんて簡単な言葉で片づけちゃ駄目だけど、自分には到底できることじゃないし、そんなことができる人なんていないと思ったから、嫌味の意味も込めて、凄い」
自分の居場所を見失ったことがある彼女の言葉は重苦して、「そうだね」なんて安易な言葉はかけられなかった。
「これを読んだ時にね、私もこの子みたいに強くなりたいって思ったんだ。誰にも受け入れられなくても、自分の信じる自分を貫く。そんな風に生きられたらかっこいいなって。それを小学生の時の友達に話したら、みんなはこういうのより、王子様と結ばれるお姫様の話が好きだったみたいで……ほら、こういうの」
水月さんは『シンデレラ』の絵本を手に取って見せてくれた。内容は知っている。先程見た『剣の少女』よりもキラキラしていて、幅広い世代に愛されている物語。
「私、この時から浮いてて。みんなが好きな絵本を題材にした劇をやることになった時も、私がお姫様役はやりたくないって言ったら、変なのーって不思議な顔されて」
定番の物語が女の子たちには人気で、お姫様役は取り合いになっていたらしい。
結果、水月さんは木の役になってしまったけれど、お姫様役にならないのであれば何でもよかったという。
「私は、王子様に助けられるお姫様より、一人でも戦えるヒロインになりたかったから」
彼女にとってお姫様は王子様に助けられる存在で、一人では何もできない女の子というイメージがあったのだろう。
あ、だから。
『私は、助かりたいと思ってないから』
あんなことを言ったのか……?
悩み続けて弱みを他人に見せないようにしていたのは、剣の少女に憧れて一人で生きられる人になりたいと思ったから。
「でも今ならわかる。私はお姫様が嫌いなんじゃなくて、お姫様になりたくなかったんだ。お姫様じゃなかったら、強くなれると思って。でも実際は、何者にもなれなかった」
「そんなこと――」
君が気づかせてくれたんだ。生きる意味を。だから、そんな風に言わないでくれ。
その思いを掻き消すように彼女は言った。
「私は強くないから」
小さく呟かれたその言葉が、彼女の本心。
あぁ、そうか。
本当は君も、自信がないんだ。
一人で強かっているふりをして、なりたい自分がいても空回りしてしまう、不器用な人なんだ。
そんな彼女に、僕は何をしてあげられるだろう。悩み相談はできないし、気の利いた言葉も浮かばない……そんな時、甘い香りが鼻をくすぐった。
これだ。
「じゃあ、パンケーキ食べに行こ」
「え?」
僕の提案にキョトンとする彼女。
それを見て軽く微笑んだ。
「君が強くなれるように」
彼女は気づいていないだけで、本当はもう持っているんだ。誰にも真似できない、彼女だけの強み。それに気づくのは僕だけでいい。
だから今は彼女を元気づけるものが必要だった。
「なにそれ。面白いじゃん」
下を向いていた彼女に笑顔が戻り、僕は彼女の前を歩いて店に向かった。



