君が生きた証を残すから


「お母さーん。お兄ちゃんがお友達連れてきたー」

 中に入るや否や、茜が声を上げた。
 焦って辺りを見渡すも他に客はおらず、ほっと肩をなでおろした。それに安心するのも束の間、奥から顔を覗かせた母さんが嬉しそうに寄ってきた。

「あら、お友達?湊大が男の子以外のお友達を連れて来るなんて初めてね」

 さっきから二人ともお友達の部分を無駄に強調して言ってくる。絶対わざとだろと思いつつ何も言い返さなかった。

「へー、女の子のお友達は私が初めてなんだ?」

 隣に立っていた水月さんがいたずらっぽく笑って顔を覗き込んできた。

「そうですよー」

 なんとも思ってないふりをして素っ気なく返した裏では恥ずかしくて顔を逸らしたかったが、必死に堪えた。

「……」

 どこからか視線を感じ、店の奥に目をやると涙ぐんでいる父親がいた。
 ……何で泣くんだよ。そんなに嬉しいかよ、僕がお友達を連れて来たのか。
 呆れてため息しかでない。
 それを見ていた彼女は「楽しい家族だね」と笑っていた。

「普段はもうちょっと落ち着いてるんだけど、なんかごめん」
「ううん。いいなぁって思って見てるから、気にしないで」

 自分よりもはしゃいでいる家族を見ていると、冷静さを装っている自分が馬鹿らしく思えてくる。

「じゃあお兄ちゃん。夕飯は私とお母さんで作るから、水月さんと上にいて!」
「え、いや手伝う――」
「いいのいいの。私の料理、水月さんに食べてもらいたいから!」

 強引に背中を押され、二階の自室に押し込められた。

「はぁ……」

 本日何度目かのため息を零し、入ってきたドアの方を見ると、戸惑いながらも茜の後をついて階段を上ってきた水月さんが僕の部屋にいた。

「なんか、ごめん」
「全然平気だよ」

 顔は笑っていても困っていることは分かる。
 今から夕飯の準備をするにしても、一時間ほど部屋に閉じ込められた状態になる。適当に理由つけて下りるにしても、少しはここで時間を潰さないと。
 そう思って、久しぶりに部屋のカーテンを開けて明るい光を取り込んだ。

 どこか座るところ……といっても、この部屋にある椅子は一つで、あとは絨毯の上かベッドしかない。さすがに絨毯の上に座らせるわけにもいなかいし、かといって今朝使っていたベッドの上に座って下さいというのも失礼な気が……。

「あ!チンチラだ!」
「え?」

 水月さんが指さした方を見ると、畳んで置いてあるタオルの上にモチュがいた。

「すごい、本物初めて見た」

 彼女は吸い込まれるようにモチュの近くに腰を下ろした。

 その時、部屋の外で何か音がして扉を開けると、お盆の上に麦茶の入った二人分のグラスが置いてあった。
 母さんかな。
 さり気ない優しさに、ありがとうと呟いて部屋に持って入った。

「どうぞ」
「あ、ありがとう」

 タオルに包まるモチュのそばを離れない水月さんにグラスを渡して、自分もその隣に座る。

「動物好きなの?」
「うん。でも触ったことない」

 僕はモチュをタオルの中から出して自分の腕の中に抱えた。

「撫でる?」
「いいの?……わぁ、可愛い……」

 初めて会う彼女に対して向ける警戒心のないキョトンとした顔が愛らしい。おまけにモチュを撫でる彼女の柔らかい笑みにつられて僕も自然と口元が緩んでいた。

「名前なんて言うの?」
「モチュ。茜がつけた」
「可愛いね。でも私だったらチラミザワさんとかにするかも。ちょっと面白いやつ」
「え」
「なに……あ、もしかしてダサイって思った?」
「いや、そうじゃなくて!」

 まさか自分と同じ感性を持っているとは想像していなくて思わず声が漏れた。
 怜斗たちには絶対ないと言われた名前をつけたがる人がここにもいた。その事実が嬉しく、同時に面白くなって手を口元に運んだ。

「え!そんなに笑う?」
「うん、なんかおかしくて」

 目の前に人がいるのに、こんな風に笑ったのは初めてかもしれない。

「そうやって普段から笑えばいいのに。湊大くんって学校じゃ笑わないよね。私の前でも」

 からかわれるかと思っていたけど、彼女は最後の言葉を告げる際にふと寂しげな表情を見せた。それもほんの一瞬。

「あ……うん。子どもの頃、笑ったら幼く見えるって笑われて。その時から人前では笑わないようにしてるんだ」
「そうだったんだ。でも前に見た時から湊大くんの笑顔は素敵だなって思ってるよ」
「前?」

 僕が彼女の前で笑顔を見せたことがあっただろうか。あったとしてと隠していたはず。

「あ、いや!さっき!さっきね、モチュのこと見てて笑ってて!それが素敵だなって……!」

 何かを誤魔化すように話す彼女を見つめれば見つめるほど、焦りを隠そうと必死になる姿が可愛くてからかいたくなってしまう。

「あっ……」

 モチュが腕の中から抜け出して、再びタオルの上へ戻っていった。
 本当に好きだな、そこ。
 モチュはそっと目を閉じると動かなくなった。

 ――……。

 会話が途切れ、静かな時間が流れる。

 手持ち無沙汰になった僕は、下に降りて何か手伝おうと立ち上がった。

「ねぇ、湊大くん。今日の夜、時間いいかな?」

 視線はモチュに向けたまま、語りかける声だけが僕の方を向いていた。

「夜?」
「うん」
「別に大丈夫だけど」
「ありがとう」

 結局最後まで目は合わなかった。

 僕が手伝いにいくと彼女に伝えると、一緒にキッチンへ行きたいと言われたので二人で下に降りた。

「手伝うよ」
「いいって言ったのに。あ、じゃあ私は水月さんと話してこよーっと」

 そう言って茜は水月さんの元に駆け寄り、リビングにあるソファに座った。

 僕は妹と入れ替わるようにキッチンに立つ。

「何作ってたの?」

 隣にいた母さんに聞く。

「ハンバーグと唐揚げ。茜は卵焼き作ってた」

 皿の上には既に形が出来上がっていたハンバーグがあった。

「じゃあソース作るよ」
「ありがとう」

 材料を冷蔵庫から取り出して和風ソースを作る。

 その間、水月さんは茜と何か話していた。



「わぁ!美味しそう!」
「たくさん食べてね」

 食卓には出来立てのハンバーグと、カリッと揚がった唐揚げに茜が作っただし巻き玉子。炊きたての白米と鮮やかな色のサラダも並んでいる。

「お味噌汁もできたよ」
「今日はご馳走だな」
「湊大のお友達がいますから」
「あー、はいはい」

 楽しげに話す会話を流しながら席に座る。
 確かに普段の夕飯より品数が多い。こんなに食べられるのだろうか。

「いただきます!」

 丁寧に手を合わせた水月さんに続いて、四人分の声が重なる。
 それから彼女以外誰も箸を持たず、みんな水月さんの方を見ていた。
 反応が気になるのは分かるけど、それだと食べずらいだろ。そう思って声をかけようとしたが、食べることが好きな彼女はそんなことを気にしないまま、最初に味噌汁の入ったお椀を手に取った。

 そっと一口含み、喉に流し込む。

「美味しいです!」

 その笑顔に両親は優しく微笑み返し、茜は「よかった!」と嬉しそうにしていた。

「このお味噌貰い物なんだけどね、山本さん宅のお味噌は美味しいのよ」
「山本さんって着物屋の?」
「そうそう。お家でお味噌作ってるの」
「そうなんですね」

 水月さんは自然とうちの家族と打ち解けていって、その光景を横目に僕はハンバーグを割った。
 熱々のハンバーグから湯気と肉汁が溢れ、そこに自分の作ったソースをかける。

「私もハンバーグ食べよっと」

 顔を上げると水月さんと目が合い、僕の真似をしてハンバーグを割ってソースをかけていた。
 その様子を見ていた僕は無意識に箸を持っていた手を止めて、彼女の方を見つめていた。
 気にしないでおこうと思っていてもやっぱりどう思うのか気になる。

 ハンバーグに夢中になっている彼女に気づかれないように様子を窺う。
 すると一口サイズになったハンバーグをぱくっと食べた彼女から、ふわっと笑みが零れていた。

「このソース手作りなの?」
「うん。さっき作った」
「私これ好きだなぁ。美味しい」

 家族以外の人に自分が作ったものを食べてもらうのは彼女が初めてだった。作ったといっても簡単なソースだけど、家族の料理含めて褒められたのが嬉しくて、僕は素直に「ありがとう」と口にした。

「食べるの好きだよね」
「好きだね。でもこれ、最近気づいたんだよね。食べられる幸せ」

 そう言って、ふっくらつやつやな白米を頬張る。

 彼女は本当に幸せそうな顔をする。ご飯を食べる時も、学校で友達と話している時も、景色を見ながら歩く時も、モチュに触れていた時も。
 彼女を見ていると、目の前にある幸せを大切にしているのがよく分かる。それはどんな些細なことでも優しく抱きしめるようにして記憶に刻む彼女だからできることなんだと思う。

「私、こんなに温かいご飯食べたの久しぶりかも」
「え……?」

 そっと告げられた言葉と、湯気が立つ料理を切なげに見つめる瞳に戸惑う。

「ねぇ水月さん、私の作っただし巻き玉子も食べて!」
「うん、いただきます!」

 茜に声をかけられた水月さんは何もなかったように取り繕ってだし巻き玉子を食べる。
 そうして彼女の前にあったお皿は綺麗に空になっていた。  
 どれも美味しそうに食べるから母さんも嬉しそうで、また食べに来てほしいと言っていた。

「ご馳走様でした。美味しかったです!」
「こちらこそ。また遊びに来てね」
「またね!」

 水月さんは玄関まで見送りに来ていた母さんと茜に頭を下げて「お邪魔しました」と言ってドアを閉めた。

 先に外で待っていた僕は彼女が来ると、歩幅を合わせて歩き出した。
 山の中にある家まで送ることになり、僕たちは夜に染る町の中を歩く。

 店の明かりと地面を照らすように配置されているオレンジ色の光を頼りに、町の端を目指す。
 週末ということもあり、この時間でも外を歩いている人はちらほらいた。

「今日は急にごめんね」
「ううん。唐揚げもサラダも美味しかったし、むしろ誘ってくれてありがとう」

 茜の思いつきで最初はどうなるかと思ったが、楽しんでくれたようで安心した。

「嬉しかったよ。お友達の私を快く受け入れてくれて。……湊大くんもそうだけど、君の周りは温かい人ばっかりだね」

 隣を歩く彼女の頬には温もりが残っているのか、赤く色づいていた。



「湊大くんは、あの山登ったことある?」
「寺には何度か行ったことがあるけど。水月さん学校来る時毎回あそこ歩いてるんだよね?大変じゃない?」
「大変だよ。慣れたくても慣れないし、靴もすぐ駄目になるから途中で履き替えてるんだよ」

 そんなことを話しながら辿り着いた山の麓。
 山道はある程度整備されていて、人の行き来があるため周囲を照らすライトと手すりはあるものの、夜にこの道を通るのは少し不気味だ。

「アパートはすぐそこなんだけど、少し上に行ったところに湖があるんだ。そこまで一緒に登ってくれる?」
「湖って、湖丘のこと?」
「あそこ湖丘って名前なんだ」
「いや、僕が勝手にそう呼んでるだけ」

 なぜ山の中に湖があるのか知らないけど、ある場所の標高が低いので僕は湖丘と呼んでいた。

 あそこはこの町全体を見下ろせる場所で、天気がいい日は星空を眺めることができる。周りに強い明かりもなく、晴れると空に浮かぶ月が風に揺れる水面に映る。その美しい景色が好きで、たまに見に行くことがあった。
 この時期の夜は寒くもなく暑くもないから過ごしやすい。

 雲に隠れる欠けた月に照らされ、山道を進むこと数分。

「ついたー!」

 木々に囲まれた道を抜けると広々とした場所に出る。その先に湖があって、奥にはまた山の中へと繋がる道がある。

 僕たちは湖を囲む背の低い岩に腰掛けた。
 周囲を遮るものもなく、空の明かりが直接届くため山道よりも明るい。

「今日晴れてよかったね。今はちょっと曇ってるけど」

 湖に背を向けて座る僕の横で、彼女は体を捻って右手を湖の中につけていた。

「やっぱり冷たい」

 ぽつりと呟くと、湖から手を上げて体を正面に向けた。

 何か話したいことがあるんだろうなというのは何となく分かっていた。けれどそれが何なのかは分からない。だから話したいと思った時に話してくれていいし、もし途中で話したくないと思ったら無理には聞かない。

 待つことしかできない僕の隣で、彼女は湖丘から見える町並みを目に映しながら、石の上で膝を抱えて座っている。

「湊大くんの家族のこと見てたらさ、思い出しちゃって。私の家族のこと」

 どこか遠くを見つめたままの瞳がこちらを向くことはない。
 水月さんの家族。その手の話はまだ一度も聞いたことはなかった。彼女の家族や出身、生い立ち……。僕が踏み込んでいいものでもないだろうから、自分が聞いていいものなのか分からない。

「今からする話は、もしかすると居心地が悪くなる話かもしれない。だから聞きたくないって思ったら止めてくれていいから」
「無理してない?」
「してないよ。君に知ってほしいって思ったから。余計なお世話かもしれないけど、聞いてほしいんだ」


*̩̩̥





 空っぽの声で私は話を聞いてほしいと口にした。
 彼は「無理してない?」と心配してくれた。優しい人だ。
 だから余計に胸が締めつけられる。私は君を試すようなことをするから。

 君と私は、住んでいる世界が違う。君はきっと恵まれた人。だけどそんなことを言うと彼は私に気を使って距離をとろうとする。恵まれてないなんて答えれば周りにいる人たちに失礼だから、かといって恵まれると答えれば私を傷つけてしまうかもと思ってしまう人だから。だから君にはただ聞いていてほしい。
 君が私の話を聞いてどう思うのか、それが知りたかった。話を聞いても尚、こんな私のそばにいてくれることを選んだなら、その時は信じてもいいのかなって。

 だから聞いて、私が消えた理由。