三月の通学路に春の香りを感じ、吹かれる風に乗った桜の花が蝶のように舞っている。
桜トンネルと呼ばれるこの並木道は、奇跡のフォトスポットと言われていて地元の人にも観光客にも人気のある場所のひとつだ。
これだけ花が宙に舞っているのに、桜の木は色づいたまま。この様子だと全て散るのは来月の頭頃だろうか。
そんな中、四人の男子高校生が同じ制服を着て、空のスクールバッグを肩にかけて歩く。
「湊大、頭に桜ついてる」
「え、まじか」
言われた通り手を伸ばすと、ふんわりとした癖毛の上に花びらがついていた。
「もっと乗せて写真撮ってやろうか?」
「やだよ」
隣から飛んできた言葉に対して気だるげに返し、掴んだ花びらを離すと風に乗ってどこかへ飛んでいった。
「こっちにスマホ向けんな。撮るなら桜だけ撮れよ」
高一の修了式が終わり、友人たちといつものように帰る道。
今の時間、自分たち以外に人はいない。車も自転車も通らないこの道をのんびり歩けるのは地元の学生の特権だ。
「ちぇー、せっかくイケメンと桜のツーショットが撮れると思ったのに」
やたらと写真を撮りたがっている怜斗。
社交的で明るくて誰とでもすぐに打ち解けられるのは彼の長所。しかし彼の身なりや仕草からは正統派というより、チャラいイメージがある。着崩した制服に、校則に引っかからないギリギリを攻めた髪。その見た目からクラスでもよくチャラいと弄られているが、根は優しくていい奴。
そんな怜斗と、僕を含めた残りの三人の性格は真逆。
気づけばクラスの中心にいることが多い怜斗と騒ぐのが得意ではない残り組。
僕らが話すようになったのは、入学当初お互い席が近かったから。そこだけで終わる関係の可能性もあったが、今でも絡んでいるということは、お互い性格が違っていても、この空気感を悪くないと思っているから。
「桜とイケメンのツーショットなんて需要しかないだろ」
「撮影許可した覚えはない」
怜斗は、ことあるごとにスマホを向けてくる。
彼曰く、宝田湊大には隠れファンが多いらしく、主に顔が女子ウケするからと、僕を撮ってはSNSに載せている。
隠し撮りされて既に載せてあるものに関しては大目に見ているが、あからさまにカメラを構えるのはやめてほしい。
「友達はもれなくフリー素材だろ」
「そんなわけないだろ。次から使用料二千円貰う」
「ケチか」
生憎自分の容姿を気にしたことがないから、怜斗から言われるイケメンという言葉はピンとこない。
むしろこの髪なんて毎朝直すのに時間がかかって嫌なのに「その顔とバランスがいいからキープしろ」と難題を押し付けられたこともある。
「湊大撮りたかったら気づかれないように撮ればよかっただろ。こいつ嫌がるんだから」
「俺は最初から狙ってたのに、拓巳が桜ついてるなんて言うからだ」
「え、僕!?ごめん」
「お前は謝らなくていいんだよ」
怜斗に対して冷たく突っ込んだ叶山 。
メガネをかけている優等生で、筆記試験では毎回学年トップに入る成績。普段のメンツ以外に人と話しているところは滅多に見ないし、無意識のうちに近づくなオーラを放っているから人も寄ってこない。物静かで運動はあまりできないが、勉強さえできればいいだろう思考の持ち主で体育の実技点は半ば諦めている。
叶山とは対照的に弱々しい声で怜斗に謝った拓巳。
猫背気味で、人前に立つことを好まない性格。普段から小さな声で話すが、このメンツといる時は慣れてきたのか、それなりに声が出せるようになっていた。基本穏やかなやつだから話しやすい。
「そういう叶山もメガネ外したらカッコイイんじゃないかって噂になってるぞ」
「それは僕も思ってた」
「一生外さない」
叶山だけ苗字呼びなのは、怜斗の姉と名前が同じだから。怜斗が「お前は叶山な」と言って僕たちもそう呼んでいる。
「今日も寄ってくか?」
「あぁ」
この並木道の途中には公園があり、天気のいい日はよく学校帰りに立ち寄っている。
遊具で遊ぶためではなく、自販機でジュースを買って喋るだけ。確か怜斗が、バイトまでの暇つぶしに付き合えと言ったのが最初だったか。
うちの学校は学業に支障が出ない程度にならバイトは可能。だけど怜斗の場合は叶山のおかげでなんとかなっていると言っても過言ではない。毎回試験前になると叶山に頼み込んで勉強をしている。それに文句を言いつつ、ちゃんと教えている叶山にも見慣れてきた。
僕は店の手伝いをしているためバイトをする予定はなく、叶山と拓巳も高校までは勉強に専念したいからやらないと言っていた。
「おい、あれ」
公園前に着くと叶山が何かを見つけたようで、そこを見てみると先客がいた。
ブランコに座っている女性。彼女はスーツを着ていた。
遠目で分かるのはそれくらいだが、平日昼前のこの時間に人がいるのは珍しい。
「湊大、ちょっと声かけて来いよ」
「なんでだよ」
怜斗が嬉しそうに腕で体をつついてくる。
普段なら自分から声をかけにいくくせに、今日に限って振ってきた。
「接客業やってんだからいけるだろ」
「ここは店じゃないだろ」
そう言いつつも、後ろから背中を押されたせいで足が一歩前に出ていた。
「あの人、落ち込んでるっぽいから怜斗より湊大の方が適任だろ」
「どう意味だ叶山。俺は湊大の――」
「それに、男子高校生が揃って声かけるのはどうかと思うし」
ここぞと言わんばかりにのってきた叶山と、怜斗の言葉を遮ってまで僕を行かせたい拓巳のせいで逃げ場がなくなった。
「はぁ……」
ため息を零し、再び女性の方を見る。
確かに下を向いているから落ち込んでいるようにも見えるけれど、僕に何を期待しているんだか。
接客業をやっているから人と話すのは苦手ではないけれど、店以外で自分から声をかけることはしない。そもそも他人からいきなり声をかけられたら相手も困るだろ。それも見ず知らずの年上の女性になんて。……放っておいてほしそうならすぐに立ち去ろう。
僕はブランコまで一直線に歩く。
残りの三人はというと、公園の隅にあるベンチに座っていた。どう見てもグルだって分かるだろ、これ。
そんなことを考えながら、ついにブランコに座っていた女性の近くまで歩いてきてしまった。
おろした髪の隙間から見える透き通るような綺麗な瞳。長く艶のあるまつ毛。なめらかな白い肌。
綺麗な人だ……。
この公園でも桜の花びらは舞っていて、足元に落ちた一枚がふわりと揺れた。
次の瞬間、強い風が吹いて視界いっぱいに桜吹雪が映り込む。
「……!」
吹雪く桜の中から見えた彼女の姿勢はとても綺麗だった。
「あの、大丈夫ですか?」
女性の座るブランコの隣、少し腰をかがめて声をかけた。
今更ながら、年下の高校生がこんなことを聞くなんて、生意気なやつだと思われるだろうか。
「あ、どうも」
顔を上げて視線が合った女性に軽く挨拶をした。
顔色を見る限り、体調が悪いわけではなさそうだ。
スーツを着ていて、この見た目なら二十二歳前後。大学生、もしくは社会人。
店番をしている時に、お客さんの年齢を当てるゲームみたいなものを妹とやっていたことがある。その時に身についた特技みたいなもので、ちなみに答え合わせはできない。
「こんにちは」
僕に対して女性は優しく言葉を返してくれた。
スーツを着ていれば大抵の人は大人びて見えるものだと思っていたけれど、この人にはどこかあどけなさが残っている。
スーツに着られているとまでは言わないが、なんだろう。何か引っかかる。
あ、そういえばここに来て何を話すか決めていなかった。
友人に言われて来ましたなんて言えば僕一人で来た意味がなくなる……でもその流れであいつらをここに呼ぶのもありか……。
「あの……なにか?」
一人考えている僕を女性は不思議そうに見つめていた。
このまま突っ立っていると怪しまれる。もうここは単刀直入に聞こう。
なぜか普段接客をする時よりも緊張しているような気もするが、なるべく爽やかな高校生に見えるように穏やかな口調で話す。
「なんだか元気がなさそうだったので、声かけたんですけど……」
「あー、うん。大丈夫だよ。ごめんね、なんか」
ゆっくりと視線を外して躊躇いがちに口を開いた女性と次に目が合ったその顔には、笑顔が貼り付けられていた。
どこかで読んだ本に、こういう時は「本当に?」ではなく「本当は?」と聞いた方がいいと書いてあった。でもそれは知人限定だろう。初対面の人が踏み込めるようなものではない。
じゃあ僕はどうすれば……。
「えっと……座る?」
「え?」
気を遣わせてしまったのか、立ったままの僕に女性は空いていた隣のブランコを指さした。
一言二言交わして終わりにするつもりだったが、ここで断るのも心苦しい。
僕は結局、流されるがまま隣に座った。
「……君、何年生?」
先に話題を振ったのは女性の方だった。
「高一です」
「ということは来月高二かぁ。フリーダムだね」
「フリーダム?」
「うん。中二高二はフリーダム。学校生活に慣れて来て、色々余裕が生まれるからだって、昔ラジオで聞いた」
女性は話し始めると、地面に足をつけたまま軽くブランコを揺らし始めた。
自由、か。そんなの考えたことないな。
学校は校則とか時間割とか、決められた型にハマって生活しなければならないから自由になれたと思う瞬間はない。
この人は、自由だと感じたことはあるのだろうか。
気になって女性の方を見てみると、ブランコを揺らす足を止めて空を見上げていた。
「君は自由だから、やりたいことやっときな。私みたいにならないように」
「え……」
寂しげに笑う女性を瞳に映すと、辺りが静寂に包まれたかのように音が消えた。
触れないで。
そんな声が聞こえてきそうな表情からは、それ以上のことは読み取れない。
細く繊細な女性の声の中には、美しく静かに光る透明な柔い糸が一本。触れたら簡単に切れてしまいそうなその糸に、少しだけ触れてみたいと思った。
「……なにかあったんですか?」
自分でも意地が悪いと思う。相手から壁を作られたのに、それを無視して突っ込むなんて。
普段ならそんなことはしないが、女性は初対面でもう二度と会うことのない人だから聞くだけ聞いてみようと思った。
話したくないなら断られるだけだから。
踏み込んだ僕の言葉に一瞬目を見開いた女性は、苦笑いを浮かべながら諦めたように口を開いた。
「私ね、自分のことがよく分からないんだ。なぜ生きているのか、自分にはどんな役割があってここにいるのか。私がこの世界に存在する意味はあるのか。分からないから、探そうと思って」
「探す?」
「よく言う自分探しの旅ってやつ?やってみようかなって」
青い空を映す瞳に影はない。それでも彼女自身に残る寂しさは消えなくて「いいですね」なんて言葉は出てこなかった。
自分がこの世界に存在する意味を探す、その姿はなんだか――。
「……かっこいいですね」
「そう、かな?」
率直に伝えた感想に、女性は目を丸くしてこちらを見つめてきた。
「はい。僕はそう思いますよ。仮に自分の中に同じような考えがあったとしても、旅に出ようとは思いつかないだろうから。やっても精々、今いる環境の中で抗うくらいですかね」
「……ふーん。そっか」
素っ気ない反応をされたかと思ったが、その言葉の尻尾はどこか嬉しそうに揺れている。
先程の言葉をゆっくり咀嚼した女性は、地に足をつけて再びブランコを動かす。
「君、面白いね。初対面の相手にそんな風に言える子、そうそういないよ」
「そうですか?」
「うん。大抵は流すか、心配するか、馬鹿なんですかーってからかうか」
確かに他人相手に返すなら、最初の二つが正解だったように思える。
「嫌でした?」
そう聞くと、女性はピタリと動くのを止めた。
「そうじゃない。嬉しかった」
初めて向けられた笑顔は、水晶ように静寂の中で輝く存在感がある。吹かれた風に靡いた細く透き通った髪の後ろで、ふわりと桜の花びらが舞った。
「本当は、ちょっと不安だったんだ。このままずっと一人でいるのは寂しかったから。でも、君のおかげで勇気が出てきた。ありがとう」
女性はブランコから立ち上がり、そのまま僕のいる方へと近づいた。そして、髪にそっと手を添える。
その一連の流れが当然のように過ぎていき、平然を装っていた思考が停止する。
「あの……」
慣れない距離感に顔が熱くなり、咄嗟に発した声は上擦っていた。
それに対して優しく微笑み返される。
「桜ついてた」
離れた手の中には、一枚の桜の花びらが眠っていた。
「あ」
思わず触れられた頭に手を運んだ。
「ふふっ」
手のひらに花びらを乗せ、軽く息を吹きかけると、桜は宙へと舞い上がっていった。