彼女に言われた通り、次の日から僕は以前と変わらない隣の席の同級生として接した。
昨日来た転校生としてでもなく、生きていないということを知っている人としてでもなく、ただの隣の席の人として。
「へぇ、水月さんって甘いもの好きなんだ」
「じゃあさ、今度新しくできたカフェ一緒に行こうよ!」
別に今までもそんなに仲良く話してたわけじゃないから、ただのクラスメイトの距離感。あんな風に友達同士みたいな会話はできない。
見たことある光景が広がる隣を視界から外し、僕は昨日彼女に言われたことを考えていた。
生きていない、ということはすなわち死んでいるということ。でも彼女のことは目に見えているし、それはクラスメイトも同じ。物に触ることもできているし、会話も成立している。……幽霊、というわけでもないのか。
じゃあ彼女は何者なんだ?
今日は一日そんなことを考えていて授業どころではなかった。
「湊大、大丈夫か?」
「なんか魂が抜けた顔してたぞ」
「体調悪い?」
心配してくれる人が一人と面白がる人が二人。
仲のいいやつらだが、彼女から聞いた話はできない。かと言って理由もなくボケっとしていたと言うのも気に入らない。
「ちょっと寝不足で」
今日はなんとなく誤魔化せたが、次回以降の言い訳は思いつかない。だから授業に集中しないと。
そう思って思考を切り替えた瞬間、誰もいない教室に連れ込まれた。
一人で帰っていたからよかったけど、誰かいたら誤魔化しようがない状況。
反射的に声を上げようとしたが、それを上回る声が響いた。
「君さ、分かりやすすぎ」
教室に連れ込むや否や、閉めたドアに追い込まれて逃げ場がなくなった僕は「ごめん」と素直に謝った。
昨日あんな話をしたというのに、水月さんはいつもと変わらない態度で話しかけてきた。
「友達から『宝田くんに見られてたよ、モテモテだねぇ。』ってからかわれたんですけど?」
「それはごめん」
見ていた自覚はあるけど、そんなじっと見ていたつもりはない。
「気にしてる?昨日の話」
「気にしない方が難しい」
「他人事なんだから、そんなに考え込む必要ないでしょ?」
「それは、そうかもしれないけど……」
「どれ、お姉さんがその緊張ほぐしてあげようか?」
いたずっぽく微笑む彼女に呆れた口調で「からかうな」と言った。
「あはは、ごめんごめん」
彼女の場合、他人事だけどなんて言うか、その域を超えている気がする。
それでも気にしてほしくないんだろうなというのは今の雰囲気からも察せる。
だからできるだけ、外では気にしないでおこうと決めた。
「じゃあお詫びとして、また一つなんでも聞いてあげるよ。悩みとか」
「また悩み――」
僕が今一番聞きたいのは、あなたは幽霊なんですか?生きてないってどういうことなんですか?といったことだけど、さっきの話の流れで聞くとまた怒られそうだ。
ただ、なんでもいいと言うあたり、こういうことを聞かれるということも少なからず分かっているんだろう。その上で話を聞くと言っているのは、聞かれても上手く躱すことができるから。それなら間接的にでも触れられる話を……。
「進路って、決まってるの?」
「進路かー。一応大学進学って書いたよ」
普通に返された。
そりゃ生きてないから書けないとは答えないか。
でも今ので分かった。その答えから分かるように、彼女は未来のことを考えて生きている。彼女は、僕らと同じように今を生きているんだ。
「君は決まってるの?期待通り真面目に答えたんだから教えてよ」
そして質問した意図まで汲み取られていた。
鋭い彼女とは対照に、僕はその質問が自分に返ってくるとは考えていなかった。
咄嗟に濁せるような言葉を探したが見つからず結局正直に、まだ決まっていないと答えた。
進路調査表には就職希望と書いている。それでも拓巳に言われたことをずっと考えていた。
『親には継いでほしいって言われてるの?』
両親にはまだ話をしていない。進学と就職どちらのことも考えたから、誰かに望まれれば道を変えるし、自分の意思を話さないという選択肢も持っている。そこまで分かっているのに、僕は何を悩んでいるんだ。
「もしかして、迷ってる?」
図星をついた彼女に顔を覗き込まれ、ハッと我に返る。
「まぁ、そんなとこ」
苦笑いを浮かべて、迷っていることを認めた。
僕は自分に自信がないんだ。
本当に自分が働くべきなのか、それが店のためになるのかも分からないから。もっと他のことを経験してからでも遅くないと言われれば素直に頷く。
ただ、自分に自信を持てないから答えられない。
『人の悩みはそれぞれなのに、比べたところで解決しないじゃん。他と比べて小さいからって見放しちゃだめよ』
自分のやりたいことなんて自分が分かってないといけないのに、僕にはそれが分からない。だから悩んでいた。
「未来に正解なんてないよ。だからずっと考えないといけない。これでよかったのかな、このままでいいのかなって。進んだ先で合わないことだってあるし、他の道にすればよかったって思うこともある。でも、未来は自分で選んでこそだと思うんだ」
真っ直ぐに突き刺さる言葉が痛い。
僕はずっと誰かが望む形になれればいいと思っていた。そうすれば間違えないし、困らせない。
昔から自分のせいで誰かを傷つけ悲しませるのが嫌だった。だから誰かに決めてほしかった。僕の在り方を。
自分の未来の決定権を他人に委ねようとしていたのは、自分に自信がなくて、誰かが選んだ道なら正解だと思えるから。自分の意思なんてなくて簡単に諦められるから。
でもそれが、正解じゃないことも分かっているから。
「誰かが選んだ道でもいいけど、自分が決めた道の方が迷わず進めると思うんだ。それこそ、あみだくじで決めちゃうとか」
「それはさすがに……」
「あはは、冗談だよ。でもね、自分の未来のことは湊大くん自身が決めた方がいいと思う。焦る必要ないって言いたいけど、既に決まってる人を見たり、進路希望を聞かれる時点で焦っちゃうのは分かるけど」
彼女がかけてくれる言葉一つ一つに熱い思いを感じる。これこそ、先程彼女が言った他人事として聞き流してくれてもいいのに。どうしてそこまでして向き合ってくれるのだろう。
不思議に思う僕とは対照的に彼女は話を続ける。
「前にさ、自由ってなんだろうって聞いてきたでしょ?今の話を聞く限り、君の場合は自由の答えを探すより、生きる意味を探した方がいいんじゃないかな?そうすれば自然と自由の答えも分かるかもしれないし」
「生きる意味……」
以前叶山も同じようなことを言っていた気がする。
水月さんにとっての自由は、ありのままの自分を肯定してくれる世界であり、自分らしく生きられることだった。
今考えてみると、彼女にとっての自由は生きることと直結していた。
「進路が決まらない理由として、その先のことが見えてないっていうのがあると思うんだよね。何をしたいかとか何になりたいとか、未来を生きる自分はどうあってほしいか、とか。明日の自分のことは分からなくても、明日の自分がどうあってほしいかは考えられるでしょ?だから、そういうの探そうよ」
ここまでくると、自分の家族でも友達でもない、ただのクラスメイトにそこまで言う必要性ってなんだろうと思ってしまう。自分がどうあるべきか気づかせてくれただけでも十分なのに。
「どうしてそこまで言ってくれるの?これこそ他人事だろ」
思ったことをそのまま口にした。
そうだね、と笑ってくれるかと思っていたが、彼女は否定しなかった。代わりに神妙な面持ちで、そっと息を吐いた。
「それは……君を悩ませてる責任が私にもあるから」
責任を感じるほどのものでもないと思うけど。
たかがお詫びの悩み相談。妙に張り切っている彼女は、他人の将来について一緒に考えてくれるらしい。
「自分のやりたいことが分からなくて悩むことは誰にでもあるし、まだ答えが見つかってない人もいるんだよ。だから焦らず探していけばいいの。やりたいことなんて、きっとそこら中に転がってるはずだから」
「やりたいこと……勉強とか?」
「そういう真面目なやつでもいいけど、もっと他のことでもいいんだよ?趣味を見つけたいとか、憧れの人に近づきたいとか、誰かのために生きたいとか。言っちゃえば欲だよ」
よくもまぁそんなさらさらと出てくるな。
もしかすると今のは彼女自身の欲望なのかもしれない。そうでなくても、大抵の世の中の人が持っている生きる意味なのだろうか。
誰かのために生きたい……水月さんは、誰かのために生きたいと思ったことがあるのだろうか。
これまでの僕なら誰かのためと言うより、誰にも迷惑をかけないように望まれた形で生きられたらいいと答えるだろうな。
でも、彼女が僕に見つけてほしいと思っている答えはこれじゃない。
僕は何のために生きたいんだろう。その答えはすぐには出ないものの、そのことについて考えるのは全然苦にならない。
「少し考えてみる」
「どういたしまして」
相談にのってくれた彼女を置いて僕一人が納得したようになっているも関わらず、優しく笑いかけてくれた。
「じゃあ前向きになれた湊大くんに、もう一つアドバイス。君は自分に自信がなさすぎる。怜斗くんも言ってたけど、その性格をどうにかした方がいいね」
「どうにかって……」
自分が気にしていることをこうも指摘されると耳が痛い。
「ネガティブで自信なし、おまけに自己肯定感が低くて自分の気持ちは後回し。別に悪いことじゃないけど、湊大はもっと自分に自信持っていいんだよ。そうしないと、あるはずの自信が本当に消えてしまうから。自分のことは自分が一番信じてあげようよ」
「自分を信じる……」
僕はまた、彼女の言葉に助けられた。
どうして君は、僕が欲しがっている言葉をかけてくれるのだろう。
ありのままの自分を肯定してくれること……。
もしかして、彼女が求めているものは――。
「ありがとう。頑張ってみるよ」
気づいたことは口にせず、僕たちはそのまま一緒に学校を出た。



